千差万別 変幻自在
火の見櫓 の不思議な世界

 私が火の見櫓の不思議な世界にはまってしまったのは、平成17年(2005)の春だった。

 自転車のトレーニングで近くの峠、火山峠(ひやまとうげ)を越えたとき、この一本足の火の見櫓を何気なく見つけ、写真に納めたときから、火の見櫓のその不思議な世界に迷い込んでしまったのだ。
 とは言うものの、実は火の見櫓へ興味を持つきっかけはもっと昔にあった。
 平成12年の秋だったと思う。大阪の毎日放送「ごめんやす馬場章夫(ばんばふみお)です」というラジオ番組で、全国のきわめて個性的なホームページを紹介するコーナーがあり、ありがたいことに我が「まほら倶楽部」を紹介していただく機会に恵まれたのだった。
 「ネットぼらぼら」というそのコーナーであつかったHPは番組のホームページに掲載され、本当に個性的でおもしろいホームページ達がたくさん紹介されていたのだった(今は閉鎖されてしまった。残念)。


 ← 1-a 火山型 撮影地:長野県駒ヶ根市火山 撮影日:平成17年3月16日

 ところでこの番組「ごめんやす馬場章夫です」は、大阪では「知らない人はいない」と言われるほどの有名長寿番組で(31年間続いたその番組は2003年9月に終了)、この番組に取り上げられることはかなり名誉なことだと私が知ったのはずっと後のことだった。
 さて、この「ネットぼらぼら」で紹介された個性的なホームページの中に「火の見櫓っておもしろい!!」
 というページが紹介されており、大変興味を覚えたのだった。
 しかし、その件はしばらくして忘れてしまい、火の見櫓のことも忘却の彼方だった。

 ところがやはり頭の中のどこかで「火の見櫓」というキーワードが引っかかっていたに違いない。平成17年3月16日火山峠で見つけた一本足の火の見櫓によって、その不思議な世界にはまってしまったのだ。
 以来、写真を撮り貯めてくる中で自分なりのルールを決めて火の見櫓を分類してきた。
 以下は私なりの火の見櫓研究発表である。

(読んでいただいていればわかると思いますが、ハナシは実に生意気ですし、加えて実に大変理屈っぽくなります。が、私の性分なのですね。お許しください)


そもそも「火の見櫓」とは何か

 そもそも「火の見櫓」とは何か
 歴史的背景については前述の「火の見櫓っておもしろい!!」が詳しいのでココでは触れない。
 ココで言うところの「何か」は、私が調査して「何を火の見櫓として認定してデータに登録していくか」と言うことである。
 そこで私なりに次のように「定義」を整理した。


【火の見櫓の定義】
 登るためのハシゴ(階段等も可)があり、
 半鐘を下げる機能を持つ柱、鐘楼、櫓、または建物のこと。

 @「火の見」の機能である「鐘を鳴らす」機能を備えていなければ
  ならない。
  (鐘は取り外されていても、設置できる機能があればOK)
 A「櫓」であるのだから、高いところに鐘がなければならない。
  つまり、低い場所に鐘が設置されていても「櫓」とは言えない
  と思うのだ。
  ただし、高台や広場に設置され、集落に鐘の音が充分届く配慮
  がうかがえればOK。

 止めることのできない時代の宿命なのだが、現在では火の見櫓はその本来の役目を終え、かつて鳴らした ←「消防信号」によって災害の状況を地区住民に伝えることはなくなっている。
 かつて火の見櫓の任務であった災害状況等の報知は、現在全国どこでも「同報無線」により行われている。


 ※左の写真を見れば鐘の鳴らし方によっていくつもの信号
   があることがわかる。
   火災信号に「近火信号」「出場信号」「応援信号」「報知
   信号」「鎮火信号」とあるのが読める。
   この信号を今たたける人はいるのだろうか?


  ← 長野県上伊那郡宮田村中越2 消防信号看板
    4170402d
 現在、火の見櫓が担っている役割は、地区の消防団のホース干しの柱としての任務と地区の防災のシンボルである。
 しかし、その任務さえ与えられずにくず鉄のようになっている火の見櫓や、すでに撤去されてしまった火の見櫓など、その現在の境遇は千差万別である。
 また、山奥の廃集落に取り残され、森と一体化してしまっていた火の見櫓もある。
 かつては人々の生活と共にあった火の見櫓も今では忘れ去られた存在となってしまったのだ。
 今私たちは、ソコにあってもその存在をすっかり忘れている。それが、現在の火の見櫓なのだ。

「火の見櫓」は千差万別

 前述の通り、火の見櫓の境遇は千差万別である。しかし、それとは別に火の見櫓の本質、火の見櫓そのものの最大の魅力は、その形態がまさに「千差万別」であることである。
 私は構造上の違いをベースに火の見櫓を現在30種に分類している。
 基本的には1本足から4本足なのだが実に千差万別なのである。長くなるが以下に紹介したい。

一本足

 1-a 火山型

 撮影地:長野県駒ヶ根市火山

 撮影日:平成18年3月26日

 基本構造:
  1本足
  柱にハシゴ付
  踊り場有り


 冒頭に登場している「火山型」である。
 火の見櫓写真を撮り出すきっかけとなった駒ヶ根市火山(ひやま)の火の見櫓。火山で見つけたので「火山型」と呼ぶ。
 隣の「吊り下げ機」と支え合っているが、一体化として作られた物ではない。櫓自体は1本足。

 1-b 芦沢型

 撮影地:長野県上伊那郡
      中川村小渋温泉前

 撮影日:平成17年9月4日

 基本構造:
  1本足
  柱にハシゴ付き
  踊り場無し


 一本足をほとんど「火山型」にしていたが、1本足の多数出現により、人が乗れる「踊り場」の有無により型を分ける必要が出てきた。
 そこで最も早く踊り場無しの1本足を発見した芦沢の名を取って、踊り場無し1本足を「芦沢型」と呼ぶことにした。
 写真は「中川村小渋温泉前」のもの。
 1-c 大萱型

 撮影地:長野県伊那市
      西箕輪大萱

 撮影日:平成17年4月21日

 基本構造:
  1本足
  柱とハシゴが別
  最上階あり


 この柱には「入ることができない」。だから1本足。
 柱とは別ににハシゴがついている。
 この1本足は鉄骨組の三角柱だが、1本足の柱の形態は今後様々な形態を見るだろう(いや、見たいと願うのだが)。伊那市大萱で発見したので「大萱型」と呼ぶ。
※「踊り場」と「最上階」と「中二階」
 「1-a 火山型」のように柱から(櫓の縦のラインから)横に出ている物を「踊り場」
 「1-c 大萱型」や「3-a 桜井型」や「4-a 車屋型」のように柱(櫓の縦ライン)
 に乗っかっている物でてっぺんにある物を「最上階」
 最上階の下にラインに乗った状態である足場を「中二階」と呼んでいる。
 1-d 本村型

 撮影地:長野県駒ヶ根市
      大曽倉本村
 撮影日:平成17年7月13日


 基本構造:
  1本足
  ハシゴなし
  最上階、踊り場なし

 初めて人の背より低い火の見櫓である。
 本体は低くとも丘の上にあり、そこへ登るためのハシゴも丘への斜面にあり(もうほとんど朽ちているが…)、しかも、消防信号看板も付いている。
 間違いなく火の見櫓である。駒ヶ根市本村で発見したから「本村型」と呼ぶ。

 私のコレクションの中で最も美しい写真なので大きくしました。

二本足
 2-a 小淵沢型

 撮影地:長野県
      伊那市手良辻

 撮影日:平成18年1月12日

 基本構造:
  2本足
  要するにハシゴ
  が立っている物
  最上階、踊り場なし


 2本足を初めて見つけたのが山梨県小淵沢町だったので「小淵沢型」と呼ぶ。
 現在、2本足はこの型しか発見していない。安定性から言って踊り場付きは無いのではないだろうか??

三本足
 3-a 桜井型

 撮影地:長野県伊那市
      富県桜井

 撮影日:平成17年4月10日

 基本構造:
  3本足
  最上階までハシゴ外付け

 3本柱で最上階までハシゴ外付けのタイプ。中二階無し。
 最初に写真に納めた伊那市富県桜井からとって、「桜井型」と呼ぶ。
 上伊那では小さいかわいいタイプに多いが、松本、大北地方では大きい物もある。
 ごらんの通りこの桜井型は柱が曲がっている。けっして写真の具合ではない。

 3-b 箱畳型

 撮影地:長野県駒ヶ根市箱畳

 撮影日:平成17年4月2日

 基本構造:
  3本足
  一つのハシゴが外付けで
  最上階まで。中二階有

 3本柱で最上階までハシゴ外付けタイプ。しかも、「最上階までハシゴ外付けタイプ」なのに中二階があるという珍しいタイプ。
 初めてみた「駒ヶ根市箱畳(はこだたみ)集会所」からとって、「箱畳型」と呼ぶ。
 箱畳周辺で数基あるがその他では見つかっていない。

 3-c 非持山型

 撮影地:長野県上伊那郡
      長谷村非持山第4組

 撮影日:平成17年7月28日

 基本構造:
 3本足
  第1、第2ハシゴ外付け
  踊り場有り

 踊り場まで登るはしご(第1ハシゴ)外付け。踊り場から最上階までいくハシゴ(第2ハシゴ)も外付けのタイプ。
 長谷村非持山集落で見つけたので「非持山型」と呼ぶ。
 しかし、今のところ同型は見つかっていない。

※ハシゴが複数ある場合、下のハシゴから
 第1ハシゴ、第2ハシゴと数えることにしている。

 3-d 北小倉型

 撮影地:長野県南安曇郡
      三郷村北小倉
 撮影日:平成17年6月17日

 基本構造:
 3本足
  第1、第2ハシゴ内付け
  中二階有

 この櫓は4本足で言えば「神戸型:4本足 車屋型 第1ハシゴ内付け」である。
 火の見櫓における「長野県内三本足文化圏」の松本平、三郷村北小倉にての新発見であるから「北小倉型」と呼ぶ。
 後述するがこの地区では「鐘」ではなく「鉦」も発見している。
 3-e 雨沢型

 撮影地:長野県上伊那郡
      辰野町雨沢
 撮影日:平成17年9月11日

 基本構造:
  3本足
  第1ハシゴ外付け
  第2ハシゴ内付け
  中二階有り

 長野県上伊那地方における4本足のレギュラータイプ「4-a 車屋型」の3本足版である。
 つまり、中二階までは外付けハシゴで、その上は内付けハシゴで登るタイプである。
 上伊那郡辰野町雨沢で発見したので「雨沢型」と呼ぶ。
 このタイプは松本平で見つけるものと思っていたが、実際見つけたのは上伊那地区内だった。

 3-f 小倉型

 撮影地:長野県南安曇郡
      三郷村小倉
 撮影日:平成17年6月17日

 基本構造:
  3本足
  中二階無し
  ハシゴ内付け

 この櫓は4本足で言えば「梨の木型:4本足 中二階無し ハシゴ内付け」。
 その型式が3本足になったもの。三郷村小倉にての発見であるから「小倉型」と呼ぶ。

 
 3-g 中堀型

 撮影地:長野県南安曇郡
      堀金村中堀

 撮影日:平成17年6月17日

 基本構造:
  3本足
  中二階2つ
  ハシゴはすべて内付け

 この櫓は4本足で言えば「金鶏型:4本足 車屋型の中二階2」である。
 その型式が3本足になったもの。
 堀金村中堀にての発見であるから「中堀型」と呼ぶ。
 どんなに大きくても3本足を堅持する「松本平3本足文化圏」の盟主とも言える大きさである。
 3-h 穴山型

 撮影地:山梨県韮崎市穴山
 撮影日:平成17年4月16日

 基本構造:
  3本足
  変形三角錐の頂点に鐘
  櫓の骨組みの中にハシゴを
  組み込んでいる。


 ハシゴとその正面にあるほぼ垂直に立つ2本の柱をそのまま延長したその交点は上空でひとつに交わり、変形三角錐を形成している。
 ハシゴはあくまで1本の柱となっており、3本柱で形成する三角錐の頂点に鐘楼の最上階が乗っている形を作っている。
 山梨県韮崎市穴山(17.4.16)にちなんで「穴山型」と呼ぶ。
 今のところ同型は他に見つかっていない。

 3-i 飯島型

 撮影地:長野県上伊那郡
      飯島町飯島
 撮影日:平成17年8月13日

 基本構造:
  3本足
  ハシゴ外付け
  踊り場有り

 この櫓は踊り場が横に付いているので「火山型」と言えるし、ハシゴが柱にくっついていないので「大萱型」ともいえる。しかし、柱の中に人が入れるので1本足ではなく3本足である(ホースの巻き上げ機が柱の中にある)。ホース干し柱に火の見櫓の機能をくっつけた「新山型」に分類することも考えられる。
 悩んだ末に最終的には「火山型」「大萱型」「新山型」3種複合型の、「飯島型」として新型に認定した。
  
 3-j 神代型

 撮影地:長野県諏訪郡
      富士見町神代
 撮影日:平成17年4月16日

 基本構造:
 3本足
 ハシゴ櫓(2本足)に1本の支柱

 ハシゴを立ててその支柱を加えて3本足となっている。
 2本足か?とも思われたが、ハシゴを支える支柱がありそのハシゴの傾斜を見ても3本足と判断する。
 富士見町神代で初めて見たので「神代型」と呼ぶ。
 今のところこの神代の近辺でしか発見していない。
 3-k 郷原型

 撮影地:長野県塩尻市郷原上
 撮影日:平成17年11月14日

 基本構造:
 3本足
 櫓自体がハシゴとなっている

 3本足の櫓を構成して支える鉄骨をそのままハシゴにしてしまったタイプである。
 平成17年5月27日に発見した「17.5.27r 中川村飯沼」の「飯沼型」の3本足版である。
 例によって発見した塩尻市郷原上にちなみ「郷原上型」と呼ぶ。

 

四本足
 4-a 車屋型

 撮影地:長野県伊那市
      東春近車屋
 撮影日:平成17年12月17日

 基本構造:
 4本足
 第1梯子外付け
 第2梯子内付け
 中二階有り


 中二階まで登るはしご(第1ハシゴ)は外付け。中二階から最上階までいくハシゴ(第2ハシゴ)が4本の柱の中にある内付けのタイプ。
 この形状が長野県上伊那における火の見櫓のもっとも代表的な形式である。
 この代表的形状の火の見櫓がを私が住む車屋集落にもあるので、この代表形式タイプを「車屋型」と呼ぶことにした。
 上伊那の火の見櫓は上に行くほどに引き締まる優美なカーブが特徴である。

 4-b 大泉新田型

 撮影地:長野県上伊那郡
      箕輪町松島南町
 撮影日:平成17年4月19日

 基本構造:
 4本足
 櫓の股下にポンプ小屋有り
 第1ハシゴ外付け
 第2ハシゴ内付け
 中二階有り

 櫓の股下にポンプ小屋を設置しているタイプを伊那市大泉新田(おいずみしんでん)に始めてみた。よってこのタイプを「大泉新田型」と呼ぶ。
 がに股形で股下のポンプ小屋があっただろう型式(つまり、今は小屋が無くとも小屋があったことが予想されるスペースの空いているものの型式:南殿や三ヶ日)もこの型式に含めている。

 4-c 梨の木型

 撮影地:長野県伊那市
      西箕輪梨の木

 撮影日:平成17年4月7日

 基本構造:
 4本足
 中二階無しハシゴ内付け

 中二階無し。4本柱の内側に最上階までのハシゴがついているタイプ。
 初めてみた伊那市西箕輪梨の木(なしのき)からとって、「梨の木型」と呼ぶ。
 4本足の中でも比較的小型のタイプに多い。

 4-d 金鶏型

 撮影地:長野県上伊那郡
      箕輪町松島
 撮影日:平成18年1月12日

 基本構造:
 4本足
 車屋型の中二階2つ
 第1ハシゴ外付け
 第2、第3ハシゴ内付け


 基本形としては車屋型なのだが、中2階が2つある。
 茅野市の「金鶏の湯」近くで発見したので「金鶏型」と呼ぶ。
 写真は最上階に「個室」がある大変珍しいタイプ。
 想像するに通常の火の見櫓と違い、この火の見櫓は昔消防署にあった火災警戒のための「望楼」として使われていたのではないか?
 4-e 金沢型

 撮影地:長野県茅野市金沢
 撮影日:平成17年4月16日

 基本構造:
 4本足
 ビル用鉄骨組


 ビル建設用と思われるの大きな鉄骨で全くの曲線無しに組まれた型。
 茅野市金沢で発見したので「金沢型」と呼ぶ。
 材料鉄骨の大きさから見てクレーンを使って作られたと思われ、多くの火の見櫓に見られる人力で持ち上げられる程度の鉄骨の組み合わせの櫓とは明らかに違う。
 作られた年代は新しい物と思われる。
 各地で見かけるが私的な感想では、味も素っ気もない実におもしろくない火の見櫓である。
 
 4-f 神戸型

 撮影地:長野県上伊那郡
      辰野町羽場
 撮影日:平成17年4月19日

 基本構造:
 4本足
 第1、第2ハシゴ内付け
 中二階有り

 形としては車屋型。だが、第1ハシゴが内付けとなっている点が違う。
 発見した長野県諏訪郡富士見町神戸(ごうど)にちなんで「神戸型」と呼ぶ。
 この型はとてもスリムで背が高く、中二階が一つのタイプに多い。
 中二階まで登るのに高いので、外付けハシゴより、内付けハシゴの方が安心感がある、と言ったところだろう。
 それにしてもこの美しいフォルムは秀逸である。
 4-g 高座石型

 撮影地:長野県諏訪郡
      富士見町下蔦木
 撮影日:平成17年4月16日

 基本構造:
 4本足
 ハシゴ2本あわせ型


 今まで見た4本足では最小の型。ハシゴを2本合わせた形なので、登るハシゴが2本あることになる。
 富士見町下蔦木で初めて見たのだが、この近くに日蓮上人が立ち寄ったという「高座石」という史跡があるので高座石型と呼ぶことにした。
 4-h 新府型

 撮影地:山梨県韮崎市新府
 撮影日:平成17年4月16日

 基本構造:
 4本足
 最上階までハシゴ外付け
 中二階無し

 4本足で最上階までハシゴが外付けの型で、山梨県韮崎市新府で発見したので「新府型」呼ぶ。
 写真は屋根がない珍しいタイプ。
 作り方から見て比較的新しい物と思われるが、その際に昔からの屋根付きを否定して作ったんではないか、などと想像してしまう。 
 4-i 飯沼型

 撮影地:長野県上伊那郡
      中川村飯沼
 撮影日:平成17年5月27日

 基本構造
 4本足
 櫓自体がハシゴとなっている

 4本足の櫓を構成し支える鉄骨をそのままハシゴにしたタイプ。
 はじめ「あれ?ハシゴは?」と思ったが、最下段に三角突起の「足場」を付いており、そこが最初の足がかりとなっている。
 「韮崎市穴山型」も櫓自体にハシゴを組み込んであるが、この型や3本足の郷原上型は、組み込まれたハシゴではなく「櫓自体を登っていく」感じなのだ。
 発見した中川村飯沼にちなみ「飯沼型」と呼ぶ。


その他の形
 5a 本町型

 撮影地:長野県上伊那郡辰野町本町
 撮影日:平成17年5月30日

 基本構造:建物の上に櫓がある


 実は建物の上に火の見櫓が乗っているタイプは、山梨県小淵沢町公民館小淵分館で出会ったので、初めは「小淵沢型」と呼んでいた。
 しかし、小淵分館の上に乗っていたのは初の「2本足」だった。つまり同時2種の発見により、2種を地名で分けることができなくなってしまったのだ。
 しばらく困っていたのだが、あまりに立派なこの「本町」を発見したので、建物の上にある型式を「本町型」と呼び、「2本足」を「小淵沢型」と呼ぶことにした。
 以後。、建物の上に様々な型式が乗るものと予想されるので、「本町型+○○型」と表記している。
 ちなみに、この火の見櫓は「本町型+金鶏型」である。
 5b 新山型

 撮影地:長野県伊那市富県新山
 撮影日:平成17年4月10日

 基本構造:
 ホース乾し柱等に登る機能、鐘を吊す機能
 をくっつけたもの

 伊那市富県新山地区に発見したので「新山型」と呼ぶ。
 この新山ではホース干し柱に
  火の見櫓の機能
   @登る機能:ハシゴ
   A鐘を吊す機能:横バー&フック
がくっついているが、その他の物に「火の見櫓機能」が付けてあっても「新山型」と呼ぶことにする。
 5c 岡谷市本町型

 撮影地:長野県岡谷市本町南信号横
 撮影日:平成17年11月15日

 基本構造:建築物の最上階

 鉄骨を組んだ櫓ではなく、建物の最上階に見張り台と鐘が備わっている物。
 岡谷市の本町南信号機横で発見したので「岡谷本町南型」と呼ぶ。
 5d 南宮級

 撮影地:長野県上伊那郡箕輪町木下南宮神社
 撮影日:平成17年4月12日

 基本構造:超弩級


 現在調査した櫓の中では文句なしの最大櫓。
 基本構造を「超弩級」と表現するのは当然おかしなもので、構造的には「金鶏型、中二階3有り」となる。しかし、この大きさの前にはそんなことはどうでも良くなる。とにかくデカイ。こんなにデカイ物は他にない。
 隣に見える建物が2階建てだからわかると思うが、この南宮級はナント5階建てに相当する。
 「箕輪町木下南宮神社北隣接」に敬意を払い、「巨大火の見櫓」を所在地の南宮神社にあやかり「南宮級」と呼ぶ。
 「型」ではない「級」である。つまり、この南宮級と同等と思われるものは「南宮級」、コレを越える物は「超南宮級」となる。
 が、この南宮級を越える火の見櫓は無いのではないかと思っている。
 5e 竈神社型

 撮影地:長野県大町市竈神社
 撮影日:平成18年11月5日

 基本構造:石塔の上に櫓がある


 石塔の上に櫓が乗っている。側面に「大正御大典記念」とあるので、大正天皇即位の儀に作られたのだろう。
 その反対側には「修復寄進者福島幸重 昭和三十五年九月九日」と言う石碑があるところから、大正年間に建てられた櫓が何らかの理由で(戦時中の金属供出とかが考えられるが…)無くなっており、それを昭和35年に修復したという野田はないだろうか。
 石塔式の物は長野県大町市竈(かまど)神社にて初めて発見した。よって「竈神社型」と呼ぶ。


なぜ「火の見櫓」は千差万別なのか

 私が火の見櫓を分析する項目は16項目ほどあるが、その中に「プレートの有無」がある。
 さらにプレートの内容は「制作者(業者)」「寄進者」そして「製作年」に分類されるのだが、この「製作年」により私は「なぜ火の見櫓は千差万別なのか」を考察した。
 上の円グラフは上伊那における製作年度のあるプレートの分類である。
 この時点(平成17年10月1日)でのデータでは、下の円グラフの通り上伊那地方内の調査総数279基の内、製作年のあるプレートは34。
全体の12.2%である。
 それでもこの製作年代の分類と火の見櫓の造りにより、こんな考察ができる。
製作年プレート
34
245
合計 279
 製作年代からの考察
 ほとんどの火の見櫓、全体の70%の火の見櫓が昭和30年代に製作されており、20年代と40年代を入れると85%にもなる。
 さて、この年代に火の見櫓を造っていたのは町の鉄工屋さんである。かつてこの時代にはどこの町にも小さな鉄工所があり町の火の見櫓は鉄工屋さんが請け負って造っていた。残されたプレートは今は無き鉄工所の名前がほとんどである。
 そんな時代に作られた火の見櫓たちは、その時その時、発注された時にある材料でその時の鉄工所の職人のフィーリングで彼らの意匠を残す形で作られている。
 つまり、だいたいの型は決まっていても「取っ手の付け方」や「手すりの模様」または「屋根のトタンの組み方」などの細部はその時作った職人のノリなのだろうか微妙に形が違うのだ。

4170512b 伊那市下新田
製作者:駒ヶ根市山浦鉄工
製作年月:昭和37年3月
4-a 車屋型

47170714e 駒ヶ根市下平垣外
製作者:駒ヶ根市山浦鉄工
製作年月:昭和35年9月
4-a 車屋型
 上の写真は同じ製作者(駒ヶ根市山浦鉄工)が作った同じ「4-a 車屋型」であるが、ごらんの通り手すりの形状が違う。
4170520c 伊那市西春近表木
製作者:不明
製作年月:不明
3-a 桜井型
4170520d 伊那市西春近表木
製作者:大野鉄工
製作年月:不明
3-a 桜井型
 上の写真2枚は、同じ集落内にある同型(3-a 桜井型)の火の見櫓である。“全身”を見ればごらんの通り“背格好”は全く同じである。しかし、上部を見比べると「屋根飾りの形」「屋根の形」「手すりの形(高さも)」「吊り上げ機の有無」に違いが見て取れる。
 この2つの火の見櫓は数百メートルしか離れていない。同じ集落内なら同じ物を作ればよいのにと思うのだが…。
 以上の4基はわかりやすくするため一目で違いがわかるものを掲載したが、一見同じ物でも細かいところの違いが火の見櫓にはあり、そこに「手作り」を感じさせるものがある。
 ノリ、と言ったら言い過ぎの部分もあろうかと思う。つまり「発注者の意向によりその場その場で形を変えて要望に応えた」部分も多分にあろうと思われるからだ。
 それは上の写真のように同じ製作者なのに手すりの模様が違う例でも明らかと思う。
 言い方を変えれば、現代に火の見櫓を各地で造るとすると、今の時代では大手商社や大手鉄工会社が一手にその需要を引き受けてしまい、そこの営業マンが
 「さようですね、お客様のお考えとご予算ではこの型がよろしいかと…」
などと、火の見櫓のカタログを見せ、どの地区で作ろうが大きさこそ予算により違うとしてもほぼ同じ型の火の見櫓が並んでしまうに違いないのだ。
 しかし、そんな「カタログ」など無かったであろう時代では、
 「だいたいこんな感じですな」
からはじまって、基本形はあるものの細部は発注者の意向と職人のその時のフィーリングで作られたのではないだろうか。
 それはまさに大量生産品にはない「手作り」である。コレが
火の見櫓「千差万別」の要因だと考える。
 つまり、町の鉄工所の製作だからこそ千差万別のオーダーに応じることができ、職人の手作りだからこそ細部に違いが出てくるのだ。
 逆に昭和50年代作製の物は画一化され版で押したような同型の火の見櫓が登場することとなる。
4170708b 駒ヶ根市中曽倉
製作者:金丸松井鉄工
製作年月:昭和51年6月4日
1-b 芦沢型
4170708d 駒ヶ根市丸山
製作者:金丸松井鉄工
製作年月:昭和51年6月4日
1-b 芦沢型
 上の2つは工場で同じように作られた物が現場に運ばれてそれぞれ建てられたと想像する。
 昭和50年以降と昭和20〜30年代では材料の運搬事情にも大きな違いがある。というのは、20〜30年代では現在のような大型の運搬車両はなく比較的細かな(人間1〜2人が運べるような)部材を現場に運びその場で組み立てられたものと考えられる。
 しかし、現在に近づくに従って運搬車両は大型化し大きな部材も一気に運べ、しかも自走できる大型クレーンの登場により人間の力ではどうにもできない大きさの部材も扱いが可能・容易となり、火の見櫓を造ると言った類の作業は省力化、短期間化が進んだわけである。
 となると、効率化からいっても「規格化」「均一化」「標準化」が進み新しい時代に作られた火の見櫓ほど「没個性化」が進むのである。こうなってしまうと溶接工など職人達の意匠、つまり、デザインや美的感覚はもはや入り込む余地はなくなってしまうのだ。
4170708f 駒ヶ根市「学校上」
バス停前(中沢小)
製作者:金丸松井鉄工
製作年月:昭和52年6月17日
2-a 小淵沢型
4170713a 駒ヶ根市大曽倉
製作者:金丸松井鉄工
製作年月:昭和51年10月31日
2-a 小淵沢型
 製作年が判るものでは上の4つ(50年代に金丸松井鉄工が造った物)が「規格化」「均一化」「標準化」の見え始める物である。型をはめて造られたような繋ぎ目のない作り方から、工場で作られてここで立てられたと想像する。
 これだけ大きな物を運んでこられる時代になったときに、火の見櫓から「職人性」が無くなっていったのだと私は考える。
 火の見櫓の研究は始めたばかりであり、どうもこの先も果てしなく深いと思われる。
 実際、このページを作るにあたってデータ収集から考えると約1年10ヶ月が費やされている。
 ということで、とりあえずこの程度で今回のレポートは終了とし、皆様のご意見をお待ちしたい。(意見が来るのかはわからないけれど…)

写真を撮った火の見櫓数
436基(平成18年12月1日現在)


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