死体をバラバラにし、生ごみと一緒に始末する。決して笑い事じゃないのに、なぜか全編笑いの連続。ブラックユーモアともとれなくもないが、これは人間が図らずも繰り広げてしまう漫才である。最初にツッコミを入れるのが、衝動的に旦那を殺した張本人の弥生。こともあろうに死体の処理を妊娠中を理由にパート仲間の雅子に押し付ける。今風に言うと彼女は張本人ではなくてチョー(超)本人である。本人を平気で超えているから。ここで雅子はなぜかボケてしまう。巻き込まれた彼女は同じ仲間のヨシエと邦子にツッコミを入れる。彼女たちもなぜかボケてしまう。ツッコミとボケがここから始まる。つまり雅子は死体の解体という前代未聞の非日常を、パート仲間を引き込み、主婦の日常感覚でやってしまうのである。彼女らの日常感覚に犯罪の方が負けてしまう。そうなるとこれは犯罪ですらなくパートの仕事となってしまう。ここの落差が実に笑える。
陰惨な話がなぜこうも爽快なのか?雅子たちが頼もしくさえ思える。うじうじした男どもに一泡吹かせているからかもしれない。しかしたぶんそれだけではない。自分たちのどっぷり浸かったシガラミを脱ぎ捨てることの気持ち好さだと思う。
日々同じ所をぐるぐる回っているかのような出口のない日常の中(IN)からOUTする。リストラにあったまま燃え尽きた夫、まったく口を利かない息子、気がつくと自分には何もない。守り育ててきたつもりのものが実はまったく意味をなさず、自分の人生が壊れようとしている敗北感。それを埋め合わせるような人間の解体作業。人間も人生も消去できるのだ。それを自分の人生と重ねたのかもしれない。今までの自分からOUTする。人生は結局誰のものでもなく自分のものであると気づく。それがSAFE(安全)ではなくOUTであってもいい。
追われて北へ。逃走の滑走路は、ごみごみとした町の路地でなく、北海道の凍てつく大地から空に果てしなく続く一直線の道。その果てでオーロラを見るために。途中産気づいた弥生を行きずりの病院に降ろし、車を捨てる。そして通りがかったトラックを拾う。運転しているのがなんと「上海バンスキング」(*注)の吉田日出子。こんなところを歩いている彼女たちに旅の目的を聞いたときの彼女の共感と賛同の目の輝き。ひょっとして彼女もまた同類。これは人生の破壊と再生の物語である。オレだって、心に翻るオーロラを見るためならば、いつかここから「OUT」してやる・・・。
久しぶりの原田美枝子が実に魅力的。原作とはまったく違う展開だけどね。