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嗚呼身辺雑記帳

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◎禁煙生活または大いなる助走
平成14年(2002)4月20日失業する。工場移転のため退社。生まれてはじめての失業である。
平成14年5月よりホームページ作り始める。
平成14年6月20日から禁煙する。
 ・・・・平成15年2月まではココに  ・・・・平成15年4月まではココに
  ・・・・平成15年6月まではココに   ・・・・平成15年8月まではココに
   ・・・・平成15年10月まではココに    ・・・・平成15年12月まではココに


平成16年(2004)
 ・・・・平成16年2月まではココに   ・・・・平成16年4月まではココに
   ・・・・平成16年6月まではココに     ・・・・平成16年8月まではココに
     ・・・・平成16年10月まではココに   ・・・・平成16年12月まではココに いまだに禁煙中。
・・・・平成17年(2005)はココに いまだに禁煙中。

・・・・平成18年(2006)はココに 以下同文。
    ・・・・平成19年(2007)はココに 以下同文。


平成20年(2008)
01月14日  
 アルバイトの最終日5日より風邪をひいてしまう。何とかアルバイト終了後、本格的になり薬も効かずに、今に至るも治らない。何とか映画評アップした。朝、「ジャガーノート」観る。リチャード・レスター監督。WOWOWにて。大学生以来。ほとんど忘れているが、最近「交渉人 真下正義」という映画で取り上げられていたので見直す。豪華客船に仕掛けられた爆弾を処理する。この頃はCGなどほとんど使用しないで撮っているのだろうが、パニック映画には違いないが、イギリス映画らしく暗くかつ渋い。ハリウッド映画のように大騒ぎしないのが実に好ましい。才人リチャード・レスターもチャラチャラしておらず、正攻法で押しまくり、リチャード・ハリス、アンソニー・ポプキンス、オマー・シャリフ、デビッド・ヘミングス、イアン・ホルムなどが皆若い。 
01月15日  
 「地球幼年期の終わり」アーサー・C・クラーク著。読了。ある日突然途方もない知性をもった宇宙人が来訪する。以来世界は完全に平和になる。この宇宙人は皮肉なことに悪魔の姿をしている。よりによって悪魔が成し遂げた地球の完全平和。今までの人類自身の平和に向けての努力の歴史はすべて水泡に帰するという皮肉。上主と呼ばれる彼らの目的はなにか。名作中の名作SF。あまりに名作なので、映画「未知との遭遇」(ウイ・アー・ノット・アローンという惹句)や「インディペンデンス・デイ」のイメージの基本トーンとなっているのが今更ながらよくわかる。人類の幼年期が終わったら青年期になると思いきや、そんな輝かしい話ではない。これは人類の終末を描いた破滅テーマのSFであった。地球自体の終末のイメージの凄さはただただ壮大。オカルトが科学に対するものとして重要な要素として出てくる。国家をはじめとする自分の縄張り(個人としてのまた人間としてのエゴ=存在理由)を完全に失くしたとき、人類は幼年期を脱し全く別な存在になってしまうという見方もできて、人類に対しての絶望感をも感じる。沼沢洽治の訳文は分かりやすい。
01月16日  
 「私は二歳」市川崑監督。松田道雄の育児書を原作にして映画をつくってしまった、当時の市川監督の才気に感服する。この白黒時代の市川崑はすごいのである。DVD。主演山本富士子、船越英二。二歳の赤ちゃんがあまり可愛くないところがまた当時の子供らしくていい。
01月18日  
 「ゆれる」西川美和監督・脚本。DVD。黒澤明の「羅生門」的ミステリー映画。1人の女を巡る兄弟の葛藤のドラマ(「ゆれる」というタイトルは文学的過ぎる)に迫力がある。家に縛られてしまった兄(香川照之)と縛られずに生きる弟(オダギリ・ジョー)の対比はちょっとベルイマン的。凡人と才人との哀しき人生格差も浮き彫りにされる。女の偶発的な死で殺人事件にまで発展するが、弟の証言で兄が有罪になってしまうのは、法廷ドラマとして説得力はない。この兄弟一家の家族関係がもっと描かれていればよかった。オダギリ・ジョーは適役だが、あまりこの俳優好きではない。
01月30日  
 長い間聴きたかった唄を探すことが出来た。簡単なことで、音楽配信HPにアクセスしてダウンロードすればいいだけだった。さらにレンタルで借りてパソコンに取り込めばイイのだ。馬鹿だね。そんなわけで「ハチのムサシは死んだのさ」(平田隆夫とセルスターズ)、「遠い海の記憶」(石川セリ)、「天国への扉」(B・ディランandE・クラプトン)、「東京砂漠」(内山田洋とクールファイブ)、「君をのせて」(沢田研二)、「黒いカバン」(泉谷しげる)、「面影橋から」(及川恒平)である。小室等の「橋」というのも探したが、これはなかった。全部CDに書き込んだ。車で聴くためである。さらに三波春夫の長編歌謡「俵星玄蕃」も。発見したのだが、全くこれはカブキ歌謡である。歌舞(かぶ)いていると言うには実に健全なのだが、スピリットは半端ではない。去年から古典落語がブームなのだが、これは純日本的クラシック・ロック・オペラのアリアである。

02月02日  
 「ロスト・ハイウェイ」デビッド・リンチ監督。DVD。ビル・プルマン、パトリシア・アークエット、バルサザール・ゲティ主演。ロバート・ブレイクが白塗りで出てきたのにはビックリだ。ホラーではないホラーといったところで、リンチの映画としては見やすかった。2部構成で、両方でているのがパトリシア。墜ちた女(ファム・ファタァル)ものともいえるが、はっきりいって作品の構造はわからない。両方でている彼女が別人なのか同一人物なのか謎が謎を残して終わる。わからないところがリンチなのだ。ビル・プルマンのパートは眠かったが(実際眠ってしまった)、バルサザール・ゲティのパートになって眼が覚めるように面白くなった。後半のバルサザール・ゲティのパートが、前半のビル・プルマンのパートに続いていくという捻れた時間構造で、物語には終わりがない。
02月04日  
 「魂萌え!」坂本順治監督。原作桐野夏生。主演、風吹ジュン。ヤドランカの歌う奇妙な国籍不明の音楽が時折挿入されるところは、向田邦子の(TVドラマ)「阿修羅のごとく」を意識していると思う。先立たれた夫に愛人がいて、10年も騙されていた何も知らない主婦の人生再生物語。様々な人間たちが出ては入る人間模様はおもしろいが、観終ってみればやや散漫。焦点が絞れていない感じ。息子と喧嘩して家出してしまい、カプセルホテルに泊まるところなどワクワクしたが、それが続かない。各エピソードが散発的なのだ。風吹ジュンの存在感では、専業主婦の日常性というのとはちょっと違った印象になってしまう。愛人役の三田佳子と逆なら良かったかもしれない。
02月09日  
 「ケーブル・ホーグのバラード」サム・ペキンパー監督。ジェイソン・ロバーツ主演。以前「砂漠の流れ者」といういかにも西部劇風な邦題だった映画。この映画をペキンパーの代表作とする向きも多いらしいが、かなりそれには違和感がある。全然面白くなかった。随所に聖書からの引用があるのと、砂漠で泉を発見した男の話ということからかなり寓話性の高いもの。西部劇らしいガサツな映画で、そのガサツさは野性的とか奔放さなどとは違って、単にガサツとしか言いようがない。そこに詩情を感じるひともいるのだろう。主人公たちが歌を歌うところもあったりする。ペキンパーにミュージカルやコメディは全く似合わない。主人公が車に敷かれて、野外でベッドに横たわる場面は前衛的でさえあるのだが、それも似合わない。傑作「ワイルドバンチ」を撮った後にこれを撮ったそうである。作風があまりに違う。
02月11日  
 国立科学博物館へ「ナスカ展」を見に行く。40分並んで入場。思ったほどのものはない。上空からナスカの地上絵をバーチャル映像で俯瞰して見せるのは面白かったが、インカ展ほどの展示内容はなかった。ナスカに都市文明があったわけではないのだから無理もない。
 「幼年期の終わり」アーサー・クラーク著。池田真紀子訳。読了。先月読んだ「地球幼年期の終わり」の訳者が違うもの。光文社古典新訳文庫版。面白いことに、第1部の第1章がソ連崩壊後(冷戦終結後)に合うように書き直されている。クラークのオカルトに傾倒していた頃(意外なことだ)の思い出話的序文あり。解説では「家畜人ヤプー」との共通点を論じているのが注目だ。実は10日にAMAZONの古本で注文した石森章太郎作画の「劇画・家畜人ヤプー」が届いたのだ。これは奇妙な偶然というべきか。この本、いろいろ探したがどこにもなかったのだ。おまけに嬉しいことに手塚治虫の推薦評論の帯が付いたままだ。「幼年期ー」に出てくる超知性「オーバー・マインド」は、平井和正の「幻魔大戦」の「幻魔」に思えた。
02月14日  
 市川崑監督死去。92歳。黒澤明が硬あるいは剛だとするならば、市川崑は軟かつ優だった。「細雪」以後の市川崑は、黒澤の「夢」以後と同様、はっきりいって評価できない。しかし、これほど自由に映画を泳ぎまくった人もいないだろう。「野火」をもう一度観たいが、レンタルショップに置いてない。「黒い十人の女」を借りてくる。「JAWS」の警察署長役で有名なロイ・シャイダーも亡くなった。
02月16日  
 「ゲルマニウムの夜」大森立嗣監督。新井浩文主演。タイトルのゲルマニウムラジオからの神の声が、観る側に聞こえないのは納得できない。英語のタイトルは「神の囁き」となっていた。キリスト教の神を冒とくすることによって神の存在を問うというテーマは、貫井徳郎の「神のふたつの貌」を思い出すが、原作は花村萬月。車椅子の老神父との懺悔シーンは迫力あり。雪深い北国の修道院が営む牧場と学校を舞台にしているようだった。畜舎を地獄に模している。その地獄に身を隠して働く殺人犯が主人公。だが主人公は欲望のままに罪を犯しているようには見えなかった。汚物愛好や同性愛的描写が多過ぎてやや食傷気味となる。
02月17日  
 「黒い十人の女」市川崑監督。山本富士子、船越英二主演。設定は斬新だがあまり納得できない出来栄えだ。主人公の気持ちにどうも乗り切れない。
02月18日  
 「パパ、黒澤明」読了。長女の黒澤和子著。面白かったが結局、彼女は偉大なる子供かつ老人「黒澤明」の介護をしたということなのだろう。晩年の「夢」以降の黒澤作品は、黒澤の玩具のようなもので、完全に観客は置き去りにされている。まあ、それまでの作品があるからそれでも文句はないのだが、著者が撮影の苦労話や身内の自慢話を夢中になって書き連ねるほどの素晴らしさがないのが実際である。創ることに自己陶酔してしまっている。老人「黒澤明」に巨大なる玩具「映画」を与え続けることによって、彼への介護は行き届いたかもしれないが、それこそが偉大なる晩節を穢したかもしれないのだ。黒澤(父)を敬愛するあまり、一般の観客など全く顧みられていないところなど、ある意味見事なまでに純粋(単純)で独善的だ。
02月29日  
 「無明の蝶」出久根達郎著。読了。この作家の小説世界は見晴らしがいい。見通しが利くのである。結果が読めるという意味ではない。作者の視点が広々としているのである。ある晴れやかさをいつも感じる。すべて古本屋を主人公にしたこの短編集で、小説という仮構の世界をエッセイの視点で描いているのはこの作者の文体だ。「猫の縁談」という短編集もあるように大の猫好きのようで、ここにも「猫じゃ猫じゃ」というのが載っていて一番面白い。変幻自在の筆致と言う点では、「赤い鳩」が、安保時代を背景にして、主人公の成長と彼に関わる人間たちの奇妙な生態が、行き当たりばったりのような、どこへ流れつくかわからない不思議な展開を見せる。人の手から手に渡った末の古書というのは、ある種の妖怪とも思える。その妖怪を自由に操ったり、翻弄されたりするのが古本屋という職業なのだ。現代の陰陽師?

03月01日  
 「股旅」市川崑監督。シナリオは和田夏十ではなく谷川俊太郎と市川崑。ATGで初めて撮った低予算映画。小倉一郎、萩原健一、尾藤イサオ主演。音楽が九里子亭(市川崑)と浅見幸雄。この音楽が打楽器と弦楽器のみのシンプルさで実にいい。流れ者で食い詰めた若者たちの末路を描く時代劇だが、それはあくまで一応で、実は全くの現代的「崑」映画である。乾いた感性と詩情が良くブレンドされている。特に長々と続く仁義のやり取りが、民衆史的に調査したみたいで面白い。こんな仁義はこの映画だけだし、そこが新鮮だ。衣装や美術の極端な汚れ方加減は、黒澤の「用心棒」の世界にも通じる。だが、あまりにボロ過ぎる。三十郎が「こどもが刃物持つんじゃねえ」と言った、そのこどもの世界を描いているようにも思える。メチャクチャな刀の振り回し方など、「用心棒」のヤクザの出入りとそっくりである。以前観たときより新鮮に感じた。30年も前の映画ながら、古びたところは一切ない。スタッフのスチール担当に、黒澤の助監を経て今は監督になっている小泉尭史が見える。 
03月02日  
 「アキラ」大友克洋監督・原作。DVD。音楽山城祥二、芸能山城組。この1作あれば大友監督、「スチームボーイ」はいらない。ましてや「蟲師」など。あらゆるアニメを凌駕し屹立している。奇跡の作品だ。「マンガ」アニメと「劇画」アニメとに分けるならば、間違いなく劇画アニメである。見せ方に徹底的にこだわり、極めて映像的である。そのような運動神経が生理的に備わっている感じだ。従来のアニメから一線も二線も超えている。実写映画に限りなく近過ぎると言えば言えるのだが、そこがマンガではないということなのだ。以前観た時と変わらない斬新さをいまだに保っている。
 「明日の記憶」堤幸彦監督。WOWOW。渡辺謙、樋口可南子主演。若年性アルツハイマー病を主題にした映画。病気が発症するまでの前半は見応えあり。脇を固める役者も揃っている。主治医の及川光博と得意先の香川照之が特に印象的。後半、病状が進んでからは、病状の描写が型通り表面的で、過去の思い出や幻想に逃げてしまい具体性がない。一体アルツハイマー患者は病状が進むにつれ、どう現実を認識するのだろうか?いや、何も認識できないということは映像的にどうなるのか。そこを描いてほしかった。なにより驚いたのは、堤幸彦という監督が、腰を落ち着けた文芸映画を撮れる監督だとわかったことである。
03月08日  
 「コンセント」田口ランディ原作の映画。監督中原俊。主役の市川実和子という女優に生理的に拒否反応があり、今まで観なかった。観てみるとやはり人間の顔とは思えない。半魚人やカエル人間みたいでホラー映画にはうってつけだ。田口ランディの原作は非常に面白く読んだが、主人公が安部公房の前衛小説みたいな意味の解体された世界を、セックスを通して彷徨うシーン(これはCGで描くしかない)や沖縄の巫女に教えを受ける場面はカットされていた。小説の結論から言うと主人公は、新しいタイプの「風俗嬢」になるのだが、映画はそこまで触れていない。他の配役は皆個性的で新鮮だった。
03月09日  
 「ゴッドファーザーPART3」、ご存じハリウッド製マフィア映画の金字塔の最終作だが、まずアル・パチーノ(マイケル・コルレオーネ)の後継者にすぐにキレるアンディ・ガルシアでは貫禄不足かつ即自滅は必定。敵役のイーライ・ウォラックは久方ぶりだが、彼は脇役でなら光るが、もともとマフィアの大ボスの柄ではない。製作はコッポラ監督自身、監督の実父カーマインが音楽、妹のタリア・シャイアは引き続き、実娘ソフィアがマイケル・コルレオーネの娘役と一家総出の感あり。コッポラ一家とコルレオーネ一家がダブってしまうのがオカシイ。ヘルムート・バーガーとブリジット・フォンダが出ていたらしいが、まったく気がつかなかった。あまりに変わり果てた姿で分からなかったのか。ラストはシシリーに戻り、荘重なオペラと暗殺が同時進行するという、大袈裟な悲劇を演出して、それなりに決まってはいた。それにしてもコッポラは、何んだかもう出涸らしみたいで見ているほうが苦しい。
 NHK・BSで立川談志の特集。「芝浜」を聴き始めるが、全然面白くない。途中で止める。桂三木助の「芝浜」にはとうてい及ばない。まぁ、三木助の芝浜は別格なのだが、立川談志が持てはやされるのが理解できない。落語家としてどこが面白いのだろう。
03月18日  
 「都市伝説セピア」朱川湊人(しゅかわ・みなと)著。読了。短編集。セピア色の都市伝説という意味で作品の題名ではない。多分に懐古趣味的(セピア色的)な、おとなしいホラー。江戸川乱歩の影響が顕著に見られる「フクロウ男」が一番おもしろかったが、一人称の語りで終始するスタイルは、乱歩の「人間椅子」の影響というより技巧的なパロディのように思えた。
03月26日  
 「太陽を盗んだ男」沢田研二・菅原文太主演、長谷川和彦監督。DVD。ずっと前に観たきりだったが、見直した今回のほうが面白かった。爆弾魔の話だが、爆弾は原爆であり、その原爆が解除されずに東京のど真ん中で爆発してしまうラストがショキングである。このラストは忘れていた。沢田研二は俳優としてはキャラクターが薄くて、観る前に力が抜けてしまうのだが、ヤクザ演技をしない菅原文太の好演とオリジナリティ抜群の脚本と力のある演出で147分の長尺を語り切ってしまう。池上季実子の軽薄なDJがミスキャストで目障りなこと以外は見事な作品だ。日本映画では屈指の群衆シーンとカーアクションも特筆に値する。これだけ出来た映画はないと思う。この監督はこれ以後一本も映画を撮っていない。まったくもったいないことである。
03月30日  
 「おひとりさまの老後」読了。上野千鶴子という社会学者が書いた老後本。1400円なのだがブックオフで750円で買う。正価で買っていたらガッカリした。全然参考にならなかった。タイトルにつられたのだが、読んでみるとこれは女性向けに書かれた本である。気になったのはタイトルの「おひとりさま」である。よく料亭や旅館なんかで「おひとりさまゴアンナ〜イ」とかで使われる言葉である。この場合、自分に様を付けているわけだ。著者は大学教授なので「先生」と呼ばれているのでついに自分に「さま」をつけてしまったのだろう。「おまえ自分を何様だと思っているんだ」、「俺様だよ〜ん」(竹中直人のコント)とかね。民俗学で客人(まろうど)という言葉があるが、一般のひとは客人では済まない、「日常人」なのである。この視点がないように思われ、フェミニスト特有の「私の人生は私だけのもの」といった主張が目障りな雑文。教授なんていうのは所詮アウトサイダーなのだ。現在「おひとりさま」で老後をすでに過ごしている人が読んだら、かえって不安になる内容。この本でいう幸福な老後とは、友人たちに囲まれ「決して一人ではない」ことなのだから。香山リカの「老後がこわい」のほうが、正直。

04月03日  
 「如何なる星の下に」高見順著。読了。志賀直哉で私小説もいいなと思ったので、読んでみた。この作品は古典になっているみたいで、絶版になっていた文庫のその復刻版である。日中戦争時代の浅草を舞台に、そこで生きる芸人たちの人間関係をダラダラ描いた作品。ちょっと暗夜行路的な展開もあり。小説の底辺の極めて狭い世界に沈み込んで読むことの面白さが私小説にはあるように思う。狭い世界が妙に新鮮だ。一種の安逸だろうが読書の快感には違いない。
04月05日  
 「こんな日本に誰がした」谷沢永一著。読了。副題に「戦後民主主義の代表者大江健三郎への告発状」とある。戦後の「進歩的知識人」を批判した本である。その代表者を大江としている。著者は大江の発言に食ってかかっているのだが、何を怒ってのかしばしばわからない。さらに肝心の大江の発言内容がこれまた持って回っていて、ほとんど理解できない。著者の本旨として、戦後の左翼的史観に特徴的な自虐・暗黒史観を糾弾しているのは理解できるのだが。他人の悪口は面白いので最後まで読んでしまったが、的を得ているのかいないのかは判断不能。
04月06日  
 「瞳の中の訪問者」大林宣彦監督。DVD。原作は手塚治虫の「ブラックジャック」。つまらない。片平なぎさ主演。ブラックジャックを宍戸錠がやっていて、あまりにマンガそのもので面白いのだが、1時間で済むところを倍かけたようなもので極めて退屈。脚本ジェームス三木。ただ一つ、「ヒョウタンツギ」を洋画風に描いた絵が出てくるが、これがなかなか良い。
04月10日  
 「マグノリア」ポール・トーマス・アンダーソン監督。DVD。トム・クルーズ、フィリップ・シーモア・ホフマン(この2人は「MI:3」でも共演している)、ジェイソン・ロバーツ、ジョン・C・ライリー、ジュリアン・ムーア、ウィリアム・H・メイシーなど。群像劇として秀逸な作品。187分の大長尺だが退屈ではない。トム・クルーズのセックス教の教祖が圧倒的。しかし問題は、クライマックスの(竜巻による?・・・作中頻繁に天気予報のテロップが出されるのはこれの伏線だろう)ヒキガエルの土砂降りである。観ているほうもパニックになった。生理的にカエルはダメなのだ。悪夢だ。いったいどうやって撮ったのだ。登場人物たちにカエル嫌いはいなっかったのだろうか。卒倒してしまう。空から降ってくるカエルは聖書にあるエピソードらしい。蛇や蛙は人間の醜さや悪徳を象徴するのだろうが。
04月12日  
 「資金源強奪」深作欣二監督、北大路欣也主演。WOWOW。観たかった映画である。ヤクザの賭場のあがりを強奪する刑務所帰りの元やくざの話。脚本は高田宏治。面白いことに、監督の名前がひらがなで「ふかさくきんじ」とクレジットされている。面白いことは面白かったがアクション主体で駆け引きやサスペンスはなかった。実録路線とはちがったコメディ色の強い娯楽作品だ。
04月13日  
 引き続き深作特集「北陸代理戦争」。松方弘樹主演。松方の演ずる無茶なヤクザが、いつも体を貧乏揺すりみたいにグラグラ揺すっているのが印象的。ハナ肇の人の良いヤクザの親分が笑える。
 「ブギーナイツ」ポール・トーマス・アンダーソン監督。これも続けて。DVD。フィリップ・シーモア・ホフマン、ジョン・C・ライリー、ジュリアン・ムーア、ウィリアム・H・メイシーは常連。主演はマーク・ウォールバーグ主演。特大性器の持主の青年がポルノ映画のスターになる。ポルノ専門の監督をバート・レイノルズがやっていて、これはなかなか良かった。彼らはポルノ映画という差別された(アンダーグラウンドの)世界で一種のコミューンを作っている。これにはヒッピー文化の影響も感じる。それにしてもアメリカはタバコよりもマリファナの喫煙率の方が多いのでは?ひっきりなしに誰もが吸っている。余程ストレスの多い社会なのだろう。それと性的変態がどうしてこうも多いのか。これもストレス社会のせいか?末期的狂気さえ感じる。これも150分ある。特大性器が実際どの程度なのかを映せなければリアリティはない。男根を特殊メイクにしたらモロに写せたのではないか。この監督はロバート・アルトマンのように群像劇を得意とするようだ。
04月15日  
 「はみ出し銀行マンの資産倍増論」横田濱夫著。読了。
04月18日  
 「おりこうさんおばかさんのお金の使い方」板倉雄一郎著。読了。わかりやすい本だが、最終章は専門的すぎて理解不能だった。どちらも金融本。読んでいるうちはなんとかわかったような気持ちがするが、読み終わるとほとんど忘れてしまう。金の才能が皆無なのだろう。「金のことはめんどくさい。これを克服しないといつまでたっても損をし続けるだけ」だそうだ。
 「選挙」想田和弘撮影・監督。山口和彦主演、といってもこれは実在の本人である。この人、東大卒の東京在住のコイン・切手商である。おじいさんの代から郵便局長の家に生れた。ひょんなことから川崎の市会議員の補欠選挙に自民党公認(時は小泉改革の真っ最中)で立候補する。その一部始終をカメラは一切のナレーションを排し、ただ追う。これがメッポウ面白い。「改革」をお題目のように唱え、自分の名前を連呼するだけの「どぶ板選挙」の典型である。自分の政策などはまったくない。ただ自民党議員確保のために送り込まれた候補者だ。こんなことでいいのかとも思うが、彼はそれなりに明るさとバイタリティとユーモアをもっていて、すれすれで民主党候補を抑えて当選する。今話題の「靖国」もナレーションなしだそうだ。
04月19日  
 「誰も知らない」是枝裕和編集・脚本・監督。DVD。非情な傑作である。柳楽(やぎら)優弥主演。父親には最初から捨てられ、頼みの母親にも捨てられた父親がそれぞれ違う4人の子供の物語。14歳の長男を頭に、信じ難いことに、子どもたちは誰も学校にまったく行ったことがないらしい。それでも年月は容赦なく彼らを大人にしてゆく。時間の無常な経過が少年たちに痛々しい。彼らのことは「誰も知らない」のだ。彼らは親に捨てられた時点で子供ではない。自分で生きてゆかねばならない人間なのである。映画はドキュメンタリータッチで貫かれ、少年たちに寄り添うでもなく、ただ見詰めることしかできない。観る者もそれは同じである。子役たちのきわめて自然な演技は感嘆すべきものだ。
04月27日  
 「民族という名の宗教」なだいなだ著。読了。今注目のオリンピック聖火リレーが長野で昨日行われた。第一走者の高名な野球の監督が、後でインタヴューに答えて、「(チベット問題による聖火リレー妨害は)私には関係ない。傍が騒いでいるだけだ」と言い捨てた。この言葉を聞いた時、寒気が走った。野球バカに何を言っても仕方がないが、あまりにも鈍感過ぎる。いい年をして世界に対して何の想像力もない。屍の上であろうと自分の競技さえできれば満足でという態度に暗澹たる思いがした。人間のもっとも基本的な活動は政治と経済であって、スポーツなどはただの余暇・娯楽にすぎない。そもそも北京でオリンピックが開催されること自体、中国の政治的成果以外の何物でもないではないか。
04月28日  
 「ラスト・キング・オブ・スコットランド」ケヴィン・マクドナルド監督。フォレスト・ウィッテカー主演。彼はこれでアカデミー主演賞をとったが、そんな演技に思えなかった。アミンという権力に取りつかれた男の迷走・愚走ぶりはただ暑苦しいだけで、なんのリアリティも感じさせなかった。第一、彼の独裁者ぶりが映像として現れないので感想の持ちようがない。あれでは単に性格異常者だ。むしろ、軽い気持ちでアフリカに渡り、成り行きでアミン大統領の主治医になって、大変な目に会うスコットランドの青年医師(ジェームス・マカヴォイ)のしょうもなさの方が主演にふさわしい。
04月29日  
 「恐怖のメロディ」クリント・イーストウッド監督・主演。公開当時高校生だったはずだが、はっきり観た記憶がある。かなりドキドキ・ハラハラしたと思う。彼の監督デビュー作だ。サイコ・スリラーで、ストーカーが男性ではなく女性であるところが異色。ただし、イーストウッドが人気DJにはとても見えないのが難点。モントレー・ジャズ・フェスティバルの模様をかなり長く映しているところは、本編とはほとんど関係がないのだが、イーストウッドのジャズ好きのせいだろう。

05月03日  
 嬬恋のホテルで客室清掃のアルバイト。4月27・29日に続いて6日まで。1日平均15000歩は楽に歩いたのだが、夕食後のウォーキングがないためか、減量にはならない。
05月06日  
 「ヘッド・ワイフ」式貴士著。読了。むかし「カンタン刑」という短編で注目された作家。今どうしているかというと、蘭光生という筆名でポルノ小説を書いているらしい。これは、かなりコジツケたストーリーだが不思議な味わいのSF短編集。ダジャレやグロテスクな面からは筒井康隆を連想する。事故で首だけとなって生きている妻との生活を描いた表題作が一番SFらしく面白い。
05月08日  
 「一番美しく」黒澤明監督、矢口陽子主演。NHK・BS。太平洋戦争末期の国策映画である。飛行機の銃撃用標準器を作っている軍需工場に徴用された女子挺身隊員たちの増産運動を描いている。皮肉なのは、全体の雰囲気が戦争完遂映画なのに左翼の労働運動礼賛映画にそっくりなことだ。この辺はかなり気持ちが悪い。もっと気持ちが悪いのは、この雰囲気が現代の「QC活動」を連想させることである。のちの黒澤夫人の矢口陽子は「生きる」の小田切みきに似ている。
05月09日  
 「虎の尾を踏む男たち」黒澤。榎本健一、大河内伝次郎主演。義経・弁慶の安宅の関のエピソードを映画にしたもの。予算も物資も不足していた終戦直後製作。広島・長崎に原爆が落ちた時に撮られたのがとても不思議な気がする。エノケンが義経一行に従う強力をやっている。この映画の中には、「七人の侍」の菊千代の役割(=エノケン)、「隠し砦の三悪人」の国境越え、「影武者」と遺作「まあだだよ」の夕焼けなど後年の映画のシーンがそのまま当てはまるところがあり面白い。
05月11日  
 「日本歴史を点検する」海音寺潮五郎、司馬遼太郎共著(2人の対談をまとめたもの)。読了。30年も前に買ったきりの文庫本だ。これがすごい。古代中国の政治制度に始まり、明治維新の世界史的見解、儒教、マルクス主義、資本主義、天皇制、封建制、中央集権制から日本人の言語感覚まで、たちまち(2日で)縦横無尽に網羅してしまう博覧強記。点検というよりも日本の有史以来の全歴史の腑分けである。特に海音寺は歴史小説家(読んだことはない)というイメージしかなかったのだが、洋の東西を問わない見識に驚いた。 
05月16日  
 神代辰巳監督のロマンポルノ映画「黒薔薇昇天」をDVDにて。岸田森、谷ナオミ主演。原作は藤本義一だが、野坂昭如の「エロ事師たち」といった内容。いやはや何とも退屈な映画である。当時のポルノ映画とはこんなものだったのか。セックス描写というほどのものでは全然なく、もはや単なるパフォーマンスである。この映画は当時キネマ旬報で作品評を読んだ記憶があった。
05月22日  
 「人生は五十一から」小林信彦のエッセイ。読了。国立博物館に薬師寺の日光・月光菩薩を観に行く。面白くて行き帰りで全部読んだが、バスを降りるとき忘れてきてしまった。ワールドカップ当時のもので、あの狂騒を「サッカー・ファシズム」と呼んでしまうあたり、溜飲を下げる。冬季オリンピック(長野)の過熱または「加熱」報道に気味の悪さを感じるのは自分だけでなかった。黒澤の死についての感慨もよくわかる。
05月24日  
 「群衆」フランク・キャプラ監督。ゲーリー・クーパー、バーバラ・スタンウィック主演。原題は「ジョン・ドゥーに会え」。以前買ったきりだったDVDにて。ジェームス・スチュワート主演のキャプラ映画より寓話的で大衆社会への風刺が効いている。楽天的でないのは、主演がゲーリー・クーパーという真面目なキャラクターによる。一人の失業者が、失業寸前の女性記者(バーバラ・スタンウィック)の気まぐれな思いつきのためにマス・メディア操作により国民的な英雄となっていく様は、常にわかりやすさを求め、その方向になびいてしまう大衆の心理の脆さや怖さを感じさせる。偶像とはこういうものか。偶像崇拝を禁じたイスラム教はある面真理を突いている。一種の善意のファシズムとでも呼びたい気にもなる。もっともファシズム自体も最初は善意から始まったのかもしれず、そう考えるとこの映画、思ったより苦みが効いている。政治とは常に偶像を生み出すものだ。「オール・ザ・キングスメン」や「ファイト・クラブ」という政治的ドラマにどこか通じる。バーバラ・スタンウィックは庶民的な美人でなかなか魅力的だった。だが、この映画で大衆社会の危うさを描き出したキャプラは、あの赤狩り旋風が吹き荒れた時代には、「狩る」方にいたのだ。

06月02日  
 「たった一人の反乱」丸谷才一著。読了。読み方は間違っているかもしれないが、これは現代市民版「暗夜行路」なのではないか。あるいはパロディなのではないか。「暗夜行路」の主人公時任謙作にとっても、女中のお栄が重要な位置を占める。主人公が小さい頃から面倒を見てもらったお手伝いさん(女中)が突然辞めたことについて、あーだこーだと考え市民社会とそれを支える奴隷制の実相にまで突き進み、それが文明論の域にまで達するところでそう感じた。この小説に対して解説の秋山駿が豊富な小説という評価をしていたが、志賀の「暗夜行路」にもその「豊富」さを自分は感じたのである。しかし、調べてみると丸谷才一は志賀直哉には批判的なことで有名らしい。主人公の心理描写は漱石的なユーモアも感じたのだが、私小説的に分析された心境描写も感じた。確信犯的な衒学趣味は「裏声で歌え君が代」でも見受けられるので、これがこの著者のスタイルなのだろう。私小説を否定した心境小説(私小説)。
06月07日  
 「ライオン・キング」ディズニー・アニメ。DVD観る。公開当時、手塚治虫の漫画「ジャングル大帝」に似ているとして抗議されたことがあった。たしかに似ているが抗議するほどのレベルではない。88分だったが、途中小休止をいれて(退屈で眠くなった)観た。尊い血統のものが一度追放され、やがて王位に復帰する話で、あまりに古典的なパターン。漫画「ジャングル大帝」とはちがって、ただの動物アニメで工夫は感じられず、話にも絵にも深みはない。ミュージカル・シーンだけは吹き替えでなければ楽しめる作品だ。
 「酔いどれ天使」をBSで。不思議なことだが、このころすでに「七人の侍」や「赤ひげ」が予言されている。志村喬の酔いどれ医者は、同じく志村の勘兵衛とそっくりな頭の撫ぜ方をするし、三船のヤクザ松永との掛け合いも勘兵衛と菊千代のパターンを思わせ、松永の死に方は「七人の侍」の菊千代の最後と映像的に重なる。これも面白いのだが、この映画で黒澤映画デヴューした三船は、最後の黒澤作品「赤ひげ」で今度は医者の役になっている。三船の場合映画的には医者に始まり医者で終わっているのだ。(志村―三船のダメ医者ダメ患者の関係は三船―加山の偉大な師と優等生な弟子の関係へと進む)それと今回初めて気が付いたのだが、タランティーノの「パルプ・フィクション」でトラボルタがユマ・サーマンとダンスを踊るシーンは、この映画で三船がブギを踊るシーンに影響を受けているのではないかということだ。映像は進むにつれてまるでドイツ表現主義映画の「カリガリ博士」みたいになっていく。
06月12日  
 「蘇える金狼」(いわゆる角川映画)をBSで。監督村川透、主演松田優作。あまりのくだらなさにカマンならず、1時間でWOWOWのエイドリアン・ラインの「危険な情事」に変える。こちらは途中からだが、見始めたら目が離せない。この落差はなんだろう。ともに新しい映画ではない。「金狼」は完全に経時変化して、実にみじめなことになっている。はっきり言ってクズ。それに引き換え「情事」は2回目だが、まったく退色していない。映画の構造がしっかりしているからだろう。角川映画は犬神家と「時をかける少女」、「蒲田行進曲」を生んだだけのイベントだった。後年、この両作の主演者は「ブラック・レイン」で共演することになるのだが。
06月16日  
 「SPL 狼よ静かに死ね」ドニー・イェン、サモ・ハン(・キンポー)共演。監督ウィルソン・イップ。アクション監督ドニー・イェン。DVDにて。香港犯罪映画。武闘派デカのドニー・イェンのカンフー・アクションが物凄い迫力。凄いの一言。ただ、ラストでドニー・イェンがビルから落されて死んでしまうのは納得できない。マフィアのボスのサモ・ハンを道ずれに、ボスの愛人と子供の乗っている車の上に落ちるのが正しい最期。先日「あるいは裏切りの犬」という奇妙な名前のフランスの犯罪映画を見たが、音楽の使い方や悲劇的な雰囲気がちょっと似ている。これらに比べたら松田優作の「蘇える金狼」など子供騙しで単なる冗談だ。 
06月19日  
 「叫」黒沢清監督。役所広司主演。なんだこれは。ホラー映画だと思って見てみれば、まったく期待外れ。我慢の限界を超えているC級ホラー。意味不明の幽霊譚。なによりもストーリーが滅茶苦茶じゃないか。映画になっていない。作っているスタッフたちにはこの話、理解できているのかね。大した頭だね「ホラー」というものを勘違いしているか、まったく馬鹿にしているかどちらかにしか思えない。この監督は俺にとっては全く駄目な監督で、いままで面白かったことがない。でも海外では絶賛らしい。どこをどう評価しているのか。首を傾げるばかりだ。
06月20日  
 「バッシング」小林政広監督。占部房子主演。この女優は非常に新鮮だった。数年前に起きたイラクでの邦人人質事件に想を得てはいるが、映画ではその事情ははっきり触れてはいない。映画はあくまで中東のどこかの国で人質になったボランティア女性が解放されて帰国した後のことに限られている。この女性に対する世間の非難は厳しいもので、まったく孤立無援の状態におかれ、仕事にもつけず、ひきこもりになってしまう。懲りもせず再びイラクに行こうとしている彼女に、両親も同情しながらも持て余し気味である。特に父親は会社をくびになり悲観して自殺してしまう。この辺あまりにも理不尽で救いが無さ過ぎる。そんなに過剰に世間全員が同じ方向に反応するだろうか。この女性、コンビニでのおでんのエゴイスティックな買い方も見ても性格がかなり特殊である。これは人質解放以後そうなったのか、バッシングによってそうなったのか分からないが、なかなか周囲に理解されない損な性格なのである。彼女は日本では全くの落ちこぼれで、イラクに行くと自分は現地の人から初めて一人前に頼りにされる。日本には自分の居場所がなかったのだという。ある意味で彼女は日本では難民だった。彼女は自分の存在確認のために(しかし懸命に)ボランティアをしているのである。これを現実逃避とか自己満足でしかないと見るかどうかは意見が分かれるだろう。気になったのは、武装組織に拉致された精神的な後遺症が全く描かれていなかったことだ。かなりの恐怖だったはずだ。それがないために彼女がボランティアだけに自己を見出す心理がうまく映画に反映されていないように思える。
06月21日  
 「大河の一滴」五木寛之著。読了。 
06月22日  
 「生物と無生物のあいだ」福岡伸一著。読了。「大河の一滴」とこの本をほぼ同時に読み終わったのは並行して読んでいたからである。人生と生物(生命)は驚くほど共通項がある。
 「天才伝説横山やすし」、「笑学百科」、「コラムの冒険」と小林信彦の本を続けて読んだ。この人の映画を含むエンタ批評は読みだすと止まらない。会社で読んでしまったのが「夜のコント冬のコント」筒井康隆。この人の落ちのわからない短編はまるで内田百閧セ。特に「CINEMAレベル9」は映画ファン必読。

07月18日  
 「フィラデルフィア物語」、ジョージキューカー監督。小林信彦のエッセイでとりあげられていた。キャサリン・ヘップバーンの金持ちの令嬢に、追い出された元夫ケーリー・グラントが、彼女の人間性についての説教を完膚なきまでに言うところがすごい。しかし、結論的にはかなり退屈。ねむいのを我慢して見た。体調のいい時向き。「邂逅(めぐりあい)」これも続けて見る。監督はレオ・マッケリー。これもハリウッド黄金期の古典。シャルル・ボワイエとアイリーン・ダン共演のオリジナル版。アイリーン・ダンという女優がじつに賢明で美しく素晴らしい。初めて見た。キャサリン・ヘップバーンのようなカリスマ女優ではないのがいい。
07月19日  
 「ブラックブック」ポール・バーホーベン監督。ナチス版「ラスト、コーション」のような話で、この臆面もない監督の作品の中では一番面白い。良心作とさえ言える。ナチスの末期を描いて、ビスコンティみたいな含蓄はない代わりに直截的なストーリーで一気に見せる。この監督にしてはかなりアクションも抑え目で良かった。主演のカリス・ファン・ハウテンという女優が魅力的だ。ただし、タイトルの「黒いノート」は映画の中心ではない。ただの小道具に過ぎない。中東戦争時のイスラエルのキブツで終わるのは、戦争は終わることがないという反省しない歴史の皮肉だ。
07月22日  
 「冬のライオン」アンソニー・ハーベイ監督。ピーター・オトゥール、キャサリン・ヘップバーン共演。20年以上前に見たきりの映画だが、DVDにて再見。あのときと変わらない重量感。イギリス王ヘンリー2世とその妻の夫婦喧嘩映画。その応酬は心身ともにへとへとになる激しさ。それでもなお断ち切りがたい絆で結ばれている。なんという業だろう。シェークスピア脚本といってもいいくらい。両名優の横綱相撲でガップリ四つの貫禄の大相撲。監督も脚本(ジェームス・ゴールドマン)もほとんどこれ一作のみのホームラン。
07月28日  
 「サタデー・ナイト・フィーバー」ジョン・バタム監督。主演もちろんトラボルタ。小林信彦が褒めていた。実は初めて見たのだ。当時馬鹿にして観なかった。アメリカの都会の将来を期待できない下層階級の若者を描いてなかなかいい。ディスコ・ダンスの見せ方も十分で、よくできたミュージカルみたいである。ただ、ヒロインはダメ。体が硬いのか踊りに伸びがなくトラボルタと全然合わない。主役がなぜあんな見栄っ張りの女に最後まで惹かれるのかわからない。

08月01日  
 「生きるヒント」五木寛之著。読了。著者本人は否定しているが、これはまぎれもなく人生論である。人間「如何に生きるべき」かと人間が「生きるということはどういうことか」のどちらを人生論と呼ぶかのちがいにすぎない。「大河の一滴」と重複するところも多くあり。「生きる意味はあるが、人生に希望はない」というような人生論が売れるわけはないと書いているがそんなことはない。実際この本は売れている。「人世論」とでもいうべき?悲しみや死と寄り添うのが生きるという意味だという内容には共感する。成功不成功で論じたHOWTO人生論ではなく心療内科的な面もある。
08月09日まで  
 「天使の牙」、「となり町戦争」、「冬の華」をDVDにて。「天使」は所属不明の映画としか言いようがない。麻薬組織のボスの萩原健一が「地獄の黙示録」のマーロン・ブランドのマネをするところあり。期待の「となり町」は原作の魅力が全く表わせていない凡作。戦争が行政事業となった異様さを原作どおりにやってくれればよかったのだ。ほとんどカットされている。主演の原田知世がやたらに老けて見え魅力なし。「冬の華」は2度目だが、倉本聡の脚本の魅力で最後までじっくり見せる。改めて見てもそれは変わらない。高倉健のために書かれた任侠映画の挽歌と思える。

09月18日  
 まったく書く気がせずに今まで来てしまった。「げたばき物語」(半村良の自伝エッセイ集)、「李陵・山月記」(中島敦)、「映画を夢みて」(小林信彦)、「真知子」(野上弥生子)、今話題のリバイバル「蟹工船」(小林多喜二)などを読む。感銘を受けたのは中島敦の大河性。驚いたのは野上弥生子。恋愛小説として全く古びていない。きわめて新鮮。
 堤未果「貧困大国アメリカ」読了。内容はほとんどマイケル・ムーアの「華氏911」、「シッコ」と重なる。国とは面倒なものである。

*****気がつけばいつの間にやら10月!
10月10日  
 「火の鳥2772」手塚治虫原作、御厨さと美作画。アニメの漫画化。全然面白くない。単なる絵本。これが失敗なのは、火の鳥と人間が直接対決してしまうことだ。歴史や人間のドラマであったはずが、惨めな宇宙怪物ものになり下がってしまっている。見るべきものは手塚の手になる表紙の絵のみ。
10月18日  
 「和菓子屋の息子」小林信彦著。読了。東京下町最後の男である著者の自伝。こういう題材だと追随を許さない。
10月19日  
 「文壇」野坂昭如著。読了。屑かごに捨てられることのない文章、無駄に消費されない文章への渇望が放送作家の彼を「小説家」に作り変えた。小説は彼にとって、生きている証、あるいは聖痕ともいうべきもの。あの独特の句読点のない長々しい文体の誕生のいきさつが明らかになる。いわゆる天才。「絢爛たる逆光」と同様に結局彼の自伝のようになる。彼と吉行・丸谷との交流はかなり濃いものだったのだ。野坂の文体を模写した解説も面白い。ここに出てくるのはいわゆる記念物のような「最後の文士」たちである。ここに出てくる人たちがおそらく「最後」になるだろう。以後、「文壇」は前世紀の遺物みたいなものになるであろう。

11月1日  
 「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」武居俊樹著。読了。筆者はバカボンで「バカ武居」と呼ばれるキャラクターのモデルになった赤塚担当の編集者。彼のギャグ漫画の作り方がよくわかった。さいとう・たかをのプロダクション・システムと同じように思える。感想を言えば「バカ者どもが夢の跡」ともいうべきものだ。最後の文士という言葉があるが、赤塚とその一党の脱線ぶりは、個性が爆発するように開花していく様子がまさにメチャクチャである。これでは長生きできんわな。最後のバカだろう。手塚に影響をうけた「最後の一人」のうちのひとり。
11月3日  
 「風媒花」武田泰淳著。読了。1か月以上かかった。途中放っておいたりしてわからなくなってしまったがとにかく読了。もう一度読まないとよくわからない。 「殺、殺、殺!」と呪文のように唱える「国士」が出てくるが、これが強烈な個性を感じさせた。


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