ブレイブ ワン

日付:

2007.11.09

 「狼よさらば」(1974年 マイケル・ウィナー監督)というチャールズ・ブロンソン主演の映画と同じテーマを扱った作品で、その意味では目新しいものは感じなかった。主人公が人を銃殺して嘔吐してしまうシーンまで同じである。でもリメークではないらしい。公開当時、アクション俳優のブロンソンではミスキャストで、ヘンリー・フォンダあたりが適役だ、というような論評もあったように思う。そこで今回、主人公を女性に替えてアカデミー賞女優でやってしまった感じである。「エクスタミネーター」なんていうベトナム後遺症映画もこの系列であろう。チラシの惹句は「許せますか、彼女の“選択”」とあるが、もちろん許せる。しかし、それは許せるように作られているからに過ぎない。

ニューヨークでDJをやっているエリカは婚約中で、結婚式が目前である。婚約者と公園を散歩しているときに、暴漢に襲われ婚約者は殺され、自身も瀕死の重傷を負ってしまう。エリカの婚約者がインド人の医師というのは、現在のインドとアメリカの位置関係を表わしているのかも。このあまりに理不尽な暴力に彼女はなかなか立ち直れない。慣れ親しんだはずの都市が彼女自身に牙を剥く恐怖さえ感じるようになる。彼女は非合法の(つまりヤミで)拳銃を手に入れる。コンビニ強盗に遭遇し、護身のために強盗を撃ち殺してしまう。以来、彼女は次第に世間のクズといわれる(思われる)人間たちと接触を持ち、殺し始める。やがて警察から婚約者殺しの暴漢の面通しを依頼される。暴漢の住所を探し出した彼女は、単身そこに乗り込み・・・。

個人が武装すること、人を殺すこと、その結果抱えることになる人生のトラウマを真摯に描こうとしているのはわかるが、所詮彼女は復讐者であり、闇の処刑人を描いているだけだ。そして、その思いを映画は、割と簡単に叶えてしまう。彼女を追う刑事ですら、最終的には協力してしまうのだ。彼女の“選択”は許せても、彼の刑事としての“選択”は許せるのだろうか。理想論に堕したと言われようと寸でのところで思いとどまるのがやはり常道であろう。映画としては、その思いとどまり方を工夫すべきなのではないだろうか。

彼女の行為は正義なのか、復讐なのかといった問題に踏み込んでいるとは思えない。あまりに早く簡単に銃に辿り着き過ぎるのが、「あまりに」アメリカ的である。個人が武装しなければならないのは、社会と人心が荒廃しているためであり、武装する本人も暴力を容認しているからだ。「処刑人」も結局は暴力の容認者に過ぎないのである。民主主義の殿堂にして伝道者を自認するアメリカの現実はこのようなものである。正しい”私刑”は有り得る、というのは西部劇の時代からの伝統なのだろうが、それを「ブレイブ(勇敢な)」といってしまっていいのだろうか。

字幕・松浦美奈


 ●監督◎ニール・ジョーダン
 ●原案・脚本◎ロデリック・テイラー&ブルース・A・テイラー
 ●脚本◎シンシア・モート
 ●音楽◎ダリオ・マリアネリ
 ●主演◎ジョディ・フォスター
 ●共演◎テレンス・ハワード ナビーン・アンドリュース ニッキー・カット メアリー・スティーンバージェン
    
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