アース

日付:

2008.01.19

 大自然もの。はるか昔、地球の地軸が23.5度傾くことによって季節が誕生したのだそうだ。(これは知らなかった)北極の地でのシロクマの親子の旅立ちから映像は始まり、さらに300万頭のトナカイのツンドラの地での大移動、そのトナカイの子を狩るオオカミたち。ヒマラヤ山脈を越えるツルの群れ。乾季に水を求めて移動するアフリカゾウの一団とそれを付け狙うライオンの一族。自然界の弱肉強食を映し、自然の掟に支配される動物たちの非情な運命を追う。苛酷な生命(いのち)の争奪戦である。大自然の作り出す驚異的な美しさも織り交ぜながら、映像は何を語っているのかというと、これが極めて散漫な印象を残すだけである。

NHKの「プラネットアース」や「ダーウィンが来た!」のようなTV「番組」に正規料金を払って、なぜ「映画館」で観なければならないのか。最近、NHKスペシャル「南米の神秘 純白の大砂丘」を、テレビで観て自然の驚異に唖然としたばかりだ。もちろん、これらは受信料を払って見ているうちの一本である。映画館で観る必要がサラサラない映像を、あたかも映画でしか観れないかのように宣伝するのはどうかと思う。

評判を呼んだ温暖化警告ドキュメンタリー映画「不都合な真実」にあやかった地球環境警告ものに無理やり仕立てた感じがいかにも「不自然」である。出てくるエピソードに作品的な統一性がなく、何が言いたいのかわからない。「WATARIDORI」という鳥の渡りを徹底的に追った一点凝視の驚異のドキュメンタリー映画があったが、自然を扱って感動を呼び起こすには、あのくらいの迫力がないと映画館で観るに値しないだろう。

自然界にとって生命とは、連鎖以外の何ものでもないと思う。それは生けるものの讃歌とか祝祭というようなものではなく、ただ連綿と続いて行くこと、つまり「営み」なのである。生きるために生きているのであり、人間が云うところの「人生」などという思いはないのだと思う。なぜ生きるのかはわかるまい。生きているのか、生かされているのかもわからないだろう。

人間の姿が全く映っていないのはなぜだろう。アース(地球)と銘打つならば、絶対居なければならないはずの「人間」がここにいない。このタイトルの意味を認識できる唯一の生き物は人間なのに。「WATARIDORI」でさえそうだったのだが、大自然ものは1時間が限度だ。大自然というのは、波瀾万丈のようでありながら、動物も含めて意外にも単調なのである。生命の営みという「日常」しかないからだ。この映画のように1時間40分もあったら飽きてしまう。

ナレーター(ナビゲータ):渡辺謙


 ●監督◎アラステア・フォザーギル
 ●脚本◎デビッド・アッテンボロー、アラステア・フォザーギル、マーク・リンフィールド
 ●音楽◎ジョージ・フェントン
 ●主演◎野生動物たち
    
映画見よう見まねへ戻る