ラスト サムライ

日付: 2003.12.20

 ハリウッド製日本映画の力作・異色作。眼を見張るのは、明治という時代とその日本を忠実にというより、公正に再現しようとしていることだ。渡辺 謙や真田広之といった日本人俳優たちの演技・立ち振る舞いにもそれは現われていて、まるでサムライに敬意を表するためにつくられたかのようだ。(ただし、どうしてもニンジャを登場させたかったらしく、実際出てくるのだが明治時代にこれはチョットね・・・)
 精神面のみをとりあげて、サムライを理想化しすぎているところもあるのだが、これは本国アメリカで南北戦争(1861年)に従軍し、理不尽なインディアン虐殺に加担した過去を持ち、時代に置き去りにされた歴戦の英雄である主人公ネイサン(トム・クルーズ)のようやく出遭えた魂の安らぎどころと見れば、そう映るのも無理はないだろう。彼は明治の日本の軍隊の育成のため海を渡り、このサムライの地で自分の人生の誇りを取り戻すのだから。彼が軍隊という近代的な組織よりも、滅びゆくサムライ・スピリットに共感し、武士団とともに政府に対し自爆同然の抵抗に身を投ずるのは当然の成り行きだ。
 サムライを一身に体現する渡辺 謙のカツモトはトム・クルーズに全く引けをとらない熱演であるのだが、このカツモトという武士のキャラクターにイマイチ具体性がない。かつての佐幕派武士団の首領かと思っていたら、元老院の重鎮であることが後半にわかる。ということは徳川幕府を倒した側の有力政治家である。政府の政策に不満があって下野げやしたらしい。つまり彼は西郷隆盛がモデルなのである。
 西郷の起こした西南戦争(1877年)は、近代化の中で士族(武士)の待遇が不当であることに異議を唱えたものだったが、カツモトの場合、主義主張ではなくサムライとしての死に場所を見つけただけのようにしか見えない。カツモト自身ネイサンと同じように、時代に取り残された男であり、インディアンのような滅びゆくものたちへの挽歌(注)としては、やや自己陶酔的になってしまっている。
 カツモトが日本政府軍と戦って壮絶な討ち死にする際、いまや同志のネイサンに介錯され「(武士として)これがパーフェクトな死だ。」といって息絶えるところで終わっていればよかった。これが彼のサムライとしての美学なのである。それから後が長過ぎる。ネイサンは生き残ってしまう。どうしてあれほど撃たれて死なないのか。「滅び」という悲愴感が絵空事になってしまう。いかにもハリウッドといえばそれまでだが。カツモトたちは最後のサムライとして「死に」、開化の波に流されて来た堕ちた英雄ネイサンは、最後のサムライとして「生きた」ということだろう。

 ▲LOTR 王の帰還に帰還する ▲コールドマウンテンに帰りたい・・・▲コラテラルに戻る***ローグ・アサシンへ戻る


(注) この映画を観て「馬と呼ばれた男」(主演リチャード・ハリス)という映画を思い出した。イギリスの貴族がアメリカでインディアンにさらわれるが、逆にインディアンの文化に同化してしまう話だ。
【追記】 この映画で全くの憎まれ役の企業家にして政治家役のオオムラは、名前の表記を漢字で読んではじめてわかったが、映画監督の原田眞人ではないか。(故川谷拓三主演の「インディアン・サマー」でデビュー。「金融腐食列島 呪縛」他。昔はハリウッド専門の映画評論家だった)
 いかなる経緯で出演が決まったのか定かでないが、実直そうな顔立ち過ぎて悪役には釣り合わない。したがってこの映画は悪役が弱い。

 ●製作◎トム・クルーズ エドワード・ズウィック マーシャル・ハースコビッツ ポーラ・ワグナー
 ●監督◎エドワード・ズウィック
 ●脚本◎ジョン・ローガン マーシャル・ハースコビッツ エドワード・ズウィック
 ●主演◎トム・クルーズ
 ●共演◎渡辺 謙 真田広之 小雪 ティモシー・スポール ビリー・コノリー 原田眞人 福本清三(セリフなし)
 中村七之助as天皇(こんなに喋る天皇は未だかつてない。人間宣言する前からとても人間的です) 他


映画を観たTOPへ戻る