和尚の法話



『龍は経験を食べて成長する』
 〜震災復興を日本再生元年の第一歩に〜
  福泉寺住職 宮入宗乗


みなさま、迎春のお慶びを申し上げます。
大晦日の真夜中、間もなく暦も変わろうという時刻、
私は福泉寺の役員の皆様・二年参りに来て下さった多勢の皆様と
福泉寺の庭の大きな焚き火の輪の中に居ました。
ふと何気なく見上げると空にはまさに「満天の星」が、
まばゆいばかりに、宝石箱をヒックリ返したように輝いていました。
そのとき私の胸に去来したのは、東北各地や北信濃の栄村の方々の『今』でした。

「一体、どんな想いでこの同じ星空を見上げているのだろう?』・・・と。

去年の初夏、
被災地の気仙沼や南三陸町の現地で車で野営しながら見上げた「天の川」は、
きな臭い暗黒と不気味な静寂のなかに横たわる
ゴーストタウンのように人気(ひとけ)のない市街地を、
それでも静かに静かに、まるで大地と人の傷跡をいたわるかのように、包んでいました。
悲しいほど星の数はいつもにも増して沢山ありました。
大地自然の前には為すすべもない人の力の空しさと、
その一方でそれらの全てを包み込んで余りある
宇宙天地の懐の深さとを見せつけてさざめいていました。
愛する者と大切なものの全てを、
あるいは殆どを失ってもまだ必死にけなげに生きようとする人たち、
いや生き続けていかなければならない人たちは、
この私たちにとっては穏やかで「平和な大晦日の空や星」を、どう見上げているのでしょう?
正に不条理で非情で不公平です。でもこれが「現実」なのです。
そこを少しでも埋めるものがあるとしたら、
それは「想いを分かち合うこと」しかないと思うのです。
相手の悲しみを『わが身に引き充てて』想いを寄せる事だと思います。
『あなたたちの事をわすれていないよ』という「こころ」。
自分の充ち足りた今に気づき、不平不満を捨てて、
感謝と共に自分の今なすべきことを見出して生きる毎日を目指したいものです。
「自分のことだけ考えて生きていれば、それでよい」という生き方も自由です。
でも『何のために生まれてきたのだろう』と自らに問いかけて問いかけて、
さらに問いかけてみるとき、「決して一人では存在出来得ない自分」を発見し、
同事に「よりよく生きたい」という自分にも出会うのです。

東日本大震災のあと、多くの日本人がそのことを思い、
当たり前でありすぎた家族や隣人や友人の存在の尊さにあらためて想いを馳せ、
『絆(きずな)』という一字にこころ惹かれたのです。
まず衣食住を立て直すこと。街を地域を再生する事。
橋や道路や港や建物や職場や農地や・・・・
あらゆる生活空間の復興、職場や生活全般の建て直しなどなど、
ゼロ以下の、マイナス状態から立ち上がろうとする被災地の方々のご苦労は、
気の遠くなるような長く辛い道程の始まりです。
また、科学とりわけ原子力発電に頼ってまで維持しようとしてきた
「便利さ」と「快適さ」を絶対優先の日本全体の「暮らし方」も、
根幹から見直しを迫られています。
お互いの背負っている課題や、喜びも悲しみもわが身に引き充てて想い感じるとき、
『自分だけ○○ならば』は無いのです。
そうみんなが気づけば復興の足取りも速く着実になり、
それは「震災復興」に留まらず、「日本再生」の第一歩になるはずです。
僭越ながら「政治をアテにしてはいけません」。
少なくとも今の「政治家を手本にしてはいけません」。
この非常時に何をしているのでしょう。
国民の多くが様々な苦難の中で、それでも必死に
「よい日本」「絆のある日本」をめざそうとしてガンバッているときに、
政治家は何をしているのでしょう。
国会ではお互いに愚かで不毛の罵しりあいと足の引っ張り合い。
街に出て料亭密室会合で美(醜)酒に酔い痴れ、
テレビに出ればお笑いタレントに混じって国民に媚を売り・・・・。

今年は奇しくも辰年(たつ)です。私たちが『たつ』時です。
立つ→自立する。国や政治や政治家をアテにしない。
国は『お上(おかみ)』ではなく、われわれは主権者なのだから「国に(政治に)やらせる」
それが民主主義なのだから。

断つ→自律。自らの有り余る欲望・よこしまな心と闘い、苦悩しつつ自分をコントロールする。
発つ→新たな挑戦への旅発ち。
起つ→さぁっ、いざ行動を!

自分の出来る事から始めよう!

        「辰」 
    
        
「辰(たつ)」は十二支では「龍」を表します。

昨年十二月に来日したブータン国王は、
各地で被災した人々を励まし、日本人に多くの素晴らしいメッセージを伝えました。
特に、『ブータンでは国民総生産(GNP)を国の豊かさの目安とせず、
国民一人ひとりの『幸福満足度』を指標とした国づくりをしているという言葉は、
「景気、景気」「経済、経済」とマネー指標に一喜一憂する今の日本社会には
耳の痛い言葉として、しかし誰もが共感しどこかで望んでいる『幸福』観が、
ブータンでは現実化しているということに驚かされました。
まさかそんな国が現実に在るとは!まさに「やれば出来るんだぁ』という感じです。
また、そのブータンの国旗には中心に「龍」が描かれています。
これについて訪問先の学校でのスピーチでは、

『ブータンの国旗には「龍」が描かれています。
 「龍」は私たちみんなの心の中に居ます。
 そして「龍」は「経験」を食べて、成長するのです。』

日本の子供達に優しくこう語り掛けました。
何と深い言葉でしょう。私の目からウロコが落ち、勇気付けられました。
辛い経験・悲しい経験・絶望的な経験・嬉しい経験・楽しい経験。
そのどの経験も、それを味わった人の心の中に住む「龍」は、
全てその人をさらに、より強くやさしく、正しい(人間)人格に育て上げてくれるのだ・・・
と言うのです。
東日本大震災・栄村大地震の被災地の復興、
そこをふるさととする人々の一日も早い生活の再建・復興と
安寧を忘れることなく心から祈り、応援し、
同時に自分の出来る『日本再生』の第一歩を踏み出す一年に致しましょう。


(2012年01月13日掲載)

東日本大震災ボランティア報告(副住職)

(2012年01月13日掲載)

東日本大震災ボランティア報告

(2011年07月12日掲載)

欲望をコントロールする心 〜「知足」を今こそ〜

 満足は一時(いっとき)
   幸せはしばらく
     知(ち)足(そく)は永遠

この言葉は、もっとも最近に福泉寺の山門前の掲示伝道板に書き出したものです。
ありがたいことにこの掲示伝道を見ていて下さる方も多く、
時々感想や御質問もいただきます。
今回も三人の方から、この文章(伝道句)の意味について説明を求められました。
特に最後の「知足」については耳慣れないことばとして関心をもたれたのだと思います。

人はまるでそれが生きている証しとでもいえるほどに、願いを持ちます。
それは次第に希望→願望→欲望と成長・肥大して、やがてはじけます。
一つの願望が叶えられると喜びと共に一定の満足感を味わいます。
しかしそれもつかの間、満足は「次の願望の生みの親」となって、より上を目指します。
これが『満足は一時(いっとき)』です。
比較的この満足が続き、願いが思うようになると、人は今度は「幸せ感」を感じ、
「この幸せ永かれ」と願います。
しかし本来「世は無常」であるので、
何一つとして同じ状態をとどめるもの・事柄はありませんから、
やがてその『幸せ』も姿を変え、そこに留まる事はありません。
それが『幸せはしばらく』なのです。

では人は永遠に安定した「満足」や「幸せ」な思いを保つ事ができないのでしょうか?
実はあるのです。
それは、向こうからやってくる幸せや満足の側ではなく、
自らの「心のあり方」に在るのです。それが『知足』という心のはたらきなのです。
よく「吾れ唯足るを知る」と言われる有名な言葉がありますが、
これは多分に自戒的で禁欲的で、儒教的なことばですが、
「知足」(お釈迦様の教え)は、もっと柔軟にむしろ心地よささえ伴う心のはたらきです。
めぐり来る状況や条件や結果がどのように揺れ動き、
時に渇望であり、時に誘惑的であっても、
常に自分の心が生きる喜びと感謝に満ちてコントロール(制御)されていることで、
いつでも「満足状態」が保たれるという事です。

それはきわめて「自然」に即した(自然な)生き方であり、
「要るだけ」の中に生きるつつしみある生き方なのです。

「福」は形に見える恵み、
「幸」は形に見えない恵み。
人は「幸」と「福」という
幸わせの条件が
どんなにそろっていても、
「幸せを感じる心」がなければ
真実(ほんとう)の「幸せ」にはなれない。

私は、『知足』とは「幸せを感じる心」だと思っています。

(2010年05月18日掲載)

人生三万日のはなし 

昨年の十二月、私達の二男に第一子が生まれ、
私達も「おじいちゃん・おばあちゃん」のお仲間入りとなりました。
元気な初孫は男の子でその後も順調に健やかに育っていてくれます。
少し離れた町に住んでいますが、
お風呂に入れるのを手伝うことを口実に週に二〜三回は孫の顔を見に行っています。

どなたでもそうだと思いますが生まれて間もなくは
「今日で何日経った」「今日はもう何十日目だ」と日で数えていますが、
時の経過とともに「生後何週」「生後何カ月」となり、
やがては「何歳(才)」と数えるようになります。
やはりこの「何日と日で数える」うちはそれなりに、一日一日の重みや丁寧さが感じられます。
もし人の一生を「日」で数えてみたらどういうことが見えてくるでしょう。
満一歳で365日。二十歳で7,300日。
一万日になるのは二十七歳。五十歳で20,000日を迎え、
八十二歳で30,000日となります。
今の日本の死亡平均年齢(平均生存可能年齢)と一致するこの時期・・・・
すなわち今の日本人にとっては、「人生三万日」といえる状況にあります。
皆さんそれぞれ30,000日から、
すでに生きて来たご自分の年齢に365日を掛けた(乗じた)日数を引いてみてください。
自分の人生の残りの日数がたちどころに判明します。
しかもそれは「順調に八十歳まで」生きた場合の「最大」の場合の日数なのです。
「まだこんなにある」と受け止めるか、
「もうこれしかない」と受け止めるかは、人それぞれです。

一方、この「30,000日」の中身についてはこんなことも言えます。
一日平均八時間の睡眠をとったとします。それは一日の三分の一に相当しますから、
30,000日生きたとしてもその内の10,000日は眠っていることになります。
心臓は平均して1分に60回ほど鼓動(脈拍)します。
1日十万回、八十年の間休むことなく三十億回という気の遠くなるような回数を鼓動し続け
「私を生かしておいてくれる」のです。
自分のこの小さな心臓はなんとけなげに私のために働き続けてくれていることか。
この奇跡の「生命(いのち)のはたらき」に『ありがとう』を言ったことがありますか?
この奇跡の「生命(いのち)を授けて下さった両親やご先祖(おやたち)に
どれだけ感謝と敬意を払っていますか?

また、この30,000日の間に人は、
[一日3回の食事を通して]90,000食、
約100トンの食糧(その殆どが動植物という「他の生きものの生命)と、
小学校のプール9杯分の水が必要です。いや皆それだけ消費しています。
他の動物は、死して何かしらの『恩返し』をしていきます。
人間だけは死んで「返してゆくもの」は何もありません。
とすれば、「生きているうちに」返さなければおかしいと思います。
少なくとも「そのような気持ち」で生きなければならないと思います。
「いのち」の不思議は、自己の生き方への沢山の『問い』を投げかけます。
自分自身も現代社会も、
もっと真剣にこの『問い』に真向わなければならない昨今だと思います。

最後に、歌人蒔田桜子さんの一句を改めて噛みしめたいと思います。
『自己の生き方への問い』に真向いながら。

  生きて在る厚顔をこそ讃(ほ)むべけれ
   この一日を終える飲食(おんじき) 

(2010年05月18日掲載)

シンプルライフ・端正な生活

さて、曹洞宗をお開きになった道元禅師様は、
「仏道すなわち、仏の教えを形に表して行ずるとは、
「坐禅」である「一にも坐禅、二にも坐禅、ひたすら坐禅」
坐禅を通して仏の教えをぎょうずるのだ」
とお示しです。
その道元禅師様の教えを日本全国に広められる基を築かれた
大本山総持寺の御開山瑩山禅師様は、
さらに具体的に「平常心是道」(日々の生活の在り方の中にこそ、仏道の実践がある)
と私たちにお示しになられました。
その教えの中に生きようとする私達であれば当然のことながら、
現代社会のこの「満ち足りた」いや「有り余る物に囲まれ、」
ドップリ漬かった暮らしの有り様や水準を、
「もっと良くしよう」
「景気浮揚のためにモノを作りましょう、売りましょう、買いましょう、税金を注ぎこみましょう」
と、声高に推し進める国の方向性には、はなはだ疑問を禁じえません。
これからは、自然と調和しながら、恵みを皆で分かち合い、
『端正に生きる』ライフスタイル(生き方)を取り戻さなければならないと思います。

日本に来てから早や四十年・・・というあの有名なフランス女性、
フランソワーズ・モレシャンさんは、自然と共に生きる「田舎暮らし」を実践しながら、
「シンプルライフ」「端正な生活」を提唱しています。
面白いのは、「生活をシンプルにする」というのは、
倹約に徹したり、切り捨てて行ったり、削ることではなく、
「生きてゆくのに本当に必要とするものだけを選ぶこと」だとおっしゃいます。
また「量にあふれた状況から、質の良いものを選び出してゆくのだ・・・・・」とも。
そしてさらに、仏教とりわけ禅的な(坐禅の心に貫かれた)生き方に見られる、
日本人の持っている深い精神性・精神文化は、
世界のどの国よりも、それを充分に可能にします」とおっしゃられエールを送っています。

皆様が今回この御授戒で、学び身につけられた『戒』は、まさにそれであります。
人間同志が取り決めた約束事ではなく、人間という「いのち」が、
自然という「大いなるいのち」に抱かれて生きることを前提とした、
大自然の理にかなったものであり、まさに『真理の実践』でございます。

この後、あと二日半。間もなくゴールが見えてまいります。
感動的なゴールが皆様をお待ちしております。
身も心もおいといになられながらも励まして、無事お勤めになられますよう心から念じて、
今朝のおはなしを終わらせていただきます。
(大本山總持寺「授戒会」の早朝説教の一座にて)

(2010年05月18日掲載)


『絆』となる一年に
   
新年おめでとうございます。
皆様の今年一年が良い年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
さて突然ですが、
手紙の終わりの部分に『くれぐれも御自愛下さい』という文節がよく用いられます。
日本語の美しさと優しさと奥ゆかしさが凝縮されたよい表現だなぁと感じ私も好んで用います。
日本人の多くは伝統的に「感情表現」が控えめで、
上下関係・男女関係はもとより夫婦関係に至るまで、
相手に気持ちを伝える事に遠慮がちで、遠回しな表現を用い、
ひいてはそれが「謙譲の美徳」であるとさえ思い込んでいる節があります。
そういう気風を積み重ねてきたので、
現代の率直な感情表現の前では往々にして『照れ屋』になってしまうことしきりです。

しかし冒頭の『御自愛下さい』は、実に率直で、
従来の遠慮がちな相手の健康への気遣いを「あなた自身で大切にして下さい」と、
まるで下駄を預けた如くに言い切っているのです。

日本曹洞宗の開祖(永平寺開山)道元禅師が書かれた書物の中に次の一節があり
「修証義」という日常経典に引用されています。

 『此の一日の身命は尊ぶべき身命なり尊ぶべき形骸なり。
  此の行持あらん身心自らも愛すべし自らも敬うべし』

お互いの生命は(お預かりした)奇跡の生命と身体であるからこそ、
これを粗末にしてはならないという慈訓です。

ところで、ここ毎年一年間に三万人を超える方々が「自死」つまり自殺しています。
「自殺」はここ一〜二年「自死」と表現されますが「自らの命を自分で殺す」ことに他なりません。
これは正に冒頭の「自愛」の対極にあります。
かつては思い悩んだ末の突発的な結末としての「自殺」が多かったのですが、
今はそれに加えて「うつ病」という病気(状態)と闘い、何度も治癒・再発を繰り返した後、
自分自身を客観的に見据えながら、結局「自死」を選んでしまうケースも多いと聞きます。
自分の生命や人生を大切にする事はもちろんであるが、
手紙の文節の中だけでなく、もっとお互いを気遣う『絆(きずな)の世界』でありたいと思います。
京都清水寺の管長が毎年年末にしたためる漢字一文字が、
今年は『絆』である事を、信州の片田舎の小さな福泉寺の管長(?)は心から願っています。

(2010年05月18日掲載)

クロちゃんと二匹の仔猫たち

私達が二十世紀に体験した多くの過ちを反省し、傲慢と怒りと愚かさを改めて、
人類自らの真の繁栄と、未来への地球再生を誓って新世紀に踏み出し
早や七年を過ぎようとしています。
果たして歩みはその方向に向かっているでしょうか。
残念ながらそれどころか加速度的に破滅の迷宮に突き進んでいるとしか思えません。
世はまさに不正と不信が渦巻き、毎日洪水の如くもたらされる大人社会の現状は、
次の世代の担い手である若者や子供たちには一体どう映っているのでしょうか。
いつの世もその時代の大人たちの生き様は、
常にその後継者たちへの「人生モデル」というメッセージとなります。
私は今六十二歳ですが、戦後間もない昭和二十年代・三十年代の大人たちの生き方が、
心と体の奥深いところで「私の生き方」の人生モデルになっています。
「反面教師」という言葉もありますがやはりモデルとは本来
「鑑(かがみ)」でなければなりません。
毎日これでもか、これでもかと続く政・官・民を問わない不正や謝罪の姿が現代を映す
(人生モデルの)『鑑(かがみ)』だとしたら子供たちは余りにも不幸です。
その背景にあるものの殆んどは現代人の「金」と「物」への執着であり、
それらを手にする「快感」に酔いしれ、
本当に大切なものは『何か』を見失った現代社会の「かなしみ」と「罪」の深さなのです。

私はその『何か』とは、『生命(いのち)』だと思います。
とりわけ私たちの生命は「奇跡の生命(いのち)」である事を大人たちは再確認をし、
子供達には何をおいてもこれを教育しなければなりません。
科学的に生物学的に生命について云えば、
それは、地球誕生から六億年もかけて四十億年前に生まれた最初の生命
(遺伝子研究の世界的権威である筑波大学の村上和夫先生の言葉をお借りすると
「サムスィング・グレイト」としか言い表せないとのこと)
より今日まで、気の遠くなるような奇跡と奇跡の出会いの積み重ねを経て
『私』(あなた)の生命がここに存在するという事実を、「命の学び」として受け止めるとき、
人は始めて自然の大いなる営みと生命の不思議の前に謙虚になれるのです。
己れのよこしまな損得のために「生命の冒涜(ぼうとく)」をする様な人間にはなれないのです。
古来日本人はそうした科学的・論理的な知識ではなくとも、
『先祖』という生命のルーツを尊ぶ事をとおして、
きわめて直感的に自覚して生きてきたのではないでしょうか。

さて昨年私の家では大変感動的な出来事がありました。
近隣で仕掛けられた毒餌を食べて、
母親になったばかりの姉猫が盆明けに死んでしまいました。
彼女には生まれて間もない二匹の仔猫と弟猫のクロがおりました。
一才半ぐらいの遊び盛り男盛りのクロは、
青春を謳歌し三日くらいの外泊は当たり前でしたが、
このことがあった直後から一転して外出を控え、
母親を亡くした二匹の乳飲み児(仔猫たち・姪)の面倒を見始めたのです。
そればかりか雄猫(おすねこ)ですから出る筈も無い乳首を二匹の仔猫に吸わせ、
両手でしっかりと胸の中に抱き寄せて、
来る日も来る日も夜昼と無く面倒を見ているではありませんか。
そんな日は約三ヶ月以上も続きました。
自分のしたいことを抑えてもこの可哀相な仔猫たち(姪)のために尽くすクロの姿に
私はつくづく生き物の命の営みの原点を感じました。
と同時に、現代社会の人間たちの営みと重ね合わせずにはおれませんでした。
三ヶ月を経過し仔猫たちがそれぞれ自立する頃、
クロは忽然(こつぜん)と姿を消して二度と帰っては来ませんでした。
今も彼を思うたび私の心は熱く、また懐かしさと逢いたさに胸が痛みます。
「畜生」などと動物たちを呼んできた人間の社会の方が今危機を迎えています。
宗祖道元禅師の「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」の教えの在り様を
私は愛猫のクロから学んでいます。


[完]
(2008年08月19日掲載)

トランジスタラジオの思い出
〜〜〜「物」に宿るいのち〜〜〜

昭和三十年代の事です。
私の父(養父)は、私が六歳の四月から中学二年生の春ころまで、
小田原にある大雄山最乗寺(通称「道了尊という天狗様の寺で有名)
という専門僧堂に単身赴任しておりました。
修行僧の指導育成に当たる役職で、坐禅三昧の毎日です。
年に二〜三回、合計しても十日に満たないわずかの帰省で、
我が家は母(養母)と私二人だけの「母子家庭」状態でした。

そんな父がやっと我が家に帰って来たのは私が中学生になった年でした。
思春期(反抗期?)になった息子の人格形成を心配し、傍に居ることを優先したようでした。
しかしそれも束の間、高校入学と同時に父は、生活のため
知人の紹介で八王子の老人ホームに職を得て単身赴任し、
私たちは再び母子家庭に戻りました。
そしてさらに過酷な運命は、高校三年の秋にやって来ました。
突然胃ガンに見舞われた父はあっけなくこの世を去りました。
父の死後ニケ月ほど経って遺品の整理をしていると、
最後まで几帳面で筆まめだった父らしい沢山の生活の記録や、
一日も欠かさなかった日記などとともに、
ビニール袋にきちんと入った『トランジスタラジオ』が出てきました。
まるでこれだけが「お前に残す唯一の形見だよ」とでも言っている様でした。
妻子と離れての長かった十一年を超える単身の父の生活。
加えて数ヶ月の闘病・入院生活の『決して戻ることのない時』を共にし、
父の『思い』を支えてきた、このトランジスタラジオは、
スイッチを入れると終わりかけた電池を振り絞るように、
微(かす)かにしかしはっきりと音を発したのです。
まるで父の命の鼓動が甦えるかのように・・・・。
書物と御衣(おころも)以外自分の物など何一つ、
ましてや電気製品や当時の流行の物など何一つ買い求めた事のない
父の唯一「宝物」の様なこのラジオは、擦り切れた茶色の皮のカバーを外すと、
まるで新品そのもので金属部分は光さえ放っていました。
その光は、五十七歳の短い父の人生を映す「鏡」の様でもあり、
またささやかな「勲章」の様にも私には思えました。

今の世の中は何でも、大量生産・使い捨ての時代です。
路傍にも空き地にも、河原にも、果ては山林・林道に至るまで、
「物の墓場」になっています。
それ以上に人々の心の中まで「ゴミ捨て場」になっています。
「物」はそれと出会い、手にし、愛した者が「こころ」を込めれば「いのち」を宿します。
その「いのち」に愛情を込めれば精一杯答えてくれます。
人生の場面場面を彩ってくれます。
父が残したトランジスタラジオは私にその事を教えてくれました。
そして私が、父の亡くなったのと同じ年齢になった頃、静かにお別れしました。
まるで父の人生の「その先」を私に託すように。

あなたにとっても、そんな「品物」はありますか?。それは何ですか?


[完]
(2008年3月21日作成、2008年08月01日掲載)


父の思い出――武士は食わねど
 
火焔のごとく灼けた鉄をくらうとも、
むしろ戒を破り、身つつしみなくして、
他(国・社会・他人)の施しを受けてはならない。
(法句経三〇八)

私は生まれてまもなく事情があって、
檀家のほとんどない貧しい小さな寺にもらわれて育ちました。
昭和二十年代の後半の小学生ですから、
「いつもお腹を空かした子供たち」でいっぱいでした。
当然私もその中の一人でした。
あるとき四〜五人の遊び仲間と語らって、
あるお宅の栗の(栽培)林に忍び込み、
あわせてバケツに一杯ほどの熟れきったクリの実を拾い、
すぐそばのお宮の境内で山分けを始めました。
たぶんその一部始終をどこかで見守っていたであろう山主のおじさんが、
血相変えて山分けの現場を押さえ、三人は逃亡し二人は捕まってしまいました。
そのときは無事?逃げられた私も、当然親の知るところとなり、
親たちとともに山主さんの家へ謝りに行く騒ぎとなりました。
当時のことですから、腹を空かせた子供たちに大したお咎めもなく許してもらえました。
しかし・・・・。
私の父(養父)は、歴史にも名の知れた東北の武将の末裔であることを
大変誇りにしていました。口癖はいつも「武士は食わねど高楊枝」でした。
私はよく「高楊枝」のところを「つま楊枝」と言っては
「ちがう、ちがう!」とたしなめられたものです。
その父が、その時ばかりは本当に怒りました。
目に涙を浮かべながら私の両コメカミにこぶしを当てて、
「どんなに貧乏寺の子でも、腹が空っているからといって、
他人様の物を盗って食べるような者を育てた覚えはないっ」と。
何日も口を聞いてもらえなかった父が、数日後やっといつもの父に戻ったとき、
本堂の仏様の前に二人で坐ってお詫びをし、
私の目からもやっと温かな素直な涙があふれて出ました。

それからもう五十五年ほどになります。

さて、その後の私の人生の中で、
ここでこういう「手を打てば」必ず状況が好転するかもしれない、
苦しみを避けることができるかもしれない・・・・
という場面に正直なところ何度も遭遇しました。
たとえば、お金を使う、人脈(コネ)を使う、裏ワザ(?)を使う。
そんな時いつでもまぶたに浮かび心をよぎるのは、養父の前述の言葉でした。
時には冷や飯を食み、やせ我慢をしながらも何とかいくつかの窮地をしのいできましたのも、
この父の言葉に流れる精神と、必ず縁あるどなたかの助力に恵まれてのことです。
後に自分自身も僧侶となって、曲がりなりにも仏の教えに触れたとき、
父のそれは、単なる『葉隠れ武士道』ではなく、
父自身が信仰と仏道実践の中で身に培ってきた
「仏作仏行」(仏の教えにかなった生活)そのものであったのだと確信しました。
たとえ炎焔のごとき灼熱の鉄を食らおうとも、
「人としてのあるべき道(戒)を破ってまで、よい目を見る(欲望を満たす)」
ことの否を説いた『法句経』の教えのすさまじさは、並大抵の信念では貫けません。

今の世相に見る人心の荒廃は、皆自分の欲望の満足と引き換えに、
人のあるべき誇りを捨てた悲しい姿です。
この時代こそ父が示してくれた「生き方」を目指し続けたいと、
父が亡くなって四十五年の今、懐かしさの中で心新たにかみ締めております。
今年もクリの実の熟れる季節となりましたが、私には栗のイガの痛さよりも、
栗の実の味のほろ苦さの方が身に沁みます。


[完]
(2007年9月20日作成、2008年08月01日掲載)





戻る
戻る