隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS

日付:

2008.06.06

黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」(1958年)といえば、@馬を走らせながら片手で人を持ち上げ後ろに乗せる。A全力疾走する馬の上で刀を両手で構えたまま追跡し、相手を騎馬戦の末倒す。Bライバルの敵将が「裏切り御免!」といって味方に付く。C勇壮な火祭り。(これは北野武が「座頭市」でやっているのだが)以上は語り草と言っていい。リメイク版では、@はない。出来なかったのか?機会はあったのに。A、B、Cはある。

オリジナル版「三悪人」の三船敏郎の武士、千秋実と藤原釜足の百姓コンビは、侍のプライドと農民の強欲によって完全な大人(オヤジ)映画だった。今回のリメイクでは、真壁六朗太の武士はそのままに、2人組を百姓からマタギ的漂流民とし、その1人(新八)に「強欲」を担わせ、もう1人(武蔵(たけぞう)=主人公)を自由にしたことが手柄である。そして、オリジナル版で雪姫と六朗太の、主従関係によって隔てられたプラトニックな感情を、雪姫と武蔵に割り振った。

ジョージ・ルーカスがのちに自供(●●)したように、「隠し砦の三悪人」と言えば、「スター・ウォーズ」のネタひとつである。当然、今「隠し砦」がリメイクされればダース・ベイダーの逆登場となる。そして、もちろん田所兵衛がその役となる。オリジナルでは藤田進がやったアッパレな敵役だ。この映画で一番割を食ったのがこの敵役(椎名桔平)である。名前は鷹山刑部という強そうな名前に変わっているが、かわいそうにこの映画の一番オイシイ決めゼリフ、「裏切り御免!」のセリフを取り上げられてしまった。だから身も蓋もない卑劣な敵役になってしまった。これならむしろ、もろにサディストにしてしまった方がよほど吹っ切れる。衣装が「SW」のダース・ベイダーそっくりなのはいいとしても、兜をとればハゲチャビンのオヤジなのはどうもいただけない。

姫と黄金を守る脱出劇という設定以外は新たにストーリーを構想したと云うのはウソで、脱出行程はオリジナルをしっかり踏襲している。だからいいのである。高嶋政宏がホモの関所の代官をやっていて、これがなかなか面白かった。ここで気が付いたが、このシーンは同じく黒澤映画の義経と弁慶の平泉落ちを扱った「虎の尾を踏む男たち」の安宅の関の件のパロディなのだ。そうみると、エノケンのやった強力は武蔵たちであり、六郎太は弁慶、雪姫は義経である。

「裏切り御免!」は感嘆符が取れて「裏切り御免。」となり2回使われる。雪姫が武蔵に言い、ラストで武蔵が雪姫に言う。恋のキッカケと終わりに使われるのは、これも一興だろう。観る方をも裏切るように、実は「裏切り御免」はさらにもうひとつ、運んだ黄金の正体に関して用意されている。あれだけ苦労して運んだつもり(●●●)の黄金は、秋月領の民百姓が国を逃れるときに分担して持って出たというのだ。支配者と民衆が互いにそこまで信用できるのか?これでは民衆と権力者の関係がまるでおとぎ話になってしまう。監督の意図として、底辺を生きる者たちのバイタリティを描くのではなかったのか。ここまでやると何のための敵陣突破だったのか、ストーリーそのものの有効性に関わってくる。なんでもどんでん返しにすればいいというものでもない。

高を括って観ていたら、逆に寄り切られてしまった。難攻不落の黒澤映画にこのような抜け道があったとは。若さと創意によって、黒澤映画にはなかった「恋」という要素を堂々と持ち込み、「青春」アドベンチャー時代劇として語り直したことは大いに評価されるべきだ。なぜ青春か?命を懸けたのに恋も実らず、黄金も手にできない。このアドベンチャーは結局、徒労に終わったのだ。「青春」とは無償なもので見返りはないのである。


 ●監督◎樋口真嗣
 ●オリジナル脚本◎菊島隆三 小国英雄 橋本忍 黒沢明
 ●脚色◎中島かずき  
 ●音楽◎佐藤直紀
 ●主演◎松本潤 長澤まさみ
 ●共演◎阿部寛 椎名桔平 宮川大輔 高嶋政宏 国村隼 甲本雅裕
    
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