世界でただ一つの文化
伊那の冬の風物詩 ざざ虫
その三
7,どうして「ざざ虫」を食べるのか 昆虫食を考える
小学館の「日本国語大辞典 全20巻」には、
「ざざ‐むし〔名〕川の流水に住んでいる、カワゲラ、カ ゲロウの幼虫。長野県伊那地方ではこれを佃煮(つくだ
に)にして賞味する。」
平凡社の「世界大百科事典 全31巻、付録3巻」には、
「ざざ‐むし〔名〕長野県下で食用にされる水生昆虫の幼 虫類の総称で、カワムシとも言う。(中略)世界でも珍
しい食用昆虫。」
と出ている。
これらによれば、どうやら「ざざ虫」は伊那にしかない昆虫食である。しかも、世界的にも珍しい昆虫食のようだ。
「伊那にしかない昆虫食」なのか、しかも「世界的にも珍しい昆虫食」なのか、ここで探ってみよう。
T 日本の昆虫食 ―ざざ虫を食べるのは伊那だけか?―
伊那市立図書館に「日本の食生活全集(農山漁村文化協会刊)」という日本全国都道府県に加えてアイヌの食事を記録した全48巻の全集がある。
この全集は大正時代の終わり頃から昭和の初めの全国各地の食文化を各地で聞き取り調査をし記録したものとのこと。これにより日本の昆虫食を調べてみた。その結果が
国内で昆虫を食べる地方一覧 [日本の食生活全集(農山漁村文化協会刊)」より
である。
これを次のように整理してみた。
@昆虫食の習慣がある地区は全国で34地方。
(「日本の食生活全集」の区分けによる) その内訳は、
いなご 28地方
蜂の子 14地方
蚕の蛹 5地方
鉄砲虫・柳虫 2地方
ざざ虫 1地方 伊那のみ
A昆虫食の習慣がある地区は山間地、台地などが多い。
全国 34地方の内、
山間台地 30地方
比較的海に近い所 4地方(11,13,21,27)
B東西日本の境界線を富山市、高山市、名古屋市を結ぶラインとすると、
東日本 27地方
西日本 7地方
また、
C山間地や開拓台地に昆虫食の習慣が多いことは、
「動物性 蛋白質の摂取が少ない山間地には昆虫食が多い」
と言う、 従来から言われていた説が正しかったことを裏付けること となるのではないか。
D食用にされる昆虫のうち、鉄砲虫・柳虫は「薬として」と いう限定が必ず付くので、食料のうちには入らないと言って良いかもしれない。また、薬とした地方はもっと多いようだ。
E「図1」の国内の分布図を見ると、関東、甲信、東北等の 山間地に集中していることがわかる。
ざざ虫は伊那でしか食べられていないことはこれよってわかる。しかし、この全集で言う「伊那地方」とは上伊那地方と飯伊地方を合わせた「伊那地方」である。しかもその調査対象は飯田市の松尾付近となっている。
他県から見れば上伊那地方、飯伊地方は「伊那地方」と言う一つの所だろうが私たち伊那人にとってみれば、当然のことながら上伊那地方と飯伊地方は明らかに違う。
そこで
国内で昆虫を食べる地方一覧 [日本の食生活全集(農山漁村文化協会刊)」より
を基に「日本の食生活全集」の区分けによる全国34地方の101市町村と、長野県内のほぼ全地域56市町村へ、別紙によるアンケート調査を実施した(96年2月)。
結果は、
別紙「国内昆虫食習慣調査 1,2,3 」
及び「国内昆虫食習慣調査 長野県内 1,2
」
の通りである。
この調査は「ざざ虫」を食べているのは伊那(上伊那地方)だけかを明確にすることを第一にしているため、昆虫食実態の全体像を知るための調査としては弱いものである。しかし、国内昆虫食の現状をわずかでも判る資料になったのではないだろうか。
昆虫食をする地方は全国的に見ると「圧倒的な少数派」と言わざるをえない。しかも、その習慣をすでに完全に放棄したと思われる地方、または放棄しつつある地方があることがわかった。
「昆虫食習慣が無くなった地域」
千葉県北総台地地域・山梨県甲府盆地 富山県氷見灘浦地方
「昆虫食習慣を失いつつある地域」
奈良県葛城山麓(竹内)・島根県出雲平野 愛媛県肱川流域(大洲市)
しかし、長野県では全域でごく日常的に昆虫食をしていることもこの調査によって判明し、長野県は「昆虫食王国」だということがわかった。
長野県史に「犀川下流部でもざざ虫が食べられる」といった記述があるが、アンケート調査のほかに直接犀川下流部の信州信町に問いあわせたところ、「現在そのような事実はない」とのことだった。
「日本の食生活全集」による全国34地方へは、すべての 市町村に調査し、県内も全地域片寄りないように調査してみたつもりだ。やはり、ざざ虫を食べるのは上伊那地方のみである。
そう結論づけようかと考えていた時に、思いもかけない素晴らしい資料が手に入った。
そのきっかけは一通のアンケートであった。内容は昆虫食に関する物で、差出人は立命館大学文学部4回生飯島容平とあった。
U 飯島容平君のアンケート集計からの再調査と考察
私は彼のアンケートに答えるとともに、彼へ平成8年3月にまとめた最初の草稿を送った(1996年5月29日)。
すると彼から丁寧な返信が送られ(1996年6月20日付)八月以降には卒論のためのフィールドワークとして伊那を訪れたいとあった。
そして、飯島君が来伊したのは1996年9月4日であった。一時間ほどであったが彼とざざ虫に対する資料交換ができたことは実に貴重であった。
さて、彼が長野県のすべての市町村に「教育委員会宛て」でアンケート調査(1996年5月)を行った集計を、私なりに次の
「長野県内でざざ虫を食べる市町村―飯島容平調べ―」
のようにまとめてみた。
結果は私にとって意外なものだった。
飯島君の調査では、長野県内に上伊那9市町村以外の16市町村がざざ虫を食べていたのである。(表3の16市町村。飯島調査では上伊那9市町村を入れると25市町村。県内の内、20.8%がざざ虫食を有していることになる)
彼の調査は長野県全120市町村に調査し、昆虫食の実態を調べたものだった。(私の調査は前述の通り)
彼の調査の結果、長野県は全120市町村が昆虫食習慣を現在も有してることがわかった。これは1996年の時点での再確認の意味においても立派な調査だと評価したい。
特に私が意外だったのは天竜川水系意外の地域でざざ虫を食べていたことであった。
しかし、この結果は変だ。なぜなら下記の表「牧田、飯島両調査の違い」を見比べれば判るとおり、私の調べた結果と飯島君が調べた結果とが、あまりに食い違うのである。これは変だ。
共に調査は1996年に行った。牧田は「商工観光担当課」飯島は「教育委員会」へ照会
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同じ市町村からの回答がこんなに違うとは……。私はこのアンケート結果の食い違いに驚くより、こう言ったアンケート調査の難しさを感じた。
つまり、牧田調査結果と、飯島調査結果のどちらを信じて良いのかわからなくなったのだ。この食い違いはどこからきているのだろうか? さっそく私はその原因を考察した。
飯島君の調査方法を尋ねると前述のカギ括弧のとおり「教育委員会宛て」に行ったアンケート結果であった。事実、伊那市あての彼のアンケートも伊那市教育委員会あてであり、実は私は伊那市教育委員会より彼のアンケートへの回答依頼を受けたのだった。
そして私の調査は商工観光課を基盤として照会したアンケートだったために、その殆どが「商工観光担当課」からの回答だった。
アンケートの設問設定は違うものの、私は二つの調査の違いは先方の回答担当課にあると考えた。そこでさっそく私が調査していない町村の「商工観光担当課」あてに他市町村と同じアンケートを送付した。その回答は「牧田12月調査」のとおり。
回答結果は出たがこの結果から判ることは「商工観光担当課と教育委員会の回答が殆ど違う」と言うことの再確認と、新たに中川村、松川町がざざ虫食を有していると言う確認だった。
中川村、松川町がざざ虫食を有していることはそれほどの驚きを感じない。なぜなら広義に考えれば中川村、松川町は「伊那」の範ちゅうだからである。問題は商工観光担当課と教育委員会の違いである。
そこで私はそれを次のように考えることにした。つまり、
「商工観光担当課の回答はその市町村の多くの人が一般的に知っている、認識している回答」
「教育委員会の回答は一般的な認識がなくとも、その事実、事例があれば「有」とした回答」
である。
この分類は乱暴であろうか? 私はこの分類をそう乱暴とは思っていない。
むしろ、こう考えると「一般的な認識での有無」と「一般的であるなしにかかわらない事例の有無」の調査結果として割り切れるので考察がしやすいと考える。つまり、
「一般的にざざ虫を食べていると言う認識がある地域」
と、
「一般的にはざざ虫を食べないと認識している地域」
に分けることができると言うことだ。
さて、以上のアンケート調査からは
「なぜ伊那だけざざ虫を食べるのか」
に対する解答は出ない。しかし、
「ざざ虫を一般的に食べると認識している地域は伊那だけ」
が決定的になったと考える。
回りくどい言い方をやめれば、
「ざざ虫を食するのは伊那だけである」
故にざざ虫踏みという漁、その漁業権、調理法等々に裏付けされる前述した「ざざ虫文化」は極めて特殊なものと言える。言い方を変えれば、
「ざざ虫文化はその漁法、漁業権、かんじき、選別器、等々と言った特殊な文化を結実するまでにいたった、おそらく世界的にも大変珍しい民俗風習である」
と言うことになる。
ただし、右記の「おそらく世界的にも大変珍しい民俗風習」の内の「おそらく」の部分は後述する「世界の昆虫食」の項で外されることになる。
また、飯島調査により、伊那地方以外にもざざ虫を食べる地域、事例があったと判明したことは、このレポート大きなテーマである「なぜ伊那だけが……」の解明考察につながるきっかけを与えてくれた。これについては次項以下を積み重ねた上で考察したい。
V いつから「ざざ虫」を食べていたのか
マスコミ関係に取材を受けると、必ずと言って良いほど
「いつからざざ虫を食べていたんですか?」
と聞かれる。しかし、この質問は素直な疑問ではあるが、けっこう無茶な質問である。
何が無茶なのか解説しながらこの質問について考えてみたい。
「いつからざざ虫を食べていたのか」と言うこの設問は、「ざざ虫を」というよりは「人はいつから虫を食べていたのだろうか」という設問の方が良いだろう。なぜなら
「大きくとらえた昆虫食習俗の内にざざ虫が含まれる」
と考えた方が当然自然だからである。
貝塚などからカニやサンマの殻や骨が出てくることがあるが、それらの場合は大昔の人がカニやサンマを食べていた証拠として、ある程度の年代を知ることができる。
しかし、それが「いつから」人がカニやサンマを食べていたのか、という答えにはならない。なぜなら「人がカニやサンマを食べはじめたのはいつ?」という質問の設定に無理があるからだ。
言い替えると、
「○○遺跡の調査の結果、この遺跡に暮らした人類はカニとサンマを食べていました。これは人類がカニとサンマを食べた最古の証拠となります」
という報告はできるが、
「○○遺跡の調査の結果、人類がカニとサンマを食べはじめたのは紀元前○○○○年と決定されました」
という報告はできないからだ。
と言うことは同様に、
「人はいつから虫を食べていたのだろうか」
という質問の設定には無理があると言うことになる。
しかし、あえて「いつから?」の疑問に対して考察するなら、結論から先に書いてしまうことになる。と言うのは、
「誰も知らない大昔から食べていた」
としか言いようがないと思われるからだ。
しかし「カニやサンマは紀元前○○○○年ごろには食べられていたようです」という報告と同様の、人が昆虫を食べていた痕跡が土の中から出て来ることはないのだろうか?
ない訳ではない。大昔の人が昆虫を食べていた証拠は、ヒューマン・コプロライトと言う物にあるのだそうだ。
「世界の食用昆虫」(三橋 淳著 古今書院 一九八四年五月一日第一刷発行)によると、ヒューマン・コプロライトとは人のウンコの化石で、アメリカから三例の報告があるそうだ。
それらのウンコの化石からは、バッタ、ミツバチ、スズメバチ、アリ、ダニ、シロアリなどが確認されており、我々のご先祖様はけっこうしっかりと虫を食べていたらしい。
人類の食性は食虫からスタートし、次に果実食、狩猟ができるようになって肉食、農耕が始まると穀物食、ついには雑食となったと考えられている。
と言うことは、ウンコが化石になってしまうんだから正にとんでもない誰も知らない大昔から人は虫を食べていたことになる。
私は「世界の食用昆虫」に出会う前から、人はいつから虫を食べてきたのかという疑問に対し「誰も知らない大昔から食べていた」という仮説を立ててきた。
これはこのレポートの草稿に触れてあり、その時点ではヒューマン・コプロライトを知らなかったのだが、この本により私の仮説が正しかったことがわかった。
だいたい、なんらかの理由で「ある時代から急に食べ始めた」と考えるよりは「誰も知らない大昔から食べていた」と考えた方が自然である。自然界に普通に存在する物をある時代から急に食べ始めた事例があるのだろうか。あるとすればそれはとても興味深い話であると私は思う。
W 「世界の食用昆虫」を読んでみて
さらにこの「世界の食用昆虫」は世界の昆虫食習慣をいくつかの事例によって紹介している。私が特に興味を持ったのは、聖書の中にも昆虫食が出てくることだ。
旧約聖書レビ記第十一章二十〜二十五節でエホバがモーゼとアロンに、人が食べて良いものと悪いものを教えている。
「昆虫は汚らわしいもので、その死体に触っても汚れるが、 例外として、翅を持ち、はいまわり、しかも跳ねるための
脚を持つものは食べても良い」
つまり、イナゴ、バッタなどを食べて良い昆虫として挙げているのだ。
この他にも世界の昆虫食習慣が地域別に載っており、さらに食べ方や栄養、取り方、飼い方、昆虫食の未来について書かれている。昆虫食に興味のある方にはぜひ一読をお薦めしたい。
さて、この本を読んでの収穫は次の二つである。
@ざざ虫を食べる地域は世界で伊那地方だけである。
これによりざざ虫を食べる地域は、間違いなく世界で伊那地方だけであることがわかった。
「ざざ虫は世界的にも大変珍しい民俗風習である」
ということを、伊那市は大威張りで言えるのではないだろうか。
Aざざ虫などの水棲昆虫はほとんどすべて無毒であり、だいたいがおいしい。
ざざ虫と言うよりは、ざざ虫などの水中に住む水棲昆虫はすべて無毒で、煮ればたいてい何でも食べられるそうだ。
ザザムシ、マゴタ、青虫に限らず、取れた虫は
「煮りゃあ何でも喰える」
と、漁師たちは言うが、この本にもそれを裏付ける記述が載っていると言うことになる。
さて「ざざ虫は世界的にも大変珍しい民俗風習である」ことは間違いないのだが、やはり世界で唯一の昆虫食文化ではない。
タイ、ラオス、ベトナム、中国東部(特に広東あたり)で食べられている水棲昆虫のタガメは、食材として流通しているそうだ。
特にベトナムでは、紀元前207年〜137年の間のアンナムと呼ばれた時代にすでにタガメは高級品とされ、中国に朝貢されていたとのこと。これにはちょっとびっくりした。
タガメが珍重される訳は、タガメは何やら大変良い臭いがするからだそうだが、ぜひ一度現地で試してみたいものである。
タガメから香料を抽出する、と言うよりは体液を絞り出すとのことだが、20tほどの瓶一つの香料が現地の公務員のの給料と同じ値段とのこと。実に興味深い魅惑の香りである。
現地には「漁法」「資格」「道具」「しきたり」「言葉」「流通」等々が伊那のざざ虫と同様にあるのだろうか。細かく調査してみたいものだ。しかし、今のところまったくそんなあてはない。誰かこれについての調査をしてくれないだろうか?
スポンサーが付けば私がさっそく飛んでいって調査するものを…。
X どうして「ざざ虫」を食べるのは伊那だけなのか
伊那がざざ虫を食べる理由として、
「伊那は山国で、動物性蛋白質は貴重であり故に…」
などと、いまだにまことしやかに言う人がいる。しかしこれはおかしい。
なぜなら、「山国で、貧乏で、動物性蛋白質が貴重で」なんて言う所は昔から日本全国どこにでもあったはずである。
事実「表2」のとおり昆虫食の習慣のあった地方のほとんどが山国であるが、ざざ虫を食べるのは伊那だけである。
どうやら「伊那は山国で、動物性蛋白質は貴重であり故に…」は、通用しそうもない。仮に伊那が日本でも有数のウルトラ貧乏地方であったとしても、伊那だけがざざ虫を食べる理由にはならないのである。
また、他の可能性を言えば、「天竜川上流域のざざ虫は特別おいしい」という理由も考えられる。前述のとおり「かねまん」のご主人、池上さんによれば「天竜川のざざ虫が一番おいしい」のであるが、これを証明することは難しそうである。
ただ前述の「飯島調査」により、ざざ虫を食べる事例、または過去に食べていた事例がある地域は、伊那地方を含む長野県下の25市町村であることがわかった。
ここで言う伊那地方とは、上伊那郡内10市町村プラス下伊那郡松川町であるが、この11市町村以外では、どうしてざざ虫食が廃れてしまったのだろうか。
これについて、私は考え方を変えてみた。それは、
「なぜ他の地方はざざ虫食が廃れたのか」
ではなく、
「なぜ伊那地方はざざ虫食が残っているのか」
である。
こう考えると実に早く解答にたどりついた。つまり、伊那地方にあってほかにない物を考えたのである。そして、それは土産物としてのざざ虫であり、それを買い付けて佃煮に作って売るを業者であった。
伊那市史には年末になるとざざ虫を売る行商人が昔はいたとあるが、それは戦時中のことだったらしい。(ただし、行商人は佃煮を売っていたのではない。生のざざ虫を売っていたのである)
戦時中の食糧難のころがざざ虫が最も捕られた時代だったようだが、それは当然のことと思われる。そして、それは伊那市のみならず伊那地方ではどこでも同様だったろう。
伊那地方以外の、ざざ虫食の事例報告のあった15市町村にかなり詳しい調査、例えば、アンケートの回答者に直接電話するなり、会いに行くなりしなければ結論づけることはできないが、その15市町村も戦時中は伊那と大差ない状況だったのではないだろうか。
つまり、程度の大小はあるにせよ、各地方で戦時中がもっともざざ虫が食べられたのではないかと思うのだ。
しかし、そういった多くの地方で食べられていたざざ虫が戦後の食糧事情の変化により食べられなくなった。
「飯島調査」によれば、ざざ虫食が過去にあってそれを失った地方は7町村ありそれを私は次の表にまとめた。これによればこの7町村の内、不明の2村を除く5町村が戦後にその習慣を失っていることが明らかである。
| 地方名 | ざざ虫食を失った町村 | 何年前に無くなったのか | その町村が何川流域にあるか |
| 長野県南安曇郡 | 朝日村 | 不明 | 奈良井川支流の鎖川流域 |
| 〃 | 梓川村 | 40年ほど前 | 梓川流域 |
| 〃 | 穂高町 | 10年ほど前 | 穂高川、高瀬川流域 |
| 長野県東筑摩郡 | 明科町 | 20年ほど前 | 犀川流域 |
| 長野県北安曇郡 | 八坂村 | 〃 | 犀川支流金熊川流域 |
| 長野県小県郡 | 東部町 | 〃 | 千曲川流域 |
| 長野県北佐久郡 | 北御牧村 | 不明 | 〃 |
(明科町ではざざ虫のことを「カー虫」と呼ぶ。川虫の意と思われる)
さて、前述したが「かねまん」がざざ虫を土産物として売り出し始めたのが戦後間もない昭和28〜29年である。
つまり伊那地方以外ではざざ虫食が廃れ始めようとしていた頃、伊那ではざざ虫が土産物商品になっていったのである。私はざざ虫が伊那地方に残った理由が正にそこにあると考える。
「なぜ伊那地方はざざ虫食が残っているのか」
その答えは繰り返しになるが、
「ざざ虫を買い付ける業者が伊那にはいたから」
である。
これによってざざ虫は商品となり、現在も伊那の産業の一つとしてざざ虫は流通し「ざざ虫文化」は続いている。
人間が地球上の各地で文明というものを起こして以来、私たち人間はいくつもの文化を生み出すと同時に、いくつもの文化を失ってきたと言える。
このサイクルは古いものを捨てて、より便利な新しいものを採用するときに起こる。これは現代文明に生きる私たちには実感しやすいものであり、そういった意味でも間違いなく昆虫食文化(習慣)もそのサイクルの一つである。
おいしいものがあふれる現在の飽食日本では、昆虫食をやめてしまうこのサイクルがここ20〜30年の間に各地で起こっていることは「牧田調査」でも「飯島調査」でも明らかである。
また、昆虫食として日本では最もポピュラーであるイナゴも、昆虫食王国長野県でさえ都市化の進む地域では廃れてきているのである。
こういった状況の中、伊那のざざ虫が廃れなかった理由は生活にざざ虫が組み込まれたからである。
それはざざ虫を扱う業者の生活であり、それを取りまく人々の生活である。
たとえ住民の内の一部しか関わりがなくとも、伊那の経済活動に、産業に、そして風物詩としても今やしっかりと組み込まれているわけである。
やはり文化とは「生活」と密接な関係になければおのずと廃れていくようだ。そう言った意味でも「ざざ虫は伊那の文化」と言わずして何と言おう。