飯田和紙の発祥

「  飯 田 和 紙 の 発 祥  」

下久堅公民館(長野県飯田市)


飯田下伊那地方では、古くから美濃地方の影響を受けて、山地に生えていた 楮を活用した自家用和紙(飯田大帳紙)が製造されており、その一部は火災の際 の水に強いとのことで、尾張名古屋へも移出されていた記録が残っている。 しかし、本格的な和紙(晒紙「さらしがみ」)造りが始まったのは、飯田藩主 掘親昌が烏山から移封し、元結製造の技術を導入してからといわれている。 晒紙から製造される「飯田元結」は、江戸相撲や吉原等の花柳界から腰が強 く丈夫であるとの評価を得て、生産・販路とも拡大した。特に桜井文七は江戸 へ店をもち、「文七元結」あるいは「飯田元結」で名声を博した。 飯田元結を支えた「飯田和紙」は、竜東南山地方に産する楮を下久堅や松尾 地方の農家が冬期間の副業としていたものを、飯田藩主が奨励・改良したこと から一大産地となったのである。

「塩澤正人:飯田下伊那地方の和紙製造のあゆみ 1996/11月号 伊那 」より
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