怪談

日付:

2007.09.07

三遊亭円朝の怪談話「真景累ヶ淵」を映画化した本作。まず、第一に全く怖くない、第二にチットモ恐くない、第三にさっぱりコワくない。岡本綺堂の怪談なんかに比べると、である。円生の落語でこの噺は聴いたことがあるが、因果因縁話であって、噺の完成度とは別に、とても怪談といえる雰囲気はなかった。ましてやホラーの要素なぞ有りはしない。

講談調の始まり。ところは下総(茨城県)。貧乏旗本深見新左衛門の金貸し皆川宗悦殺しの場。背景の雪景色も舞台の書き割りである。殺された宗悦は、累ヶ淵(かさねがふち)に沈められる。やがて新左衛門は狂死し、家は断絶。新左衛門には息子が(原作では2人だが、この映画では1人)、宗悦には2人の娘があった。「累」には累代とか系累など、代を「かさねる」という意味がある。

新左衛門の息子の新吉の話に移ると語りは無くなり、通常のドラマ展開となる。舞台は江戸に移り、新吉は成人し武士を捨て、下男だったの勘蔵ともに煙草売りをしている。通りですれ違った年増女に煙草をすすめた縁で、新吉とその女は親密な関係になる。彼女は、新吉の父新左衛門に殺された宗悦の娘お志賀(富本の師匠豊志賀)であった。やがてお志賀は、新吉を想うあまり嫉妬深くなり、顔に負った傷がもとで神経を病んで死ぬ。原作の題名「真景累ヶ淵」の「真景(しんけい)」とは「神経」の言い替えだそうである。

今わの際のお志賀の残した書き置きには、「自分以外の女房を持てばとり殺す・・・」と記されてあった。この因縁話が怪談になっていくのだが、愛欲に引きずられる男女というにはあっさりし過ぎている。新吉とお志賀のエピソードは、設定としては阿倍定事件を扱った「愛のコリーダ」(大島 渚監督)を思わせる雰囲気もないことはないのだが、お志賀の黒木 瞳が、愛欲という顔には程遠く、かなり無理して演っている感じがする。

優男の新吉は女難の相でもあるのか、あるいは親の因果が子に報いたものか、出会う女という女から見初められてしまい、あげくに自分自身も相手も駄目にしてしまうという因果な運命を背負って生れついている。一種のダメ男の一生として、この怪談を語り直したならば、かなり面白くなったろうが、人間の妄執や男女の愛憎ドラマを描いてこその怪談であるものを、そこが描き切れていないのが残念だ。

お志賀に死により、商家の娘お久と下総へ駆け落ち、再びの累ヶ淵でお久の死、さらには大店の娘お累と結婚し子をもうけたのも束の間、芸者崩れのお賎(しづ)に弱みを握られて強請られる。店の金を持ち出して追い詰められた新吉は、舅を殺して(注)逃げまわる。そしてお志賀の妹お園に見守られながら、最期を迎える。ラストの新吉の首を抱いて消えてゆくお志賀の亡霊は、あたかもヨハネの首をもつサロメのごとし。ここでも「愛のコリーダ」を連想した。持ってるモノが違うのだが。

講談の語りで始めたのなら、最後まで通したらよかった。凝ったつもりであろうが、中途半端な印象だ。お志賀は、新吉が自分の親の敵の息子だとは最後まで知らないらしいのが腑に落ちない。このストーリーだと、新吉の父がお志賀の父を殺したという因縁の発端が生かされているとはいえない。エンディングにポップス風のテーマソングが掛かるが、こういう「神経」は理解に苦しむところだ。

(注) 舅の三蔵を演ずる津川雅彦が、新吉に殺される場面で、力んで顔が膨らみ、兄の長門裕之にそっくりになる。これも血の因縁にやあらむ。びっくり也。


 ●監督◎中田英夫
 ●原作◎三遊亭円朝
 ●脚本◎奥寺佐渡子
 ●音楽◎川井憲次
 ●衣装デザイン◎黒澤和子

 ●主演◎尾上菊之助 黒木 瞳
 ●共演◎井上真央 麻生久美子 木村多江 瀬戸朝香 一龍斎貞水 光石 研 津川雅彦
    
映画見よう見まねへ戻る