《表彰理由》
氏は東京教育大学文学部を卒業後、NHKアナウンサーとして各地で活躍していたが、たまたま1968年にNHK熊本放送局に赴任して水俣病事件と出会い、取材を続けるうちに被害者に同心し、以来30年にわたって、水俣病裁判、潜在患者発掘、認定制度の問い直し、行政の責任を問う裁判、事件史編集編纂などにかかわり続けることになる。
水俣病事件は公害の原点と言われ未曾有の被害と言われながら、事実経過も被害の実態も責任もはっきりしないまま、終わったことにされようとしていることに、氏は大きな疑問を持ち、それを明らかにし歴史に留めようと、資料や証言をもとに研究を続けた。起こりつつある段階ですでに消されていった秘密とまやかしに満ちた経過、属していた組織を含めての自己正当化や庇いあいのために真実を語ろうとしない当事者たち、そこで化学・医学・行政の専門家がしたことは一体何だったのか。それらは著書「水俣病事件四十年」(葦書房)に明らかにされているが、氏のヒューマニズムに満ちた勇気ある取り組みはまさに感動的である。 |
| 略歴 |
昭和10年 東京に生まれる。
昭和34年 東京教育大学文学部哲学科卒業、NHKアナウンサーとなる。
平成07年 同定年退職。
・この間、旭川・豊橋・熊本・静岡・秋田・京都・大阪・宮崎の各NHK放送局に勤務。
・現在、フリーアナウンサー。朗読ボランティア養成講座講師。
・昭和43年、取材を通して水俣病事件を知り、水俣病を告発する会、水俣病研究会の発足に関与。被害者の支援、水俣病事件史の研究を続ける。チッソ水俣病関西訴訟を支える会会員。 |
| 著書 |
『水俣病事件資料集』 1996年(共著・葦書房)
『水俣病事件四十年』 1997年(葦書房) |
| 論文 |
『水俣病認定を妨げる壁』 1971年(朝日ジャーナル)
『水俣病は終わらない』 1973年(朝日市民教室・「日本の医療6」)
『水俣病日誌1〜4』 1973年〜1974年(暗河)
『水俣病医学の退廃−第三水俣病と方法論』 1974年(暗河)
『実態究明の方法論と認定審査制度』
1979年有馬澄雄編「水俣病−20年の研究と今後の課題」所載(青林社)
『水俣をめぐる70年代』 1979年(理想の科学)
『行政と医学こそ救わねばならない』 1987年(技術と人間) |