須沼神明社四百年祭・棟札公開 が行われます。
 のどかな田園風景の中にひなびた佇まいをみせるこの神社は、長野県大町市常盤須沼の産土(うぶすな)神社で、
大糸線・安曇沓掛駅から北へ歩いて10分、信濃常盤駅からは南へ20分ほどの距離に位置しています。
 創建は鎌倉時代初期と考えられています。江戸時代に入るまでは穂高神社の末社との記録があり、
また、東の山の宮本地区に鎮座する国宝・仁科神明宮とのつながりも深いとされています。
昔は例大祭時に奉納された『須沼歌舞伎』が有名だったそうです。須沼歌舞伎を調べてみますと、
地狂言とか田舎芝居とかの類のもので、明治の後期に須沼神明社の前宮を造ったときに初披露され、
昭和の初めに不景気で一旦中断されたものの、戦後再興しましたが、昭和32年頃には再び中断されて
しまったとの記録が残されていました。
大町市には、獅子舞の類は各地に残っていますが、歌舞伎と呼ばれるものはこの『須沼歌舞伎』のみのようです。
(北安曇の神社、大町市誌より)

 白馬三山を冠に鎮座する須沼神明社の鎮守の森。とにかく北アルプスが荘厳で美しい

 『須沼の一本桜』の右奥に鎮座する鎮守の森の須沼神明社。その向こうには北アルプスが雪を頂く


 拝殿は狛犬に守られ、古いながらもきちんと掃除されて
 います。 この奥には神明造の本殿があります。
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 社務所の左奥に鎮座する小宮七社。
 左から三崎社、稲荷社、秋葉社、八幡宮、春日社、
 八王子社、天満宮
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   須沼神明社四百年祭・棟札公開 が行われます。
 現存する最古の棟札(写真)に『當社神明宮・元和三年(1617)』とあることから
400年を一つの区切りとして、これらの棟札公開を行うことになりました。
 平成28年の春祭のときの突風で鳥居東の檜の大木が倒れまして、その根元付近を
灯篭に仕立てて奉じた氏子が年輪を数えたところ、空洞部も予測すると500年以上とのことで
創建はもっと古いようです。

 郷土の篠崎健一郎先生の本に「いま須沼のお宮はアマテラス大神を祭る神明社であるが、
江戸時代に入るまでは穂高神社の末社であったことは、文明十五年(1483)の三宮穂高社御造
宮定日記に『御荒垣一方半菅沼郷所役十五日』とあることや、文禄年間(1592〜1595)の記録
に『二五八石八斗二升須沼村此内一石大明神領』とあることからも判る」
という記述があることから、
存在している須沼のお宮に、何が元和3年に起こったのかは明確ではありませんが、
元和三年に、當社神明宮トス 』という一説があります。
江戸時代に入るまでは須沼神社と呼び、江戸時代に入って仁科神明宮のつながりができて
天照皇大神を祀って神明宮と名乗ることになった、との解釈です。
 正に元和3年は、徳川2代秀忠の時代であり、江戸時代が家康から安定してきて数年目
ということで篠崎先生の記述とも整合性が取れそうです。
 従って、元和3年は須沼神社から須沼神明宮に改名、即ち祀神を新たに天照皇大神として
奉じた年ではないか、という説も信ぴょう性を帯びてきます。
としますと、「天照皇大神奉齋四百年」ということにもなるかもしれません。
(『天照大神』ではなく伊勢神宮,仁科神明宮の方の『天照皇大神』です)
    
    現存する最古の棟札

 さらに別の棟札を小林先生に読み下していただきますと、
「〜略〜 新神殿乎造 あらたにかみどのをつくり 月替立神寶御装束乎 つきかわりたち かむたからおんしょうぞくを 餝調天 かざりととのえて殊尓波是吉日良處乎擇定天ことにはこれのよきひよきところをえらみさだめて 遷鎮うつりしずまるを
(続きは棟札公開で実物をご覧ください)」 

 いにしえに思いをはせながら、そして、100年後の子孫に夢を託しながら、
厳かに祭事を執り行う予定です。
 日程は、6月27日(火)午後4時〜8時に棟札公開、神事は5時半頃からとなります。

 尚、氏子の皆様にはご案内の通り、午後6時から形代のお祓いを行い、
記念の日本手拭いを千円の初穂料でお配りする予定です。
数に限りはありますが、一般の皆様にも早めにお越しいただければお譲りできると
思います。
その際、當社宮司のお心遣いで「形代」の用意をして頂けることになりましたので、
この機会に一般の皆様にも「夏越の大祓い」をお受け頂きたくご案内いたします。
    
記念手拭いの案

 前宮の屋根にあった大きな鬼瓦(明治時代のもの)

 平成28年の夏越大祓式の茅の輪

 平成28年の春祭・祈年祭のときの突風で倒れた記念のヒノキ灯篭