さよなら木島線

 
 

木島線という名称は通称名であり、河東線(屋代~木島間:50.4Km)のうち、 信州中野~木島間(12.9Km)を指す。 河東線は元々は長野電鉄の前身である河東鉄道の路線として敷設。 先ず屋代~須坂間が大正11(1922)年6月に開通、次いで須坂~信州中野間が大正12(1923)年3月に開通した後、 木島線区間は大正14(1925)年7月に開通。当初は蒸気牽引であったが翌大正15年1月には電化された。 その後、河東鉄道は大正15(1926)年9月の長野電気鉄道との合併により「長野電鉄株式会社」となった。 列車の運行は山の内線及び権堂~長野間開通を経て路線がほぼ今日の姿となった。

 戦後の一時期、野沢温泉や木島平スキー場の玄関口としても期待され、 国鉄からの直通列車や長野からの直通特急が走ったこともあった。

 2002年3月末の廃線により、木島線は77年に及ぶ歴史を閉じた。北信濃の歴史と文化を支えてきた 「長野電鉄・木島線」の記録。