ブラッド・ダイヤモンド

日付:2007.04.21

 

汚れた石に群がるハエを描いた映画。汚れた石とは世界で最も稀少で高貴な石、ダイヤモンドである。高貴なものは、時に汚れている。それは欲望によって、資本によって、そして民族の血によって。タイトルのブラッド(血)とはここに由来するのだろう。血塗られたダイヤを紛争ダイヤというのだそうだ。ハエというのは金蝿・銀蝿と黒い家蝿いえばえである。

黒い家蝿であるアフリカ武装勢力RUFのあまりに残虐一辺倒の同情の余地もない描かれ方は、ちょっとひど過ぎる。事実である面も多分にあるのだろうが、これでは人間性のかけらもない。つまり、観ている側にしてみれば、どうしたって彼らは未開人にしか見えないし、白人世界の人道主義のみがこの惨状を救える手段としか思えなくなってしまう。しかし大国の論理と資本の論理を振りかざしてアフリカに侵出してくる金蝿・銀蝿は、もちろん白人たちのことである。

漁師のソロモンはRUFに強制連行され家族とも引き裂かれ、ダイヤ採掘場で働かされている。偶然見つけた希少価値のピンク・ダイヤの原石を、近くの森に隠す。彼が政府軍に捕らえられ拘留された留置場に、ダイヤ密輸で拘留されていたダニーが居合わせ、ソロモンの家族を探すことと引き換えにそのダイヤを手に入れようと画策する。そこにダイヤ密輸ルートの取材に来ていた女性ジャーナリストのマディがソロモンの家族捜索に協力者として加わり、採掘場を目指すことになる。さらにダニーの育ての親でダイヤ密輸の元締かつ傭兵組織の指揮官、「地獄の黙示録」のキルゴア中佐みたいな通称「大佐」が後を追い、ダイヤ争奪戦が始まる。

殺戮の原野を抜け出し、文明の光のもとに救い出された家族思いの素朴な黒人の姿は、殺し合うだけで何の問題解決能力もないアフリカという未開の大地と、欧米文化・文明のみが持つとでも言いたげなヒューマニズムの臆面もない対比の象徴のようで、その描き方には疑問が残る。同じく内戦を描いた「ホテル・ルワンダ」などに比べると、社会性の点では大きく後退している。

主役はレオナルド・デカプリオ。元傭兵で武器やダイヤの密売人ダニーなのだが、この自分の利益のみに生きる男のダークなキャラクターが演じ切れていない。どうしても結局いい人なんだろうという感じがしてしまう。実際最後はそうなるのだが、それでは打算や利害を越えた人間的感情に目覚めてゆく過程が生きてこない。

戦闘場面はかなりの物量を投入破壊し、大量の死を描きスケールを感じはするが、あくまで娯楽映画のリアリティであって、戦場の臨場感や緊迫感は伝わってこない。欲望に踊らされ徒労のうちに犬死にしてゆく人間たちを描くのだったら、ピンクのダイヤが本物である必要はなかったのではないか。あまりに簡単にダイヤが見つかってしまって、その後最後まで姿が出てこないもんだから、実はガラスのかけらか何かではないかと疑って観ていたのである。いずれにしろ資本と消費の論理に蹂躙されるアフリカという地域は、“THIS IS AFRICA”(TIA)という映画の中の言葉どおりに本当に救われない。

映画にはあまり関係ないことだが、銃というのは武器の中で一番良心の呵責を感じずに効率的に人を殺せる道具だ。直接相手に触れることなく、携帯可能なその道具の引き金さえ引ければそれで良いのだから、殺人は誰にでも出来ることである。拉致されたソロモンの息子が、少年兵に洗脳教育されていく過程でそう感じた。たとえ身を守るためにであっても(例えばアメリカの銃社会も)、一度銃を手にしてしまった人たちは、容易には手放さないだろう。

字幕・今泉恒子


 ●監督◎エドワード・ズウィック
 ●原案◎チャールス・レビット C・ゲイビー・ミッチェル
 ●脚本◎チャールス・レビット
 ●音楽◎ジェームス・ニュートン・ハワード
 ●主演◎レオナルド・デカプリオ
 ●共演◎ジェニファー・コネリー ジャイモン・スンフー アーノルド・ボスロー マイケル・シーン 

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