伊那のあじさい寺 深妙寺


仏教用語あれこれ

阿弥陀仏について!

無量寿とか無量光と漢訳され西方極楽世界を主宰される仏様と言われています。日本では、平安時代末期に浄土信仰が盛んになり阿弥陀さまが人々の心をとらえました。中世の人々は死後の世界に寄せる関心が比重を占めたのでその信仰を集めたとも言われています。 今の時代でも死をどうとらえるかは、宗教の重要な課題のひとつと言えそうです。死と言う避けて通れない宿命について考えることは、この現実世界をいかに生きるべきかの「ヒント」になるはずです。

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色即是空について!

般若心経に「色即是空 空即是色」という有名な仏教用語があります。こういう仏教の発想が実に面白いと思います。相反するものがひとつであるというのです。この接点が仏教の中道に通じていくのではないでしょうか。 確かに私たちの心の中には限りない迷いの世界である「色」とお釈迦様に限りなく近い悟りの世界である「空」とがあるのです。二つが同居していると言ってもよいと思います。 上手く言えないけど「悟りと迷いが同居しているのが人間の心なんだ」と考えると生きていくことも楽になりませんか。

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忍土について!

忍土と言う仏教の言葉にも魅力を感じます。仏教で「土」という言葉は「生活する場所」をさすそうです。ですから、この私たちの生活している場所は「耐え忍ぶ所」であるというのです。まさしくその通りではありませんか。私たちの生活している場所は四苦すなわち「生老病死」との戦いの場所でもあります。 でもこの忍土をそのまま「宝土」にしていくのが「仏教」です。浄土にしていくと言ってもよいと思います。そう考えると「忍土即浄土」にしていくのが仏教でもあると言えます。 私も、この「生活の場」(忍土)をそのまま「救われる場」(浄土)にしていくべく頑張り抜きたいと思います。

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発心について!

私たちが新たにことを起こそうとする意味で「発心」という言葉が使われています。 本来は仏教の用語で「菩提心をおこす」ことで「発菩提心」(ほつぼだいしん)の略であります。そして、初めて仏心をおこすことを「初発心」と言います。 この「初発心」という言葉が大好きです。恥ずかしいのですが私の初発心が何時であったのか分からなくなってしまいました。 こういう言い回しはないかも知れませんが「時々の初発心」ということが私には大切であると思います。折りに触れて自らを見返し懺悔しないといけないと思うのです。いつも新鮮な心で仏教の中に生きたいものです。たとえ、未熟者ではあっても、お釈迦さまの教えを戴き法を求めていく「まじめな求道者」に近づいていきたいものです。

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法事について!

「法事」といえば「死者の追善供養」の儀式をさす言葉として今も使われています。「先祖供養」も仏教徒として大切な善行のひとつではないでしょうか。今は亡き人も確かにこの世に存在し活躍されていたのです。そのお徳を戴きご労苦に感謝することは極めて意義のあることと思います。そして、この法事を通して、私たちが明日に生き抜く力を戴く機会になれば最高です。 今の日本に犯罪が多いひとつの要因は、そうした宗教心の欠如にあるのではないでしょうか。こうした宗教心が人間の心を豊にしていくものと信じて、法事に伺わせてて戴いております。

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塔婆について!

お釈迦様が亡くなられて荼毘にされ、そのご遺骨を「仏舎利」と言っています。仏舎利は8等分され、それぞれの国の王さまがお釈迦さまをお慕いする塔を建てて供養されたと言われています。この塔に仏舎利を安置したのです。そして、この仏舎利塔を礼拝し、お釈迦さまのお徳を偲んだのです。これが卒塔婆(そとうば)つまり塔婆の始まりだと言われています。 日本では三重塔・五重塔・七重塔などがありますがこれは本来お釈迦様のお墓を意味します。 こうした経過を踏まえますと、お家のお墓のお石塔は「我が家のご先祖さまのお徳を戴く心の広場であります。そして、塔婆の供養はお盆とかお彼岸とか言う先祖供養の節目を通して、ご先祖様の成仏とお徳を戴く尊い機会でもあります。

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位牌について!

仏教であれば位牌を仏壇にお祀りするのが当たり前のように考えられております。しかし、日本で位牌を造るようになったのは鎌倉時代以降のことだと言われます。しかも、位牌の起源は儒教なのです。本来、位牌は死者の位階(身分・家柄・業績)を示すものでした。日本で位牌が庶民の間に普及したのは江戸時代になってからです。 仏教もこのようにヒンズーや儒教の影響を受けていることが多いのです。他の宗教の影響を受けることもよいことだとも言えそうです。なぜなら、仏教に広がりと包容力がある証ではないでしょうか。このように、おおらかで包容力のある仏教が私は大好きです。

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仏壇について!

インドでは土を盛り上げて祭壇としました。だから、土偏の「壇」を使います。飛鳥時代にすでに仏壇はあり、尊崇するご本尊をお祀りし信仰のよりどころとしたのです。 位牌が日本で登場してきたのは鎌倉時代からのようです。位牌の形式が整った形になったのは、江戸時代と言われています。 この頃は、身内のお方がご家庭で始めて亡くなられると仏壇を新しく安置します。しかし、本来の意味からいきますと、仏教徒であるならば位牌をお祀りされなくても、仏壇を安置するのが正しいのです。そして、その中心には礼拝の対象であるお釈迦様の尊像や阿弥陀さま・曼荼羅などをお祀りし、信仰を深めていくことが仏教徒としての理想です。

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飲酒について!

私はお酒が大好きです。飲酒を「おんじゅ」と仏教では読ませます。呉音を重んじるからです。 初期のお釈迦様の教団で「不飲酒」はなかったそうです。しかし、教団の中にはお酒で失態を演ずるものも出てきてしまいました。仕方なく、「不飲酒」を戒律の中に加えたようです。 真言宗を開かれた弘法さまは「酒は是治病の珍」といわれ、上手にお酒を利用することを勧めておられます。 日蓮さまも「濁り酒を戴いたお礼」のお手紙があるくらいです。身延の山中ではお酒で体を温められたようです。 こうした事実をふまえると、お酒と上手にお付き合いをしていくことはむしろ生きていく智慧ではないでしょうか。

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十界について!

十界(じっかい)という仏教用語はお聞きになられたことがあると思います。私たちの生活の場を十種に分けて考えます。すなわち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏をいいます。最初の6つを六道といって迷いの世界です。ともすると、私たちはこの世界を巡っているともいわれます。 後の4つ(声聞・縁覚・菩薩・仏)を四聖(しせい)と言います。私たちは、この生活の場で仏教をどこまでも信じ精進すれば四聖の境涯を得ることもできるといわれています。

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仏子について!

仏子(ぶっし)私たち仏教徒はみな「仏の子」と言われます。お釈迦さまの教えに従って仏道修行をすれば仏果を得られるから「仏子」と言うのだそうです。 また、お釈迦さまの法華経のみ教えには「悉是吾子」(悉く是我が子なり)とあります。お釈迦さまをお慕いする私たちを迎え入れて、優しく包んで下さるのがお釈迦さまなのです。私はこの「悉是吾子」という言葉が大好きです。

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節分について!

本来「節分」という言葉は仏教の用語ではないと思いますがあげさせて戴きました。四節季と言いまして立春・立夏・立秋・立冬は春夏秋冬の節目であります。日本人はこの節目に「明日をよりよく生きたい」との願いから節分の行事をしたようです。ですから、一年に4回節分の行事をしたのです。 その中で一番大切なのはなんと言っても「立春」です。農業国であった日本人は、待ちこがれた「春の到来」を共に慶びとし「今年も豊作でよい年になりますように」と神仏に願ったのです。 今も多くの寺社で盛大に「節分会」が行われています。あじさい寺もこの「節分会」の行事を催しています。今年一年の無病息災を「お釈迦さま」にお祈りしています。そして、心の中にある「邪気」を払い出す意味で盛大に「豆まき」を致します。 多くのお寺の行事の中で「明日も逞しく生きることをみ仏に誓い合う」清々しい「節分会」が私は大好きです。

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仏様について!

明けましておめでとうございます。本年も宜しくお導きの程をお願い申し上げます。 さて、私たちの生活の中でよく使われている言葉のひとつに「仏さま」と言う言葉があります。ご先祖さまは悟られておられる、成仏しておられると考えて「仏さま」と言ったりします。 しかし、本来の意味は「お釈迦さま」をさす言葉です。ですから、仏教とは「仏すなわちお釈迦さまの教え」ということになります。仏とか如来には「悟れる者」と言う意味があるようです。如来の中で一番中心になるのが「釈迦如来」です。経典に登場される如来さまはこの他に薬師如来・多宝如来・大日如来・阿弥陀如来などがあります。 しかし、実在されたのは「お釈迦様」お一人だけです。この歴史上のお釈迦様はお悟りを開かれた「覚者」であり「悟れる者」であるから「釈迦如来」とか「釈迦牟尼仏」と言って敬います。 この「釈迦如来」言い換えれば「永遠に最高位のお釈迦さま」に絶対的な帰依を捧げるのが、仏教徒として最高の信仰と言えるのではないでしょうか。

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諸行無常について!

私は慌ただしい師走の時期が大好きです。お餅をつくのを炬燵から見ていて、途中で「半練り」のお餅を貰いました。神仏に大晦日には、この一年何とか頑張り抜けたことに感謝し、除夜の鐘を衝いて108もあるという煩悩を消滅させたいものです。そして、新しくやってくる年が私たちにとって素晴らしい一年になるようお祈り致しましょう。当山でも大晦日の午後11時30分から除夜の鐘を衝きはじめますので是非お越し下さい。 「平家物語」に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」とあったように記憶しております。キリスト教会の鐘の音もよいと思いますが、仏教寺院の鐘の音も格別だと思います。 諸行無常とは、すべての現象は停止することなく消滅変化することをいうそうです。たしかに、私たちにとって一番大切な命も消耗して老いを感じるようになっていきます。 私も人生というレースの終盤になろうとしています。僧侶として充実した日々を送りたいものです。

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布施について!(平成15年11月)

今月は有名な「布施」について考えてみましょう。「お布施は少ない方がよい」と考えるのは出さなければならない方の立場です。このお金や物で施す布施を「財施」(ざいせ)と言います。私たちが広く使っているのはこの財施の意味で「お布施」と言う言葉を使うことが多いと思います。 仏教では他人に安心を与えることも「無畏施」(むいせ)と言う布施になると教えています。従って仲間の悩み事を聞いて助言してあげるのも布施を施したことになります。まして、苦しみのどん底にある人の障害を見抜きよい方向に導いてあげることも尊い布施になると思われます。 僧侶が一番実行しなければならない布施を「法施」(ほうせ)と言います。これは、お釈迦さまのみ教え(法)を皆様にお伝えさせて戴くことです。仏教の教えもいよいよ21世紀の世界を救う教えとして輝きを増すものと確信致します。 財施と無畏施と法施をもって「三施」(さんせ)と言います。従って「布施」とは社会生活をよりよいものとしていくこれらの行為を言うのです。

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生老病死について!(平成15年10月)

お釈迦様のみ教え法華経(妙法蓮華経)の25章の観音経(観世音菩薩普門品)に「生老病死」という有名な漢語がでてきます。 私たちは日常生活の中で、急場を乗り越えられた時「四苦八苦だったい。」などと表現致します。その四苦が生老病死です。 生まれ落ちたその時から、世の中思うようになりません。これが「生の苦しみ」です。不老長寿は人類の悲願でありますが150才まで活躍された人はいないようです。これが「老の苦しみ」です。そして、エイズと言う血液の病気を初め、狂牛病・新型肝炎など新たな病気と闘わなければならない時代です。さらに、日本は不景気のどん底で心の病に苦しむことが当たり前の時代になってしまいました。これらが、「病の苦しみ」です。そして、私たちは例外なく「死」を迎えます。せめて、死ぬ時はポックリ逝きたいと私たちは願うのです。これが「死の苦しみ」です。 お釈迦様はこの4つの苦しみを背負って生きているのが人間であるとお悟りになられました。

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法華経について!(平成15年9月)

聖徳太子様は「十七条の憲法」を制定され「篤く三宝(佛・法・僧)を敬へ」と言われ仏教の教えに基づいて政治をされました。また、法隆寺・四天王寺などを建立され学問所とし学問の普及に努められました。さらに、お釈迦さまのみ教え法華経(妙法蓮華経)の解説書を作られこの経典を重んじられました。以来宗派をこえて親しまれ、日本の所謂古典文学にも大きな影響を及ぼしました。特に、25章の観音経(観世音菩薩普門品)は今でも多くの宗派で読まれています。 仏教文学・児童文学の最高峰宮澤賢治はこの法華経に惚れ込みこのみ教えを実践しようと努力されました。有名な「雨ニモ負ケズ」の詩は法華経の「常不軽菩薩」の教えに基づいたものであると言われています。 本屋さんでもこの経典の解説書をよく見かけます。宜しかったら読んでみて下さい。

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お盆について!(平成15年8月)

目連様がお母さんを「餓鬼道」からお救いされたお話は皆様ご存知のことと思います。これをもって「盂蘭盆会」の始まりとされています。 苦労ばかりかけた、私の母も亡くなって5年目のお盆を迎えます。日常のせわしさから解放されて父母を身近に感じる機会がお盆でもあります。 確か去来の句に「霊だなの奥懐かしや親の顔」というのがあったと記憶しています。精霊だなを造ってご馳走をあげてお盆の供養を懇ろにしたいと思っています。 ともすると「葬式仏教」などと悪口を聞きますがお葬式も宗教の原点に立ち返る営みではないでしょうか。この時代であるが故に葬式・法事などを通して「命の尊さ」を学び合いたいものです。「死をみつめる」ことはそのまま「生をみつめる」ことになると思うのです。 仏教には私たちの生活に活かすことができる素晴らしい「智慧」がたくさんあります。この、21世紀はそうした仏教の素晴らしさが再発見される時代であって欲しいと思っています。

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観音様について!(平成15年7月)

日本は質のよい石材に恵まれていません。ですから花崗岩に刻まれた「観音様」をよく見かけます。花崗岩に刻まれているため風化が進み、古い石仏は苔がむしているものもあります。それらの「野仏」は我々に「風情と無常の心」を育むべく呼びかけてくれているようです。 法華経というお釈迦さまのみ教えの25章が有名な観音経です。観音様は三十三身に変化されて衆生済度してくださると言われています。ですから、この慈悲深い観音様は「大慈大悲の観音様」といわれ宗派を超えて親しまれています。 当山も本堂前から裏山(海抜700メートル)にかけて三十三体の観音様の石像を建立しています。だいぶ風化が進み野仏の風情が感じられるようです。 私たちも、「観音様」のようにどこまでも慈悲深い生き方をすることを理想としたいものです。

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蓮華について!(平成15年6月)

「蓮華」といえば、昔懐かしい蓮華草を思い浮かべます。私の子どもの頃はどこの田圃にも蓮華草を栽培し、刈り取りのお手伝いをさせられたものです。蓮華草は「蓮の華」に似ているところがあるのでしょうか。 さて、寺院のお堂に入りますと必ず「蓮の華」があります。私たちの祖師は「蓮は浄きもの泥より出でたり」と言われ蓮の華を愛でられました。あの純白の蓮の華はそのまま仏さまの世界・救われた世界の象徴なのです。しかも、泥の池は迷える衆生すなわち私たちの世界です。でも、茎を通して蓮の華の世界・仏さまの世界に至ることができるのです。 ですから、蓮の華は仏教の根幹の教えでもある「成仏」(仏になること・悟らされること・救われること)を説いているのです。

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欲について!(平成15年5月)

私たちは、迷いやすく横にそれた生き方をしてしまいがちです。 仏教では、五欲と言いまして「財・色・飲食・名誉・睡眠」を求める欲望があると教えています。確かに、これらの欲を超えられるとよいと思います。特に超えられないのが、「財」つまり金銭を欲しがる欲望です。もう一つは「色欲」で、人間である以上これもそんなに超えられるものではなさそうです。 私たちは「欲もほどほどに」とか言いますが、これは五欲も適度に必要だということに通じると思われます。確かに仏教は禁欲的で108もあるという煩悩を断つように勧めています。 でも「よい欲をかく」ことを妨げるものではないと思います。仏教を信じ、お釈迦さまをお慕いし「明日をよりよく生きていく」ことも「よい欲をかく」ことに通じていくといえるのではないでしょうか。

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釈尊降誕会とは!(平成15年4月)

お釈迦様は4月8日にお生まれになられましたので「4月8日」と言えば花祭り・灌仏会・釈尊降誕会のことをさします。 ルターがキリスト教の宗教改革で「聖書にかえれ」と主張されたことはあまりにも有名な史実です。 仏教は「お釈迦さまにかえれ」すなわち多神教の仏教も共通する信仰のよりどころはお釈迦さまです。どの窓口を通過して信仰に入ったとしても、最後はお釈さまにかえらないと仏教とは言えません。 このお釈さまを信仰の対象として表現する時、私たちは「釈迦牟尼佛」とか「釈迦如来」と言います。牟尼とは「聖者」、如来とは「悟れる者」という意味になります。 私たちがこの久遠のお釈迦さまに帰依をお誓いする時「南無」を付けて「南無釈迦牟尼佛」と祈りを捧げます。

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彼岸とは!(平成15年3月)

いよいよ今年も春の彼岸がやって参ります。彼岸と言う言葉は此岸(しがん)の対義語です。 彼岸とは「彼の岸」つまり「仏さまの世界」「悟りの世界」「理想の世界」と言われています。また、彼岸の時期は昼夜の長さが同じくらいということで仏教の「中道」(偏らずこだわらない心)に通じるとも言われているようです。 私たちが生活している世界は「此岸」つまり「此の岸」と言うことになります。春秋の彼岸には先祖供養を始め仏教の教えに従い他人の為になる具体的な努力をしたいものです。そして、この此岸(娑婆)をそのまま彼岸(仏様の世界・理想の世界)にしていく大切な機会でもあります。 春のお彼岸がやってきます。私もお墓参りや境内のお掃除などできそうなことから取り組んでいきたいと思います。

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摂受とは!(平成15年2月)

私は摂受(しょうじゅ)という言葉が大好きです。摂受と言う言葉は折伏(しゃくぶく)の対義語です。 摂受とは仏教の用語ですが言ってみれば「寛容」と言うことだと思います。仏教は元来寛容であり、すべてを受け入れることを理想とします。しかし、寛容であるだけでは、任意の仏教の宗派のよってすがる立場が曖昧(あいまい)になってしまいます。そこで、折伏が必要になってきます。折伏とはよってたつべき立場を明確にさせることです。 ですから、他の宗教をやたらと攻撃することが折伏ではないのです。自らの宗教の素晴らしさを謙虚にみすえ、相手の立場を理解しながら諭していくのが折伏のはずです。これを誤って「折伏」という仏教用語を利用することは慎まなければならないと思います。

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感応とは!(平成15年1月)

「感応」(かんのう)と言う言葉は仏教の用語です。「感応式の信号」というのがありますがあの感応です。本来の意味は仏教をお開きになられた「永遠のお釈迦さま」と「私たちの命」とが一つに繋がることを意味します。ですから、お釈迦さまをお慕いし、自らの心の中にお釈迦さまを戴くことです。 比叡山・延暦寺、身延山・久遠寺と言うようにお寺には山号と寺号が着いています。深妙寺は寺号で、山号は「感応山」と言います。先人はこのように仏教の根幹に通じる山号をつけてくれました。山号に恥じないどこまでも、「永遠のお釈迦さま」を戴くお寺として成長していきたいと願うものです。 仏教を開かれたお釈迦さまと、私たちのご先祖さまと、そして、私たちお互いも、感応しあえるような日々にしたいものです。

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