2010.01.

 AVATAR アバター (2D)

3D映画として公開されている。地方では設備的に2Dしか上映できないようだ。

3Dアニメの欠点は動きに質量感が出ないことである。地に足が付いていない感じで動作がフワフワなのだ。この映画でもそれは解消されていない。もっともあの面相でリアリティが出てしまったのでは気持ち悪くてかなわないかも。目の離れた、鼻の潰れた造形に最後まで馴染めなかった。生理的に駄目だった。アングロサクソン風の顔立ちではない主人公の2人、誰かに似ているが思い出せない。

映画を3Dで観なければならない理由が分からない。立体映像に胡散臭さを感じてしまう。オマケの多いお菓子にしか思えない。たとえば兵隊が3D映像で戦争の仕方を学ぶために疑似体験するとかゲームの世界には有効だと思うが、それらは擬似体験で学習したり楽しんだりするためのもの。感覚の訓練や反射神経の運動の道具(ツール)すぎない。そういうテーマパーク的映像を体験することがそんなに素晴らしいことなのか。

ちょっと気のきいた西部劇でこんなのがあった。インディアンの集落に遭難して助けられた白人が、(よりによって!)酋長の娘に介抱されて、恋に落ちる。酋長も2人の間を認めてインディアンの仲間に受け入れられるが、それが白人社会との争いの原因となり悲劇がおこる・・・話があまりにも定石通り。つまりは手垢のついた冒険もの。古い。が、判りやすい。クライマックスも全くハリウッド映画のルール通り、死んだと思った悪役がまだ死んでいなかった式のこれでもかの大サービスで観ている間はたしかに気持ちがいい。圧倒的な臨場感を体感できる実に気持ちのいい戦争。

おまけに環境問題にもぬかりなく、自己の利益のために環境破壊を推し進める科学文明の地球=「アメリカ軍」は、自然と共存するスロウ文明的な(アフガニスタンみたいな、マヤか)民族に最終的にちゃんと敗れるようにできている。つまり呪術的な世界(大自然=善)が科学文明(暴力=悪)を最後には打ち負かすという逆転のルーティンである。グローバリズムの対極に置いた世界を理想世界と幻想するわれわれは、実際は「どっちの側」にいるのかは説明するまでもない。進歩しない世界(理想世界)礼賛のこの映画は、実は最も進歩した科学技術(3D)によって生まれているという皮肉。もっともこれが文明的娯楽というものなのだろう。

人工的にものすごい光景を観て感動するのはいいのだが、現実の自然美よりもさらにすごい光景を観てしまえば、環境(景観)保護などというフレーズは色褪せてしまう。実物よりイリュージョンの方が素晴らしいのだから。現地に行かなくてもいいのだし。結局この種の環境問題啓発映画は、「風の谷のナウシカ」が今でも最良でかつ最後の作品だと改めて思う。

《吹き替え版》・・・・この場合、字幕でない方が映像に集中できる。

監督・脚本 ジェームス・キャメロン   主演 サム・ワーシントン ゾーイ・サルダナ 
共演 シガニー・ウィーバー ジョバンニ・リビシー スティーブン・ラング

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