王妃の紋章

日付:

2008.05.02

チャン・イーモウ監督の「HERO」、「LOVERS」に続く中国歴史絵巻である。前2作に続いて、人間や時代を描くというより映像美・様式美の極端な追求で、たしかにそれは眩暈がするほどである。開巻から度肝を抜くような壮麗な王宮の装飾に目が眩む。王宮の朝、女官たちが起床し、お勤めの支度をするシーンの夥しい員数は、羽虫の羽化にも似た光景だ。それとともに明らかされる贅を尽くした王宮内部は、まるで宝石の中の世界である。

神話的ともSF的ともいえるような、およそ現実離れ(フィクショナル)な「虚飾」の空間だ。極端に胸を強調した女性たちの衣装は、中国(東洋)的というより西欧的で、映画自体も中国歴史ものというよりどこか無国籍性を帯びている。デヴィット・リンチ監督のあの“ドラマ無き”怪作「デューン/砂の惑星」や電脳映画「マトリックス」を思わせるほどだ。しかし、虚飾という言葉では片づけられない禍々しくも魅惑的な空間でもある。このような極彩色の世界に棲んでいる人間は、果たして正気のままでいられるものだろうか。描こうとしたものは途方もない権力美か。

宮廷の祭事「重陽の節句」に広大な庭に敷き詰められる菊の鉢の一面の海。原題の「黄金の花の(わざわい)」の意味するのはこのことなのだろう。この祭儀を舞台にして繰り広げられるのは、王の一族の陳腐とさえいえるような裏切り、不信、嫉妬、憎悪、血縁の交錯である。

絶対の権力を握る国王、義理の息子と不倫関係にある現王妃、義理の息子は長男で先妃の息子である。彼はお抱え医師の娘と恋愛関係にもある。現妃の実の息子で歴戦の戦士の次男、病弱で気弱にみえる三男。さらに王に復讐を図る先妃があらわれる。王に子どもが3人というと「リア王」の世界だが、そういう話にはならない。人間は黄金の中に生きても所詮変わりようのない生き物なのである。そして黄金の果実の中は腐っている。

「冬のライオン」というイギリスの国王(ヘンリー2世)夫婦が、王位継承をめぐって国を挙げて夫婦喧嘩する映画があったが、あのような露悪的なほどの人間臭さはここにはない。感情の起伏が抑制され、人間としての苦悩がうかがえない。いやそんな持ち合わせは、最早ないのか。

中国(大陸)的物量の物凄さは息をのむ。すべてを無効とするような圧倒的な物量だ。(たしかに北京オリンピック開会式を演出するだけのことある。)結局、王と王妃との権力争いなのだが、ここで動員される軍隊・家来をはじめとする人員たちは、人格は考慮されずに単位でしかない。夥しい死屍累々。その流血は黄金の甲冑に隠されて、人の死を認識させることはない。彼らの命は、自身が踏み躙る菊の花一輪にも等しいのである。絶対支配者というものは何と無慈悲な世界観しか持っていないのだろうか。しかし、泰山鳴動して鼠一匹。これほどの死をもってしても何も変わらないのである。

人対人の戦いもたしかに描かれるが、すべてがカンフー・アクションで(いつも思うのだが、なぜ王から家来、女官まで全員カンフーの達人なのだろうか・・・素朴な疑問)、武闘というより舞踏のような中国武侠アクションで、それはそれで美しいのだが様式美の枠を出るものではない。極端に様式化された王宮のギンギラと怒涛の人海、映画として「見せるための物量」だとは思いながらもディスプレイではなくスクリーンでの一見の価値はたしかにある。

字幕・樋口裕子


 ●監督◎チャン・イーモウ
 ●脚本◎チャン・イーモウ ウー・ナン ビエン・ジーホン
 ●音楽◎梅林茂
 ●主演◎チョウ・ユンファ コン・リー
 ●共演◎ジェイ・チョウ リィウ・イエ リー・マン ニー・ターホン イン・ジュンジエ チェン・ジン
    
映画見よう見まねへ戻る