ラスト、コーション (色|戒)

日付:

2008.05.16

「ラスト」は“LUST”で「色欲」という意味。“LAST”ではない。「最後」ではないのだ。「コーション」は“CAUTION”で「警戒」だから、 「色|戒」という漢字の原題とこれで符合する。

太平洋戦争当時の上海と香港を舞台にして、日本占領下の傀儡政権(汪精衛)に協力する特務機関のリーダー、イーと彼を暗殺すべく潜入した中国人女子大学生チアチーとの「事」の顛末が描かれる。日本占領下でありながら、日本と日本人そのものは背景としか描かれない。描かれるのは大島渚の「愛のコリーダ」のごとき性愛である。激しいストレスを抱えた男と女の肉弾戦のような激しい性描写。男は祖国と民族を裏切っており、女はその男を裏切っている。命のかかった秘密である。互いが裏切りながら愛し合わねばならない不条理は一種の精神的内乱で、はじめは拷問のような激しさとなる。2人の肉体を通しての心の探り合いがこの映画の見所である。人間不信の極にいる男は、はじめは疑心暗鬼で、やがて一線を踏み越えるとそれが生きている証になり、唯一の癒しになっていく。女の方は愛した男を死に追いやらねばならない苦悩に際限なく苛まれる。

はじめはチアチーの属する抗日演劇サークルが、大学の夏休みの研究課題のように始めたアマチュアの暗殺計画であった。夏休みを利用して暗殺するという“ごっこ”の域をでないものだった。それでもチアチーは、イーの家に貿易商の妻として出入りするまでになる。彼女はイーを誘惑する役で人妻に成りきるためサークル仲間の男に身を任せて処女さえ捨てた。しかし、思わぬことで彼らは殺人を犯してしまい頓挫する。この殺人は、あらかじめ彼らの動きを捕捉していた抗日勢力(蒋介石)の中国国民党によって極秘に処理され、表沙汰にならなかった。上海を逃れ、心身ともに傷ついたチアチーは、香港の親戚に身を隠して3年。国民党主導のもとで、かつての仲間たちは暗殺計画を進めていた。無為な日々を送っていたチアチーも参加する。今度は演劇ごっこではない。彼女はイーの妻の取り巻きとして再び信頼されるまでになる。映画はこの時点から始まり、演劇サークル時代は回想という形をとっている。

イーは日本の傀儡政権の末路を(日本の敗戦を)見越しているようなところもあり、自滅を悟っているかのようなキャラクターが最終的につかみにくい。彼は保身のために祖国を裏切っているに過ぎないのだろうか。彼の任務上の身を削るようなストレスは想像できても、苦悩はよくわからない。演劇サークルのリーダーとの少女のようなもどかしい恋愛とは裏腹に、人妻としての成熟した女を演じねばならないチアチーの苦悩は痛々しい。決定的な瞬間を迎えて、彼女はイーを仲間の暗殺者たちの手に渡せない。これは男への愛なのか、人間としての情なのか。

チアチーとイーの情事は、はじめから彼の腹心の部下に見破られていて、2人はその中で泳がされていたことが明かされる。2人だけの秘密の情事ではなかったのだ。非情な政治の海を漂流していたに過ぎなかった。そして、男は波打ち際にあげられ、女は波に呑まれたのである。当時、魔都と呼ばれた香港や上海の街並みと群衆。まるで2人の緊迫した心理を反映したように凝縮された映像は素晴らしいものだ。イーのトニー・レオン、そしてチアチーのタン・ウェイの存在感は、すべてを圧倒している。アメリカで「ハルク」を撮った監督がこのような作品を撮るというのもなかなか不思議なことだ。ちなみに脚本も同じコンビである。ただ、男同士の同性愛を扱った「ブロークバック・マウンテン」はどうしても観る気にならない。

字幕・松浦美奈 広東語監修・鈴木真理子


 ●監督◎アン・リー
 ●脚本◎ワン・フイリン ジェームス・シェイマス
 ●音楽◎アレクサンドル・デスプラ
 ●主演◎トニー・レオン タン・ウェイ
 ●共演◎ワン・ホーリー ジョアン・チェン トゥオ・ツォンホァ チュウ・チーイン チン・ガーロウ
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