ゴーストライダー

日付: 22007.03.16

を悪魔に売り渡してしまうというストーリーは、文学的にも古いもので、有名なところでは、ゲーテの「ファウスト」がある。悪魔メフェストヘレスにファウスト博士がこの世のすべての享楽を知ることと引き換えに、自分の魂を悪魔に売り渡してしまうのである。あの手塚治虫も、これを原本にして3回もマンガ化している。この映画は、アメリカのマーベル・コミックを原作にしたものだ。結果的には「ファウスト」というよりも「デスノート」+「コンスタンティン」÷2のような作品になっている。

ニコラス・ケイジが扮する、命知らずの曲芸ライダー・ジョニーは、少年の頃病の父を救うために悪魔メフェストに魂を売り渡したため、恐怖心というものがない。だから、周囲が止めるような危険なショーも平気でこなしてしまう。彼は酒を飲まず甘党で、子どもの食べる菓子をグラスに入れて食べ、好んで聴く音楽が「カーペンターズ」なのが可笑しい。髪の毛がふさふさのニコラス・ケイジはかなり無理した若造り、肉体もどうやったのか不自然なほど筋肉モリモリで、悪魔と契約した者の、もはや生身の身体ではない奇妙な存在感、あるいは喪失感は確かにある。

メフェストが成人したジョニーのもとに再び現れ、悪魔界の反逆児ブラックハートとその一味を倒すように命令する。以来、彼は”ゴーストライダー”の能力に目覚める。彼の周りに悪が存在するとたちどころに感応し、ゴーストライダーに変身して・・・ただし夜間限定、(-_-)zzz・・・人間界の悪を成敗するというおまけまで付いて来た。このあたり、悪魔に無理やりさせられているようで、本人はかなりキツそうである。意に反したケタはずれな能力を行使せざるを得ない疲労感のようなものが、彼の顔や体に出ているのがちょっと面白い。

恋人のロクサーヌは、いつも肉体を誇示するファッションで、口元に品がなく、まるで露出癖のあるプレイメイトといったチープな印象。マーベル・コミック出身の女性キャラクターとしては、スーパーマンやスパイダーマンの女性キャラと比べれば異質な存在だが、むしろこの筋肉質はマンガそのままなのかもしれない。しかし現実にそのまま肉体を持つとちょっと生々しい。肉感的でありすぎるというか、実写的にはあまり説得力は感じない。つまりこのちょっとイカれたヒロインに好感は持てない。いなきゃ困るのでいるだけだが、キャラクター的にちょっと羽目をはずしてみましたという感じだ。

悪魔との魂の契約の意味となると、魂を売り渡しても“ハート”は自分のものだ、といった意味不明さが難点で、魂の問題などはあまり深く追求しないでVFXを単純に楽しんだ方がほうがいいだろう。敵役の悪魔ブラックハートが、多くの魂と合体して、自らを「レギオン」と名乗るクライマックスなどは、明らかに新約聖書(の福音書)に登場する悪霊の名前から取っているのだが、それ以上深読みしようとしても、足は底にすぐ着いてしまう。(参考映画:「ガメラ2 レギオン襲来」)

この映画の物足りなさは、せっかくニコラス・ケイジが主役をやっていながら(彼はこの映画化を熱望したらしい)、肝心なアクション場面になると、主人公の顔は単なる骸骨に変身してしまうことだ。これはVFXで作られた幻像に過ぎず、肉体的な存在感がなく、ニコラス・ケイジ=ジョニー=ゴーストライダーという図式が崩れてしまう。ニコラス・ケイジがこの役をやる必然性が果たしてあったのか?脆弱な敵役と共にあまりに芸がない。今更「黄金バット」や海賊映画でもあるまいに、これではそれこそただのマンガではないか。

エンドロールは、ロック調にアレンジされたカントリーミュージック往年の名曲「ゴーストライダー・イン・ザ・スカイ」がバックに流れて締めくくり。「ファウスト」とは関係なく、この曲がオリジナル原案なのだということがわかる。西部開拓時代の伝説を現代に蘇えらせているわけなのだろうが、西部劇部分のエピソードをもう少し丁寧に描いてもらわないと、「ゴーストライダー」という出自がはっきりして来ない。蛇足ながら、悪魔メフェスト役で出ている久々のピーター・フォンダは、当然「イージーライダー」のライダーつながりで出ているだけだろう。

 字幕・松崎宏幸(この人は新人か)


 ●監督◎マーク・スティーブン・ジョンソン
 ●原作◎マーベル・コミック
 ●脚本◎マーク・スティーブン・ジョンソン
 ●音楽◎クリストファー・ヤング
 ●主演◎ニコラス・ケイジ
 ●共演◎エヴァ・メンデス サム・エリオット ウェス・ベントリー ドナル・ローグ And ピーター・フォンダ

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