仏 教 詩 人

 宮澤賢治さん 
  
       




     
   
   「世界がぜんたい」の碑
               
世界がぜんたい
幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない
 
「農民芸術概論綱要」より
法華経に惚れぬいた詩人

  宮澤賢治は、わたしの最も好きな仏教文学の巨匠であります 。
  賢治は法華経第16章の「久遠の釈迦牟尼佛」に対する深い信仰を生涯されました。
 また、同じお経の第20章で常不軽菩薩の「献身の教え」を日常生活の指針にされました。
  彼の作品の根本を流れているのはまさしく、「法華経の教え」であるといわれています。

 いたつきの故にも朽ちんいのちなり みのりに棄てばうれしからまし
 (病気のためにおわっていく命ですがみ仏の教えである法華経のためすてることができれば嬉しいです。)

 この短歌を詠み、お父さんに「法華経の経本を1000部作って、お世話になった皆さんにあげて下さい。」と遺言されました 。
  自ら、オキシフルで身体をていねいに清められ、38歳の生涯 を閉じられたといわれます。
  「雨ニモマケズ」の詩のように農民とともに生きました。
 そして 、賢治は今日も「世界ぜんたいの幸福」を祈って下さっておられると思います。



    


「雨ニモマケズ」
       宮澤賢治
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノ子供アレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニ疲レタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイウモノニ
ワタシハナリタイ

  坂村真民さん   

  


    「念ずれば花ひらく」の碑

   念ずれば花ひらく

 以前に「坂村真民全詩集」が発刊され、私も求めさせて戴きました。
 宗教の本質にせまる詩は濁りきったこの時代の一筋の光明であります。私たちが「宇宙の発する気」と溶け合って生きていく術を教えて下さっているようにも感じます。
 「念ずれば花ひらく」は、身延山の信仰をされた母親の口癖だったそうです。およそ、人間社会に置いて「念ずること(祈り)は生活の原点」ではないでしょうか。

  帰一
  
  信仰とは
  己れを無にして
  神仏に
  帰一することだ
   「坂村真民全詩集 第7巻 408ページ」

 宗教の原点に通じていく、すごい詩だと思いませんか。

    相田みつをさん      



  「しあわせはいつも」より 


うそはいわない
ひとにはこびない
ひとのかげぐちは
いわぬ
わたしにできぬ
ことばかり
     みつを           
  心が癒されることば

 相田みつをさんは仏教詩人として法華経の教えを紀野一義さん(お父さんは池上本門寺の貫首さん)に学びました。また、禅に深い関心を示されました。
 相田さんの、左のことばが大好きです。世の中をわたっていく上で一番難しいのは「人間関係」ではないでしょうか。ひとにこびたり、ひとのかげぐちをしてしまうのが私たちの生活の実態だと思います。「わたしのできぬことばかり」というところがズシンときます。
 「できない自分」を思い知らされることが、「初発心」(しょほっしん・仏教を信じはじめること)とか「懺悔滅罪」(さんげめつざい・罪悪を告白し消滅すること)といった仏教用語の根幹につながっていくのではないでしょうか。
 これは、相田さんの最も素晴らしい作品の一つだと思います。


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