敬愛なるベートーヴェン

日付: 2007.01.17

 原題は「Copying Beethoven」。このコピーというのは、この場合「写譜」の意味だそうだ。かつて写譜師という職業があったのをはじめて知った。音楽家が書きなぐった楽譜を演奏者が読めるように清書するのだ。しかし、ベートーヴェンの写譜師は実際にいたが、この映画の主人公の女性写譜師はまったくの創作らしい。
 当時(1824年)のベートーヴェンは、耳はすでにほとんど聞こえなかったが、「楽聖」とよばれるほどに尊敬を集めていた大作曲家。彼は多くの作曲家のように宮廷に仕えることなく、音楽を職業として自立させていた最初の作曲家だった。彼の天才的な感性は、他人にとってはまさに野獣のごとき激しさで、誰も近づけない。その激しさは、常人には聞こえない音楽が聞こえてしまうという、一種の狂気ともいえる特殊性からくる孤独と背中合わせのものだった。「第9交響曲」の発表を目前に控えたこのベートーヴェンの写譜に派遣されたのは女性音楽家の卵アンナだった。
 エド・ハリスの役作りの緻密さは、たしかに偉大な「楽聖」と孤独な野蛮人とが同居するような複雑なキャラクターを見事に表現している。アンナの前で突然お尻を出してみたりする幼児性や、アンナの作曲した曲をオナラの口真似をしながらピアノで弾いてしまう無神経さなどは、同じ天才音楽家モーツァルトを描いた映画「アマデウス」にも共通する。
 アンナが耳の不自由なベートーヴェンと2人3脚で、「第9」の初演の指揮をやりとげるところは、この映画のクライマックスで、目も耳も離せない。原初的な迫力に満ちた演奏をめいっぱい聞かせてくれる。あたかも現代のロックコンサートを髣髴とさせる。ここで彼女はベートーヴェンに憑いたミューズ(芸術の女神)のごとき役割を果たしている。彼女は写譜の際、ベートーヴェンでさえ気づかなかった作曲上の間違いでさえ指摘するのだ。ただアンナがベートーヴェンの耳となり互いに補完しあって、指揮を完成するこの場面に、性的な意味が現れないのは残念に思う。
 ベートーヴェンという天才の孤独や苦悩を描いているのは分かるが、わざわざ女性音楽家の目で見たベートーヴェンという設定で試みようとした、もう一つのベートーヴェン像とは何だったのかは、いまひとつはっきりとした輪郭を持たない。彼女の作曲した音楽は発表されることはなかった。彼女は陰でベートーヴェンを理解し支えた、天才ではない1人の常人に過ぎなかったのか。おそらく「ミューズ」とは、自ら芸術を作り出すのでは無く、誰かに寄り添い、その誰かが芸術を生み出す手助けをする者のことをいうのだろう。ベートーヴェンの最期を看取った彼女は、その役割を終えたかのように暗い部屋の戸を開け、1人朝日の中を去ってゆく。

 字幕・古田由紀子
 上映時間104分。大作級に120分もあるかと思ったが、案外短く仕上がっている。


 ●監督◎アニエスカ・ホランド
 ●脚本◎クリストファー・ウィルキンソン スティファン・J・リヴェル
 ●音楽スーパーバイザー◎マギー・ラドフォード
 ●主演◎エド・ハリス ダイアン・クルーガー
 ●共演◎マシュー・グード ラルフ・ライアック ジョー・アンダーソン

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