歩く道の先にあるのはかげろう。
 思い出の詰まったこの道を歩けなくなったのは10年前。
 それまではずっとずっと歩いていた。
 あの子と一緒に………。






 幼いころの思い出、この道を歩くうち、ゆらゆらとしたかげろうにも似たそれを思い出す。

 狭い古道、古きよき時代の面影を残す道、まるで時代の変化を受けないような古い家々。
 二人の小さな子供が走る。きゃっきゃと笑い、騒ぎながら。
 男の子と女の子。
 男の子は僕で、女の子は………。




『早く早くぅーっ』
 僕は彼女を急かすように言う。この道は僕のお気に入り。
 学校が終わり、ランドセルを置くと一目散に駆け出した。
 待ち合わせしているわけじゃないのに、いつも彼女はそこに居た。だから僕もそこへ行った。
『待ってってばぁー』
 彼女は息を切らし、返事を返す。彼女が走ることが苦手と言うのは知っていた。
 でも、そのころの僕は意地悪で、いつも彼女の前を走っていた。





 その道を暫し歩くといつも僕が通い詰めていた駄菓子屋がある。
 猫を膝に寝かしたおばあさんが店番をするなか、両手いっぱいに駄菓子を買って、彼女と一緒に食べた。
 いつもそのおばあさんはオマケをしてくれた。
 オマケといっても、10円や30円程の駄菓子を僕らに一つずつくれるだけだった。
 今にしてみればそれほどの額じゃないけど、子供のころにしてみたら結構な額だったから、僕らはオマケをしてくれたおばあさんに元気いっぱいの笑顔でお礼を言った。
 すると、おばあさんは決まって、しわだらけの顔に笑窪を作り言った。
『あたしにはね、お前さんたちくらいの孫が居てね…』
 そうそれから始まるお話。お孫さんが居て、なかなか会えなくて寂しい。
 でも、僕らが来る時はまるで孫が訪ねてきたようでにぎやかで楽しい。
 そう言われるととても心が温かくなるのが分かった。彼女と二人、とびっきりの笑顔でおばあさんに答えた。




 今でも合った、その駄菓子屋が。
 10年ぶりにその中へ入る。
「いらっしゃい」
 でも、そこで僕を出迎えたのは猫を膝で寝かせたおばあさんではなく……僕と同い年ほどの男性だった。
 言葉を失い、立ち尽くす。
「…? どうかしました?」
 怪訝そうな顔つきで僕を見る男性。
「……10年程前に……おばあさんが店番してたはずなんですけど…そのおばあさんは…?」
 嫌な予感はしていた。僕の言葉を聞いた男の人の顔がだんだんと曇った笑みになるのを見て――
「一昨年の夏に…亡くなりました…」






 僕は愕然としながら、男の人の話を聞いていた。その彼、タダシさんが…例のおばあさんのお孫さんなのだそうだ。
 そしておばあさんは10年前からプッツリと現れなくなった男の子の事をずっと気にかけていたらしい。
『あの子、来ないかねぇ…』
 亡くなる直前までそう言っていたらしい。

 だんだんとゆらゆらとしたかげろうが強くなってきた気がした。



 僕は駄菓子をあのころと同じ、両手いっぱいに買い、再びその道を歩き始めた。
 この曲がり角の先にあるのは――




『ほら、早く早くっ』
『だから、ちょっと待ってってばぁっ』



 空き地で大きな木の根元と枝の一部。段ボールや木の枝などを集めて、秘密基地を作った場所。
 何故だか知らないけれど、僕と彼女はよく一緒に遊んでいた。男の子の遊びをよくやり、女の子もそれに付き合ってくれていた。
 木の棒を紐で結び、太い縄を何処からか調達してきて、その木の特に太い枝に結びつけ、ターザンロープを作り遊んだ。
 よくそこから落ちて、足をすりむいたけど、楽しかった。
 枝に登る時は家から持ってきたはしごを使って登った。
 意外と頑丈に出来た秘密基地は二人で乗ってもびくともしなかった。


 そして、その枝で買って来た駄菓子を食べた。
 その行動に意味など無かったのだろう、あの頃は…。
 でも、それは今尚記憶に残っている。そう――驚くほど鮮明に。







 僕は歩く速度を上げた。そして曲がり角を曲がった時――




 空き地には立派なマンションが建っていた。
 当たり前なのだろう。ずっと空き地が空き地のままであるはずがない。
 もう、子供じゃ無いんだから少し考えれば分かったはずなのに――






 このまま先へ行くと僕の通っていた学校。
 木造で如何にも幽霊の出そうな学校だった。


 段々と見えてきた、僕の通っていた学校が……。





「は……」
 思わず声が漏れた。僕の学校は――木造の校舎ではなく、白塗りの綺麗な校舎になっていた。
「そっか……改築されたんだ…」
 変わってしまった校舎を見つめながら、校門から中へと入る。
 あの頃の面影を探し、僕は校庭を見渡した。
「あ…あの木…。まだあったんだ」
 校庭の片隅でひっそりと佇む大きな木。近づき、手を触れる。
 木の温もりが手を通して、伝わる。









『ねぇ、背比べしよ』
『背比べ?』
 彼女が首を傾げる。
『うん、そう。この木に毎年自分達の身長を書いてくの』
『どうして?』
『どうしても』


 僕は木に背を向けるように彼女を立たせ、持っていたハサミで木に彼女の身長と同じ高さに傷をつけた。
 僕も同じように立ち、彼女に刻み付けてもらった。








「まだ、あるのかな…」
 木の裏手に回ると、確かに傷があった。


 ケイジと言う文字と刻まれた線が4本。
 そして――
 マリと言う文字と刻まれた線が6本。


 ………。

 僕が引っ越したのは10歳、小学校4年生のとき。
 彼女は……1人でずっと、毎年自らの身長を刻んでいたのだろうか…。






「そこで何をしているっ!?」
 木の向こう側から声。
 慌てて木の影から飛び出すと、そこには厳格そうな50代半ばの男の人が立っていた。
「あ、えっと…僕は……」
「お前…沢木か?」
「え……?」
 思わず、目を見開く。沢木、僕の苗字。
「やっぱりそうか。沢木 敬二。4年2組の……」
「もしかして……斉藤先生?」
「ああ、そうだ。久しぶりだな、沢木」
 斉藤先生――僕の4年の時の担任の教師。
「立派になったなぁ…沢木。あの頃のイタズラ坊主がこんな風になるとは……夢にも思わなかったぞ」
「先生も…お元気そうで何よりです」
 昔から――この先生は怖かった。
 怖かったけど、良い先生だった。ちゃんと僕達の意見を聞いてくれて、平等に判断してくれる。
 怒る時にはしっかりと怒り、褒める時にはしっかり褒める。そんな――多分、今の世の中に一番必要な先生だった。
「ああ、今でもお前のようなイタズラ坊主を叱り付けている所だよ、教師が私の生きがいのようなものだ」
 笑う先生の顔には、あの時には無かった老いを感じた。悲しい事のはずなのに――再会できた喜びの方が大きい。
「所で、沢木は今、何をしてるんだ?」
「向こうで暇な大学生をしてます。…ちょっと考える事があったんで、こっちに旅行に…」
「そうか…。どうだ、職員室にでも来んか? 茶ぐらいなら出すぞ」
「…申し出はありがたいですけど、まだ行くところがありますし…。それに、職員室にはあんまり良い思い出が無いですから」
「そうだな。お前が職員室に来る時は決まってイタズラをした後だったからな」
 先生は笑う。僕も笑う。
「それじゃ、失礼します。また、来ます」
「ああ、待ってるぞ。沢木」
 僕は先生と――新しく立てなおされた校舎に頭を下げ、学校を後にした。










『苦手なんだよなぁ…』
『文句言わないでよ。いつもあたしが付き合ってあげてるんだから』
『だからって図書館は…ちょっと…』
 その町とは不釣合いな程、大きく古い図書館があった。僕が苦手な図書館。
 どうもあの匂いとひんやりとした空気が好きになれなかった。元々、本も好きじゃなかった事も理由の一つかもしれない。

『そんなに借りるのか?』
『うん、夏休みの読書感想文を書かなきゃだもん。けーちゃんは読まないの?』
『……読む。30日になったら』
『30日じゃ間に合わないよ』


 小学校の夏休みの宿題は最後の3日が勝負だ。
 僕はいつもそうだった。





 この先に図書館があるはずだった。
 でも、そこには図書館は無かった。
 代わりに大きなホテルが建っていた。どうして無くなってしまったのだろう?








 変わりゆく町、移りゆく時代。
 どんどんと目まぐるしく変わってしまう町はまるでかげろうで――
 僕の中で悲しみが込み上げてくる。
 全てが変わっていってしまう。



 ぼんやりと歩く。
 変わってしまう事が悲しくて、戻らない時が悔しくて。



 ふと見上げれば見覚えのある家が佇んでいた。



 彼女に会う為に来たはずなのに、怖かった。
 彼女まで変わってしまってたら、僕はどうすればいいのだろう?




 背を向け、彼女の家から去ろうとした。
 しかし、
「あれ?」
 声がした。聞き覚えのある声が。
「もしかして………けーちゃん?」
 なんで分かるんだ…?
 ゆっくりと振り返り、その姿を認める。
『あ、やっぱりけーちゃんだ』
 あの頃の彼女と、今目の前にいる彼女が重なる。変わっていなかった…。
「けーちゃん……だよね?」
「……おう、けーちゃんだ」
 精一杯強がりを言ってみた。そうでもしないと涙が零れ落ちそうになるから。
「…久しぶり、だね。お帰り、けーちゃんっ」
「ああ………ただいま…」


















「どうしたの? 突然…」
「いや…ただの暇に任せた旅行だよ。大学も暇だったからな…」
「そうなんだ…」
 彼女の家に呼ばれ、彼女の部屋で話をする。
 あの頃と同じ接し方で、誰もいない家で2人きりで部屋でお茶を飲む。
 …なんだかなぁ…。


「本当に久しぶりだよねぇ…10年ぶりだもんね」
「…そだな。10年も経つんだな…」
「いきなりだったから……びっくりしたんだよ? 引越しの話…」
 そう彼女、真里には引越しの話をずっとしていなかった。そう、直前になるまで。
 だって言いたくなかったから。




「ああ、悪かったよ」
 そして真里にろくに文句も言わせぬうちに、僕はこの町からいなくなった。僕は話を変える事にした。
「頑張ってるんだろ? お前…」
「え? 何を?」
「学校の先生になるために、だよ」
「えっ!? なんで知ってるの?」




 どうやら彼女は覚えていないらしい。
 いつだったか、彼女はぽつりと漏らした。
『私、学校の先生になるのが夢なんだ』




 僕は忘れていなかった。
「けーちゃんは頑張ってる?」
「どうだろうな…」
 ふと漏らす。
 僕は何をしているのだろうか?
 胸を張って頑張ってると言えない弱さ。
 現実に、頑張っていないのだから仕方が無い。




「けーちゃんなら頑張れると思うな」
「何を根拠に言ってるんだよ……?」
 苦笑しながら彼女に問う。
「獣医さん。だって、けーちゃん獣医さんになるのが夢なんでしょ?」
「獣医…?」



 昔の記憶を遡る。
 そう、野良犬がいた。
 雨の日に空き地で衰弱しきっていた野良の子犬が。
 彼女は次第に冷たくなっていく子犬を抱きながら、可哀想だと泣いた。だから僕は言った。
『将来、絶対に獣医さんになってああいう子犬を助けてやるんだ』
 彼女を元気付けるために言った台詞だったのだ、子供の時の些細な嘘。
 それを覚えていると言う事は、それほどまでに印象に残る台詞だったのだろう。




「…獣医さんになるのが夢だったんじゃないの?」
「……そうだな…」
 ふと、窓の外を見つめる。
 茜色に染まった空が懐かしい。懐かしさがそうさせたのだろうか?
「獣医になるのが…夢だな…」
 そんな事を言っていた。
 これから頑張れば…夢に手が届くだろうか?










「また来てね…」
「お前、いい先生になれよ」
「けーちゃんもいい獣医さんになってね」




「所で…」
 僕はぽつりと呟いた。
 そして振り返らずにそのまま言った。
「お前、彼氏とかいんの?」
「…………そういうけーちゃんこそ…」
「僕か…? 僕は……」

 かげろうの奥にある、あの頃に置いてきた気持ちを拾い上げ、もう1度僕の胸に戻す。

「僕は…心に決めた女性がいるから」
 有無を言わせず、振り返り、彼女――真里を見つめる。



















































「お前だよ」











































 移り変わるかげろうの奥。
 そこに、ずっと変わらない想いがある事を僕は知った。
 あの頃からずっと変わっていない心。
 僕は、それを大切にしていきたい。














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