ゾディアック

日付:

2007.06.30

この映画一体何分あるのだ。やたらに長く感じた。

マスコミを巻き込んだ劇場型犯罪の走りともいえる事件として記憶されている「ゾディアック」事件。思い出すのは、酒鬼薔薇聖斗と自称した少年が起こした神戸連続児童殺傷事件(1997年)である。彼の犯行声明文にゾディアックを模倣した文章やマークが記されてあったのだ。そんなことから、最初からサイコパスのような快楽殺人者を連想していた。だとしたら、「ゲーム」、「セブン」、「ファイト・クラブ」などのディビッド・フィンチャーにはぴったりの題材であろうと思った。

猟奇殺人事件に魅せられて、文字通り迷宮にはまり込み、人生までも変えられてしまう話は「ブラックダリア」を思わせる。しかし、冒頭シーンから期待感が高まらないままに映画は進んでいった。犯罪の暗さや後ろめたさが全くといっていいほど感じられない。人間が殺人を犯すという緊張感が描写されていないからだ。4人の男たちの寝食を忘れさせるほど夢中にさせる魔力をこの犯罪に感じなかった。感じるように描かれてはいないと思った。

事件の周囲を描き込んで行き、驚愕の犯人像を浮き彫りにするというような映画ではなかった。もちろん犯人探しの映画であるのだが、驚くほど実証的である。(実証的とはいっても暗号文解読シーンなどは、もっと具体的に解説すべきだ)“ZODIAC”という時計メーカーが実在したのはちょっとビックリだ。その縁起でもない社名だか商標は以後どうなったのだろう。この辺にも興味が湧くが。もともとどんな意味なのだ?⇒地球から見た太陽の軌道のこと。黄道帯。時計にはぴったりの名前だが、特別この犯人を象徴するものではない。

ゾディアックは連続殺人犯であっても、猟奇的な快楽殺人者としての描写があるわけではない。犯人の人間的側面の描写には全くと言っていいほど無関心で、ただ単に犯人探しに終わっている。この点は「セブン」みたいな展開を期待した分、ディビッド・フィンチャーらしからぬ撮り方であると思った。事件の迷宮は描かれても、人間の迷宮は描かれていなかった。いわゆる情緒のない映画となっていて、彼独特の映像美学というべきものが現れていない。原作がドキュメンタリー本なので、そこから逸脱できなかったのかもしれない。なぜ今、わざわざ彼が、映画化したのか疑問に思ってしまう。

長々観終わって結論的に言うと、ゾディアックは最初一人だったかもしれないが、他の関連する多くの犯罪は複数の模倣犯の仕業で、それがゴチャゴチャに入り組んでいるために一連の事件として迷宮入りしてしまっているのだろう、ということだ。この程度の感想しか持てなかった。当時の捜査中にC・イーストウッドの映画「ダーティ・ハリー」(1971)が封切られるシーンが出てくるのは皮肉なことだ。日本じゃ考えられない。現在進行中の凶悪犯をモデルにした映画をつくって公開してしまうなんて。

「殺人の追憶」という韓国映画も、実際にあった迷宮入り猟奇連続殺人事件を、犯罪を描いても犯人は映さない手法で撮っていたが、この映画とは対照的に犯人像の底知れぬ不気味さや人間の得体のしれない闇の部分は十分に浮き彫りにされていた。

調べたら2時間40分、160分もあるではないか。眠くなるはずだ。冗談じゃなく頭痛がしてきた。

字幕・杉山 緑


 ●監督◎デビッド・フィンチャー
 ●原作◎ロバート・グレイスミス
 ●脚本◎ジェイムス・バンダービルト
 ●音楽◎デビッド・シャイア ●音楽監督◎ランダル・ポスター
 ●主演◎ジェイク・ギレンホール
 ●共演◎マーク・ラファロ ロバート・ダウニー.JR アンソニー・エドワーズ ブライアン・コックス ドナル・ローグ
    
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