山里日記


         

山里暮らしもいつの間にか6年目を迎えました。移り変わる季節の変化や日々の暮らしの中に山里の良さを見つけつつあります。


全国で桜の開花や満開の報道が流れている。
しかし、わが小谷村は昨日も朝から雪が降り続いた。
雪解けはまだ遠く、桜の木もまだ深い雪の中だ。
村では畑や田んぼに撒く融雪剤(炭の粉)の配布が始まった。
例年より田んぼの雪解けが遅くなり、作付に影響が出るからだ。
姫川も融雪水を集めて濁流となってきた。
わずかに顔を出した土には水仙の芽や福寿草が背伸びを始めた。
耐えていればきっとまたいいことがある・・・・
そう信じて春の到来を首を長くしてみんなが待っている。






地すべり
 記録的な大雪が大変な「置き土産」を残している。小谷村で「地すべり」が発生している。場所は自宅からふもと
の国道に通じる県道である。先日、テレビでその様子が放映された。
 
 地中にしみ込んだ水がたまり、上部の土砂を押し流していくというもの、新潟県の上越でも連日その様子が
報じられている。雪解け水が半端な量ではないこの雪、これからが雪解けの本番になり、さらに地すべりが
進むのではないかと心配されるという。近くには民家もあり、知り合いの方も住んでいる場所、心配である。
 この道が崩落すると、上部の集落は「陸の孤島」となり、我が家も含まれる。もともと、小谷村は地すべりの
多発地域で、地元の人たちは昔からその危険に脅かされてきた。「山がぬける」と表現する。江戸時代には
長野の善光寺や戸隠神社から地鎮のお札をもらってきて、山の斜面に埋めて安全を祈ったと聞く。
 地すべり対策の基本は「水ぬき」である。地中に水がたまらないように抜いてやることだ。実際、村内の
あちこちで今も「水抜き」の工事が行われている。これ以上の被害が起きないことを祈るだけだ。







豪雪
小谷村の1月の降雪量が観測史上最高の「499cm」だったそうだ。
5mを超える雪が降ったというのは、実感として間違いない。
先日は外気温がマイナス15度まで下がった。
集落の家々の北側は、下した屋根雪がもう2階の大屋根に達している。
確かに例年にない大雪であったが、
雪国の人々は至って冷静である。
じたばたしても仕方がないとわかっているからだ。
こんなにも人間は謙虚になれるのだと、
一冬、雪の中で暮らせばだれにもわかる。







地震
村が各戸に設置してくれている「緊急災害時通報器」が
突然けたたましく叫んだ。
「震度4の地震が発生しました。」・・・・・
そんな通報など聞いたこともなかったので驚いたが、
それから5,6秒後に「ドーン」と突き上げるような縦揺れが・・・・
佐渡島付近を震源とする震度5強の地震であった。
あとでテレビを見ると小谷村は震度1と表示されたが、
結構大きな揺れであった。
緊急地震速報など役に立つのか、と疑問だったが、
わずか5,6秒でも「構える」準備ができることは
決して無駄なことではないと知った。
昨年の震災以降、東日本では地震が多発している。
さらなる大地震の前兆でなければよいのだが・・・・







雪国
雪国の人たちが雪の中で何を考えて暮らしているのかって?
そりゃ決まっているだろう。春の到来だ。
早く春が来ないかなあ・・・
春が来ればこの大量の厄介な雪もきれいに消えてなくなる・・・・
土が顔を見せ、福寿草や水仙が目を楽しませてくれる・・・・・
 
それがわかっているから、痛い腰や肩をいたわりながら
今日の除雪も頑張れる。
雪国の人たちが待つ「春」はきっと
街に住む君たちが待つ春とはちがうと思うよ。







大変です
 記録的な豪雪のため、長野県は地震のあった北部の栄村と信濃町、それにわが小谷村に「災害救助法」を
適用すると決めたそうだ。「災害救助法」が適用されると、除雪にかかる費用が国と県から支出され、雪下ろし
などでは、一世帯あたり上限13万4200円の範囲で援助がおこなわれるという。
  
 県下各地の積雪量が発表されている。小谷村は2m50cmで、県の中では野沢温泉村に次いで、2番目と
なっている。この積雪量は役場にある積雪計で計測したものだが、役場より300mも400mも標高の高い
集落ではすでに3mはゆうに超えている。我が家もこの冬4度目の屋根雪おろしをしたが、下した雪がまもなく
2階の屋根に達する。1階は完全に雪に埋まり、窓から外は見えなくなった。集落の師匠たちに聞いても、
「こんな雪は初めてだ」と言うほど・・・・・・・集落とふもとの国道を結ぶ幹線道路は村の除雪車が日に何度も
除雪をしてくれるので、今のところ心配はないが、雪崩が起きて道路がふさがればたちまち「陸の孤島」だ。
 小谷村の年間除雪予算は1億7000万円だが、すでに1億5000万円を使ったという。まだ2月も始まった
ばかり、この先大雪が降らなければよいが、そうもいかないだろう。
 大変な事態ではあるが、文句を言っても仕方がない。春の雪解けを楽しみに、雪とつきあうしかない。







雪1立方メートルの重さは300sから500s・・・・
屋根全体に1メートルの雪が乗ると、10トンから30トンになり、
乗用車が10数台屋根に乗っている計算になる。
これが屋根雪を下さなくてはならない理由だ。
不安定な足場で、滑落の危険を常に意識しながらの雪おろしは
決して楽しいものではないし、かなりの重労働・・・・
我が家の悲鳴が聞こえるから、仕方なく体の痛みに耐えてやる作業だ。
「雪はロマンチックだね」などと言う話は
豪雪の中ではただの「たわごと」になる。






豪雪
 半端な雪ではない。報道によればこの冬は記録的な豪雪だという。先日は一晩で80センチ、60センチや70
センチも何度かあって、家の周りや集落は2メートルを超える雪に完全に埋まってしまった。
   
 自宅から下の道に出るのも一苦労。腰まで埋まる雪をかきわけてやっとの思いで道にたどり着く。我が家の
小型の除雪機ではまるで歯が立たず、集落の大型除雪機を使わなければ家に入ることもできない。
 古老の「カマキリの巣がいつもより高いところにあるで、この冬は大雪だ。」という”予言”がみごとに的中した。
 屋根雪おろしもすでに3回、これまで一冬4回が普通だったが、この分だとあと2,3回は屋根に上がらなくては
ならないだろう。道路を除雪してくれる村の除雪車も大活躍だが、雪捨て場がもう満杯になりつつある。
 覚悟はしていたが、ここまでくるとさすがにため息がでる。寒波はまだしばらく続く予報だ。
 「雪との闘い」という言葉は、これくらいの雪の中で使う言葉だと思い知らされている。








誇り
信州長野県が全国二位を誇るものが二つある。
リンゴの生産量と温泉の数だ。
リンゴは生産地へ行くと車の窓から手を伸ばせば取れるくらい、
季節になるとあちらこちらで鈴生りになる。
どこの市町村に行ってもたいてい何か所かの温泉があり、
地図をみればいたるところに温泉の記載がある。
小谷村のような小さな村でさえ十か所もあるのだ。
しかもその多くが源泉かけ流し、豊富な湯量を誇る。
リンゴは冷涼な気候、温泉はフォッサマグナ(地溝帯)、
ともに大自然が与えてくれた恩恵だ。
何はともあれ「全国二位」というのは
大したものである。







暮らし
街に住んでいると、
”失われていくもの”に気がつかない。
”失われていくもの”があるのに見えない。
街の暮らしとは、不要なものはさっさと視界から消し去り、
次の新しいものに目を向けていく暮らしだからだ。
山里に住んでみると、
”失われていくもの”がいやでも目に入る。
さっさと見切りをつけるという時間の流れではないからだ。
失われていくものの”悲鳴”や”忠告”を聞きながら
最期まで見届ける暮らしを続けている。







朝から一日中降り続いた雪が60センチ・・・・・・
ひざまで積もった庭の雪を除雪して、やれやれ、と一息入れた。
だが、2,3時間して庭を見るとまた20センチは積もっている。
まったく、飽きもせずよく降る雪だ。
 
もしもこの雪が、
我が家だけに降って周りには降らないとしたらどうだろう。
雪国の人たちが豪雪の中でも暮らしていけるのは、
雪がまったく公平に、まんべんなく降ってくれるからだ。
自分のところだけではないと思えるから耐えられる。







大雪の予感
 この冬は大雪になるのではないか、という予感を裏付ける降雪が続いている。
  
 クリスマス寒波以降、連日50センチを超える雪が一日中降り続き、家の周りや集落は2メートル近い雪の中に
埋もれてしまった。屋根雪もすでに1メートルを超えているが、降り続く雪のため、雪下ろしができないでいる。
 県の降雪情報でもかならずトップ3に入る小谷村だが、その中でも標高の高い山里は報じられる積雪量よりさ
らに増えるので、この雪の中で見えるものは平地に住む人にはきっと信じられない光景だろう。
 一度除雪しても、2,3時間たつとまた元通り、村の除雪車も日に何度もやってくる。古老の言う、「カマキリの
巣が高いところにあるで、この冬は大雪だ」という予感は本当かもしれない。
 ぐちをこぼしてもしかたがない。積もった雪はこまめに除雪するしかないのだ。雪がやんで、天気がよくなれば
一斉にあちこちで屋根雪おろしが始まるだろう。我が家も気合をいれて、屋根に上がることにしよう。







「山には神様が住んでいる」という話は、
山に囲まれて暮らしているとよくわかる。
霧に包まれたり、雪をかぶったり、朝日や夕日に染まったり・・・・
 
目にする自然現象のほとんどは科学的に説明できるが、
そんなものでは説明したくない幻想的な景色に出会うことがある。
そんな中にわが身を置くと、
人知をこえた「神」の存在を感じても不思議ではない気がする。
”神秘的”と言い表す景色を見ているときは、
きっとそこにだれかの”意志”があると感じている。







天変地異?
 北アルプスはすでに二度の冠雪で、上部は根雪になったようだ。地元の古老が言う「前の山に三度雪が降れば
里にも雪が来る」の言葉に従うと、集落の周囲の山にもすでに二度降雪があったので、初雪も時間の問題だろ
う。今年は、山の木の実類が豊作で、熊の出没情報も今のところ聞かないし、例年なら現れるサルの群れも今年
はまだ姿を見せない。きっと山に豊富に食べ物があるのだろう。
 それはいいのだが、反対に大不作なのが「キノコ」である。キノコ採りの名人の師匠が「今年はだめだ。」とこぼ
すほど、山のキノコは全く姿を見せないらしい。こんな年は珍しいという。そういえば我が家の原木シイタケ、毎年
100個近く収穫できるのに、今年はまだ7.8個・・・・・ナメコもほんの少し収穫できただけだ。
  
 彼らの生息にかかわる何らかの自然条件が合わなかったのだろう。自然条件といえばこんな話もある。
 古老が言うには、カマキリの巣の位置が例年より高いところにあるのだそうだ。そういう年は大雪になること
が多く、「こりゃ、今年は大雪になるだで・・・」と言う。天気予報などなかった昔から、そうやって積雪を占って
きたというから、まんざら冗談でもなさそうだ。天変地異の前触れでなければいいのだが・・・・・
 集落の周囲の山々は今が紅葉の盛り、「まんが日本むかし話」に出てきそうな風景が広がっている。
一雨ごとに落葉が進み、間もなくほとんどの木の葉がなくなるだろう。冬もそれにあわせてやってくる。







初冠雪
 この秋も集落の師匠に頼まれて、稲刈りの手伝いがほぼ一か月続いている。どこの田んぼへいっても、農家の
方は高齢者ばかり、「いつまでやれるだか・・・」と笑いながら言う。長野県産のコメも、放射線量の検査が済むま
で出荷や販売ができなかったが、先日検査の結果が公表され、長野県はすべての市町村で影響なしとなり、
出荷できることになった。品薄感もあって、今年はコメの価格が1割ほど高くなるという。師匠に聞くと、「コメが
高くなると、それを企業が見逃すはずがない。大規模にコメづくりに参入する企業がふえるだろう。年寄りが
ほそぼそと作る田んぼがまた少なくなるということだな・・・・」
 黄金色に山里を染めていた稲田も次々に刈り取りが進み、晩秋の気配になってきた。そんな折に・・・・・・
 寒気の流れ込みで一気に気温が下がった朝、北アルプスに初雪が・・・・・こちらでは毎年このころなのだが、
長野県の東部の志賀高原では20年ぶりに初冠雪の記録を更新したと報じていた。例年になく早い寒気の
南下が、この時期雪がみられることのなかった地域に初雪を降らせた。山に木の実が豊作の年は大雪に
なると、地域の古老が言う。今年の山里は例年にないほどクルミやドングリ、トチやクリ、カキなどが実をつけ
ている。古老の言うとおりなら、例年にない大雪の冬になるかもしれない。
 山里では紅葉を楽しんでいる心の余裕はない。少しずつ冬の準備がすすんでいく。









祭り
 夏の終わりを告げる集落の氏神さまの祭りが行われた。祭神は諏訪大社の「健御名方命(タケミナカタノミ
コト)」、社の中には、江戸時代の当地の代官直筆の文書が残されており、それには「この社を諏訪大社の
分社として認める」と書かれている。前日は朝5時半から総出で祭りの準備、公民館を舞台にする準備、
仮設の屋根をつけ、シートを広げ、提灯を張り巡らす。毎年のことなのでみんな手慣れたものだ。
 夜は演芸会、何しろ日本の神様は歌舞音曲が大好き、にぎやかに騒いで神様を呼び寄せるのだそうだ。
  
 獅子舞、地元の太鼓演奏、東京のプロダクションから呼んだプロの歌手の公演、あとは飲んだり、食ったり・・
 昔は会場に座れないほどの人出であったそうだが、年々数が減り、寂しくなっていく。
 20軒の小さな集落単独でこれだけの祭りを続けているというのが、集落の人たちの誇りでもある。
「神様も大事だが、こうしてみんなが一つになって集まるのがいいんだ。」・・・ある師匠の話である。いつまで
続けられるのだろうという不安は誰もが感じているが、だれも口に出さない。口にしても仕方のない話だから
である。”限界集落”の定義の中に「集落の祭りが維持できなくなること」があるそうだ。まだしばらくは大丈夫
だろうが、いずれそんなときも来るのだろう。そのときはそのときだという気持ちがみんなの心の中にある。
 古来から祭りは集落の共同体としての絆を深め、確かめる行事であった。都市部で行われる祭りとは
比べられないが、古くから守り続けられてきた本来の祭りの”原型”がここにはある。
 この祭りを境に、山里は一気に秋めいてくる。あと2か月もすれば初雪だ。移り住んで5度目の祭りも無事に
終わった。






やっと会えた
 これまでに何度も北アルプスの山々を訪れてきたが、一度もお目にかかれなかった生き物にこの夏
やっと巡りあえた。国の特別天然記念物「ライチョウ」である。
  
 場所は北アルプス 立山の室堂、小さなヒナ鳥を3,4羽つれて草の間を動き回っていた。一度は見て
みたいと思っていたので感激である。室堂は標高2400m、下界は猛暑で大変でも、ここは寒いくらいの
冷涼地・・・氷河期からの生き残りだというが、真冬には20m近い積雪のあるこんな過酷な環境で生きて
いることに感動を超えて敬服してしまう。無事にヒナたちが育ってくれることを祈りながら草むらに消えていく。
彼らを見送った。写真や映像では何度も見たが、こうして生のすがたに出会えたことはこの夏の忘れられ
ない思い出になった。






実り
 七月は天候異常であった。一旦梅雨が例年より早めに明けたと思ったら、その後梅雨の再来を思わせる
長雨が続いた。本来なら強い日差しが照りつけるはずの畑にも、その影響は出てきた。
 病気の発生、害虫の大量発生、地温の低下による発育不良、雑草の繁茂・・・・・全国で夏野菜の価格が
高騰しているという報道もうなづける。そんな中、八月になって我が家の畑でもようやく・・・・・・
  
 一か月前はピンポン玉の大きさだったが、バスケットボールの大きさに実ったスイカ、ササゲ豆や小豆、
近年まれにみるジャガイモの豊作、毎日10本近くの収穫が続くキュウリ、形は不ぞろいでも完熟したトマト、
背丈を越すほどに生長したトウモロコシ、ほかにも枝豆、オクラ、ピーマン、サツマイモ、ゴーヤ、カボチャ、
ナスたちも順調に大きくなっている。長雨にも何とか耐えて、今年も実りの時期を迎えることができた。
 ”丹精込めた”という表現は、実際に手を入れ、汗を流した者だけがわかる言葉、自家製の野菜をいただく
幸せは何ものにも代えがたい。標高800mの冷涼地でも野菜は育つことに毎年感動しながら、早くも秋野菜
には何を作ろうかと思案の始まるこの時期である。「土の恵み」は汗を流した努力を裏切らない。






感動
今年はじめて挑戦したスイカづくり・・・・・・
雄花の花粉を雌花につけてやる、人工授粉をやった。
そうしないとスイカは授粉しないと本に書いてあったからだ。
だが、授粉しただろうと思えた雌花はことごとく枯れてしまった。
何が原因なのかわからず、お手上げで、しばらく放置しておいた。
一週間後、驚いたことに
ピンポン玉大に膨らんだスイカがたくさんできていた。
授粉の手助けをしてくれたのは、
ハチ、チョウ、アリ、名前も知らない小さな虫たち・・・・
彼らの領域に勝手に割り込んだ私の出る幕ではなかった。






しあわせ
若いころは、わが子には教えることばかりであったが、
この年になると、わが子には
教えられることの方が多い。
相変わらず危なっかしいと思うことはたくさんあるが、
自分の人生を確かな足取りで歩き始めている。
「こう生きろ」「ああ生きろ」などと、説教がましいことは言わなかったが
こう生きてほしいと思う生き方を選んでくれている。
幸せだと思うことにしている。






ぜいたく
かつて大きな町の浄水場を見学したことがある。
水道に使われるのだから、さぞやきれいな水だろうと思っていたが、
実際には「えっ?この水を飲んでるのか」と言いたくなるような水だった。
もちろん、原水をさまざまに浄化して、最後にはきれいな水になるのだが、
初めて見たらきっとだれもが驚く。
浄化などとは無縁の冷たくておいしい水をいただきながら、
あらためて山里に暮らす”ぜいたく”を思い知らされる。
深い谷の清流をタンクに溜めて、ほんの少し消毒するだけの
わが村の水道・・・・・
ほんとうの「ぜいたく」とはこんなことを言うのかも知れない。






ほうび
都会では連日「真夏日だ、猛暑日だ」と報道されている。
そこで暮らす人たちには申し訳ないが、
標高800mの山里は信じられない涼しさだ。
日中はたしかに暑いが、それでも日陰に入ればすっと汗がひく。
夜は布団か厚手の毛布がないと寒くて目がさめる。
厄介な蚊やゴキブリもいない。
街での暮らしから思えば、まさに”別天地”・・・・・・・
長い冬をがんばって乗り切った”ほうび”をいただいている。






同志
最近テレビでよく見かける作家の伊集院静氏は
ともに机を並べて学んだ高校の同級生だ。
俳優の前田吟氏、作家の高樹のぶ子さんは
高校の先輩である。
公立の高校でありながら
同じ敷地に男女別々の校舎が建てられ、
ともにそこで学んだ”同志”である。
男女別学のたてまえならあきらめもつくが、
進学率が下がるという理由で、男女共学と言いながらの実質”別学”・・・・・
一番多感な青春の三年間をこんな環境で過ごした我々は
まぎれもなく”同志”であると思っている。






やはり
海辺の街で生まれ、海辺の街で育った。
人生の大半を海と接しながら生きてきた。
今、海から遠い山里に来て思い知らされている。
やはり自分は「海の民」であったと・・・・
ふと海が見たくなり、潮風の香りが脳裏によみがえり、
何よりも”刺身”が時おり無性に食べたくなる。
「山の民」になる道のりは遠い・・・・・





食文化
小谷村や白馬村には「とんこつ味」の文化がない。
ひょっとすると信州全体がそうなのかもしれない。
したがって、似たようなものはあるが
本来のとんこつラーメン、チャンポンの店は皆無だ。
スーパーのインスタントラーメン売り場にも「とんこつラーメン」はない。
集落の師匠に話すと、
「あんな臭いものは食えねぇだ。」・・・・・
なるほど、これが「食文化」の違いか・・・・・
博多のとんこつラーメンやチャンポンの味がなつかしい。





春は近い
 茨城に住む孫が二人、この度の震災と原発事故のために我が家に緊急避難をしてきた。茨城では10万戸を
超える断水が今も続いており、水の出ない暮らしは大変で、風呂に入れないのはもちろん、日々の炊事や
洗濯も困っている。その上に原発事故で拡散している「放射線」・・・・
 今のところ被害のない長野県なら大丈夫だろうと避難させたというわけだ。孫たちにとっては思いがけない
「春休み」になった。親は仕事があるので一足先に帰ったが、水の出ない暮らしは今もまだ続いている。
 一方の孫たちは・・・・・・
         
 雪の中の田舎暮らしにもすっかり慣れ、油絵を描いたり、工作をしたり、雪遊びをしたり、と寂しさを感じ
させない元気ぶり、気がかりだった我々を安心させてくれている。
 茨城近隣では、放射線で汚染された野菜の出荷制限や水道水の汚染など、考えてもみなかった事態が
住民を襲っている。原子力という最強のエネルギーを手に入れた人間だが、完全に制御できてはいないという
現実を日々目の当たりにしているのだ。ただただ無事に収束してくれることを祈るだけである。
 天災はあきらめもつくが、原発事故は紛れもなく「人災」であることを多くの人が思い知らされている。
 元気にはしゃぎまわる孫たちを見ながら、この子たちが安心して暮らせる世の中を残してやる責任を
果たせないでいる大人たちの情けなさを痛感してしまう。
 春は近い。一刻もはやく、本当の春がくることを念じつつ・・・・・・・・




記録
 2月に入り、寒波の峠もようやく越えたようだ。それにしても1月はよく降った・・・・・・
   
 報道では、1月の小谷村の総積雪量は3m85cm・・・・・1月だけである。長野県でも三指に数えられる豪雪
であった。屋根雪下ろしもすでに三回、平年以上である。近所でも空家になっている家には2mをこえる屋根
雪があり、これ以上積もれば危ない状況だ。積雪は1立方メートル(縦横深さが各1m)で約100キロの重量
になるという。屋根全体で考えれば軽く10トンを越える負荷がかかっているわけで、大型の10トントラックが
屋根の上に乗っている計算になる。雪国の家は頑丈に作られてはいるが、それでも10トンが乗ったままでは
大変だ。屋根雪下ろしはそのためにも必要なのだ。高齢者の一人暮らしの家では、誰かに頼んで下ろしてもら
うしかないが、一人頼めば1万円以上の出費を強いられる。簡単な話ではない。
 最高気温も連日の氷点下、毎朝雪かきをしないと家の外にも出られない、一日中ストーブが欠かせない
暮らしはさすがに大変だが、ここはそういう風土の土地なのである。エアコン要らずの快適な夏の涼しさは
この冬を乗り切るから与えられる。そう考えてもうしばらく、雪と向き合う日々をがんばらなくては・・・・・・・・




牛にひかれて・・・・
 所用で長野市へ行ったついでに、「善光寺」へお参りした。境内には雪が残り、寒風が吹いて身を縮める
寒さであったが、それでも結構な数の参拝者がいた。目に付いたのは外国人・・・・・・・
 ドイツ人らしい(ドイツ語を話していた)夫婦が線香に火を付け、その煙を全身にかけていた。アメリカ人
らしい一団もいて、土産物の店でおかみさんと「おやき」をめぐっての会話・・・・
「おやき、食べてみませんか?」「oyaki?」「そう、おやき、おいしいよ」「What is oyaki?」・・・中の具の
説明がむずかしく、なかなか理解してもらえない。あんこや野沢菜の説明が大変なようだったが、横にあった
野沢菜のつけものを見せて、これが中に入っていると身ぶり手ぶりで説明して、やっと商談成立。
 そんな土産物のなかでふと目に入ったものが・・・・・・・・・・笠である。
  
 修行僧が托鉢のときなどにかぶる笠で、その形のよさと利便性にひかれて思わず購入・・・・・・・・・・・
 これは雪かきのときに、雪が首などに入らず重宝するのだ。帰ってかぶってみたら、これがまたちょうど
頭の大きさにぴったりで、Good!・・・それを見た奥方が「山頭火みたい」と言う。
 そうだ、これをかぶり、袈裟衣を着ればまぎれもなく「山頭火」の雰囲気である。仙人の必需品ゲット・・・・・




小寒
 寒の入り・・・と呼ぶ日だそうだ。寒さが一段と厳しくなるという意味らしい。暦に違わず、昨日は大雪であった。
  
 前夜からの雪が50cm、朝から昼間にかけて30cm、80cmは積もっただろう。夕方のテレビで、長野県内
で小谷村が86cmで第一位と報じていた。一位とはいえ、あまり喜ばしい中身ではないが・・・
 気温も終日氷点下、冬本番である。先日屋根雪を下ろしたばかりだが、これではまた近いうちに2回目の
雪下ろしをしなくてはならないだろう。雪の中ではだれも謙虚になる・・・と以前書いたが、しんしんと降り続く
雪の中にいると、余計なことは考えなくなる。空を見上げると小さな、白い雪の粒が無数に限りなく舞い落ちて
くる。一体だれが降らせているのだろうと思わずにはいられない、神秘的な光景だ。音もなく、見る見る間に
積もっていき、1時間もすればあっと驚く積雪になっている。
 自然の営みの神秘的な光景には多くの人が出会うだろうが、「雪」は他に類を見ない、究極の神秘だと
思っている。ここは深い山に囲まれているので、風がほとんど吹かない。そのため雪はまっすぐに落ちてくる。
 チラチラなどという上品な降り方ではなく、まるで白い紙ふぶきのようだ。
 この情景を見れば、多くの人は腰が引けるのだろうが、雪の中に埋まって暮らす日々もまんざら捨てたもの
ではない。都会では決してお目にかかれない、幻想的な情景を堪能できるのだから・・・・・




2011年 年明けの山里は
 ここは紛れもなく「雪国」であったということをあらためて思い知らされている。年末から本格的に降りだした
雪は、年が明けてからも止むことがなく、我が家の屋根雪も危険信号の1メートルに達した。
 雪の止んだ日を見計らって屋根雪下ろしである。
  
 毎年3,4回やってきたので、ずい分慣れてきたが、それでも北側半分で1時間半、両側で3時間の作業
となる。さらに落とした雪を除雪機で飛ばす作業が約1時間・・・・ほぼ一日仕事である。
 仕事の手を休め、屋根雪の上に腰をおろして辺りを見ると、周囲の山々が陽光を浴びて金色に輝いている。
集落の家々もすっぽりと雪の中、まるでおとぎ話の世界にいるような気分になる。よくもまあ、これだけ降った
もんだと驚きながら、重みで悲鳴をあげている我が家のためにせっせと下ろしていく。集落のあちこちでも
除雪機のエンジン音が聞こえ、今年もまた雪国本来の営みが始まったと感じるのだ。
 経験から天気予報の「天気図」を見て、このあたりのおよその積雪の予想が立つようになった。雪は
これから2月いっぱいまで続く。今年は何回雪おろしをするのだろうと、早くも次の雪おろしを想い浮かべている。




クリスマス寒波
 クリスマスのころには本格的に降るだろう、と思っていた雪がその通りにやってきた。一年ぶりの積雪で、
集落や家の周りは白一色に染まってしまった。「来るものが来てくれねぇと落ちつかねぇだ。」と師匠たちが
言う気持ちがわかる。厄介な相手だが、来ると覚悟をしているのだから来てくれるとホッとするのだ。
 
 さて、そんな雪の朝・・・・機嫌良く動いていたパソコンが一瞬パチッという音とともに消えてしまった。
停電である。電気はすぐに復活して、再度パソコンを立ち上げて、さあ、インターネットに接続しようとすると、
「接続できません」のエラーメッセージ・・・・「えっ?何だ、これは?」何度やってもダメ。さっきの停電で故障
したのかと思い、考えられるあらゆることを試してみた。一時間以上悪戦苦闘したが、結局無駄であった。
 思い余って、インターネット接続のサービスをしている会社に問い合わせることにした。答は「小谷村の
ケーブルの不具合が発生して、いまスタッフが現場に向かっているところです。午後には復旧すると思います
から、午後にアクセスしてみてください。」・・・・・・何だ、そういうことだったのか、と安心である。
 停電もインターネットの接続不良も原因は「雪」である。昨夜からの雪は水分を多く含んだ湿り雪、これが
電線に付着すると、その重みで電線が切れることがあると聞いていた。おそらく、トラブルの原因はそれに
ちがいない。はじめての経験であった。その日の午後、インターネットは無事に接続できた。
 一時はパソコンを買い替えなくてはならない、と覚悟までしたが、とり越し苦労ですんで何よりであった。
 予報では年末年始にかけて小谷村では毎日雪である。いよいよ雪の季節がやってきた。




名案
知り合いの人からおもしろい話を聞いた。
・・・・・畑の野菜をねらってカラスがやってくる。
追い払ってもまたすぐしつこくやってきて、
せっかく作った野菜を片っぱしから食べてしまう。
頭に来たので、魚釣りにいったとき釣れた「フグ」を畑にばらまいた。
次の日に畑に行くと、そのフグがなくなっていた。
以来カラスが姿を見せなくなった。・・・・・・
なるほど。
海辺に住むカラスや海鳥たちは決して近寄らないが、
何せここらのカラスは山里育ち、
こういう方法も成り立つ。
名案である。




手ほどき
退職したらぜひ弟子にしてください・・・・
そう約束を交わしていた尊敬すべき先輩が逝ってしまった。
絵の師匠だと心に決めた人であった。
とうとう絵の手ほどきを受けることは一度も叶わなかった。
師匠ならどんな評価をしてくれるだろう、といつも想像しながら
雪の中で一人静かにキャンバスに向かう。




厳しさを共有して
 テレビドラマ「北の国から」の中で、冬の雪の中で子どもが野生のキツネにエサを与える場面がある。
 そのころは単に野生の動物が珍しいからだろう、と思っていたが、雪国に暮らすようになり、本物の野生の
キツネにも出会ってみると、少し見方がかわったように思える。
 同じ雪の中にいると、厳しい冬をともに生きている”仲間意識”のようなものが生まれてくるのだ。寒くて
腹をすかせている状況がとても他人事には思えない、そんな気持ちがあのエサの場面になったのではないか、
そう思えるようになった。おりしも、我が家にも雪・・・・集落を取り囲む山々が真っ白に雪化粧をした。
 そんなある日の朝・・・・・・
  
 窓の外をみると、何やら動物の足跡がくっきり・・・・・道から下へ降りようとして引き返した痕跡(左)、
まっすぐに我が家の庭に向かうしっかりとした足どり(右)、我が家の庭には、雪の前に小さなサツマイモ
のかけらをばらまいておいた。先日から何者かが食べた形跡があったのだ。正体はおそらくこの足あとの主
なのであろう。勉強不足で何の動物かは足跡からはわからないが、大きさからみてタヌキかキツネ、あるいは
ハクビシンかもしれない。イモを食べた痕跡をみて不思議な心境だが「ホッと」した。少しは腹の足しになった
のだろう。畑の作物を荒らしてもらっては困るのだが、山には食べ物が乏しくなるこれからの時期、残りもので
よければ時々は庭に置いておくのでまた食べに来てごらん。ともに大変な冬を何とか乗り切ろう・・・・
 冬の厳しさの中にいると、野生の動物も人間も、立ち向かう相手は共通、ひそかな連帯意識が芽生えても
不思議ではない、と素直に思えるようになった。山里で迎える四度目の冬である。




自分でやるしかない
 先月の雨降りの日、雨漏りを発見・・・・・さっそく屋根裏へ上がってみると、屋根を支える梁に水がしみて
いる。場所を確認して、晴れた日を待って修理に取りかかった。
 我が家の屋根は「ガルバリウム鋼板」という鉄板で覆われている。軽くて丈夫、錆びにくいというので、雪国
ではよく使われる屋根材だ。鋼板を屋根に固定するために何本もの桟があるのだが、滑り止めの鉄材を支える
金具が雪の重みで押されて、下の桟に強く圧着され、そこに小さな亀裂が生じて雨が漏っていたのだ。
 原因がわかれば修理もできる。桟の鋼板をはずしてみると、雨漏りのために角材がボロボロに腐食して釘が
完全に浮いている状態、新しい角材を入れ替えて釘で固定し、元通り鋼板の桟をかぶせれば修理完了。
 合計3本の桟を修理した。これでしばらくは大丈夫だろう。雪国の家の屋根は積雪のために痛みが早い。
定期的に塗装をしなおしたり、鋼板を取り換えたりしないと雨漏りだけでなく、家がつぶれることもある。
 専門の「屋根屋」という職業が成り立つほど需要は多い。大がかりな修理なら屋根屋さんに頼むしかないが、
この程度なら道具と材料さえあれば自分で何とかなるのだ。田舎暮らしには、大工、左官などの基礎的な
知識と技術が不可欠だと学んだ。タウンページを探しても、街中のようにすぐに来てくれる業者はいないのだ。




神々の峰
 神々しいまでの美しさである。雪をかぶった北アルプスの峰々・・・・・・いにしえの人々が「神が宿る」と信じた
のもうなずける景色だ。今年もまたこのすばらしい景色に出会えた幸せを味わっている。。
  
 例年通り、アルプスの頂きは雪化粧、麓の紅葉とのコントラストがみごとで、息を呑むとはこういうことを
言うのだろうと思う。雪のない山もすばらしいが、冠雪した山容にはかなわない。夏の間には多くの人間を
だまって受け入れていた山の神々が、この時期からは「なん人も入ることは許さぬ」と宣言し、神の領域で
あることを示しているかのようだ。
 日本広しといえども、3000m級の山が人家のすぐ近くまで迫っているという場所はまれであろう。北アルプス
は南北に長い山脈だが、こんなに山頂が間近に見られるのは白馬村と小谷村だけだと言う。
 休日になると白馬村のあちこちで、山に向かってカメラを構える人たちが大勢いる。カメラに収めたくなる
絶景の前でじっと山の方を見て動かない人、歓声をあげながらはしゃぎまわる団体客・・・・みんな「神」と向き
合っているのだ。間もなく、麓の村々も神の領域に包まれることだろう。
 人間が一番謙虚になれる時期を今年もまた迎えようとしている。




ついに来ました(10月27日)
 猛暑から一気に秋、そして・・・・ついにやってきました。「雪」・・・・・・
   
 昨夜からの雨がみぞれに変わり、今朝はごらんの通りの「初雪」となった。積雪2,3cmというところか。
 昨年より一週間早い初雪、集落も一気に雪化粧をしている。しかし、根雪になる雪ではない、ということは
3年も住んでいるとわかる。この雪もすぐにとけるだろう。
 毎年の長期予報ははずれることが多い。今年の予報は「12月は雪が多いが1月以降は平年なみ」と言って
いる。さてこの予報通りになるのか、どうか。
 この雪に驚いたのか、今朝キツネとサルが人家近くまで下りてきていた。彼らも「いよいよ冬か」と身を
引き締めていることだろう。われわれも車のタイヤをそろそろ冬用に付替えなくてはならない。
 短い秋が終わり、山里には冬の足音が近寄ってきた。




秋の恵み
 心配されていた「マツタケ」が、予想に反して豊作になるという。長野県は全国一のマツタケの生産を誇る。
超高級品になってしまったマツタケだが、豊作と聞くと「買ってみるか」と心が揺れる。産地に行けば割安で
手に入るからだ。とうとう一度もマツタケの味を知らないままという人も多いのではないだろうか。
 さて、同じく長野県では全国に先駆けて、「キノコによる食中毒注意報」なるものが発令された。マツタケが
そうであるように、今年の秋、山ではキノコが大量発生し、大豊作なのだとか・・・・・
 そんな中、スーパーや道の駅に出荷されたキノコの中に毒キノコが紛れ込んでいて、食べた人が中毒に
なったという報道が何件もあった。どれも食用になるキノコによく似た毒キノコを食べてのこと、秋の味覚では
あるが油断はできないのだ。集落近くの山に入ると、たしかにあちこちにさまざまなキノコが出ている。
 見るからにおいしそうなものもあるが、素人は決して手を出してはいけない。安心できるのは・・・・・・
  
 原木で栽培されたものだ。我が家でもシイタケ、ヒラタケ、ナメコが収穫できた。ナメコははじめマッチの頭
ほどの大きさだが、あっという間に大きくなって、一日収穫が遅れると大きくなりすぎて手に余る。
 ここしばらくはおいしいキノコを存分に味わえるだろう。これも山の秋の恵みである。




達人の技
 集落の師匠のお手伝いで、近所の人に頼まれた稲刈りが続いている。ある田んぼでのこと・・・・・・
 先日から降った雨の影響で田んぼがやわらかくなっていた。稲刈り用のコンバインがぬかるみにはまって
動けなくなってしまった。機械の下に板を敷いたり、ロープで引っ張ったり、スコップで泥を掘ったり・・・・・・
思いつくあらゆることをやってみたが、だめ。まだ半分近くの稲が残っているというのに。
 2時間近く悪戦苦闘して、ようやくコンバインがぬかるみから脱出できた。それはよかったが、さて残った
稲をどうするか、もうコンバインを田の中に入れることはできない。師匠の一言「手で刈るか。」で、最新の
コンバインがありながら、それを横目で見ながら昔ながらの手刈りで残りの稲を刈ることになった。
 田の持ち主さんが近所の人に応援を求めに行った。しばらくしておじいさんとおばあさんがやってきた。
 以前、この二人の田んぼも頼まれて稲刈りをしたので、顔見知りのお二人であった。「やぁ、やぁ、こりゃ
えれぇ事だわ。」そう言いながら、さっさと田に入るや否や、目にも止まらぬ速さで稲を刈り始めた。
 足元の田んぼは長靴が埋まりこむ柔らかさ、腰を曲げて一株ずつ刈っていくのだが、慣れない私は
ぬかるみに足をとられ、何度も倒れそうになる。おまけに曲げたままの腰の痛さ・・・・・
 私が三株を刈るあいだに、二人の”達人”は十株は刈っていく。これはもう「芸術」である。
 これは1時間はかかるだろうと観念していた残りの稲は、こうしてあっという間に刈り取られた。お二人は
仕事が終わると、二言、三言話を交わして何ごともなかったように帰って行った。
 困った時はお互いに助け合うのがあたりまえだ、と言ってくれたおばあちゃんは今年80歳なのだそうだ。
 まるで手品か何かを見ているような、感動の体験であった。山里の農業はこんな達者な達人たちに支え
られて成り立っている。「修行不足」を思い知らされた稲刈り体験となった。




よく頑張った・・・
 5月、近くのホームセンターの野菜苗売り場で君たちに出会った。青々として元気のよい他の野菜苗たちの
隅で、君たちは段ボール箱に無造作に入れられ、水もろくにもらえず、枯れていくのを待っていた。ポットには
「処分品10円」という値札が貼られていた。葉も虫に食われ、あちこち穴だらけ・・・痛々しい姿だった。
 君たち3本の”処分品”を買ったのは私だ。何だか不憫になって、せめて畑に植えて枯れさせてやろう、と
持ちかえって畑に植えた。水、肥料も他の苗と分け隔てなく与えた。あれから3カ月・・・・・・・何と君たちは!
 立派に「ナス」として生き延びてくれた。しかも十分すぎるほどの実をつけて。我が身が「10円」という人間の
勝手な値段で処分されかかっていたなどとは知らないのかもしれないが、君たちのたくましい生命力は
しっかりと見させてもらったよ。頑張った結晶である実はありがたく、ほんとうにおいしくいただいた。
 もうじき終わりが来て、もう君たちにも会えなくなるが、”10円ナス”の君たちのことは忘れない。
 いのちを全うできてよかったね。何としても生きようとする君たちから、私も十分元気をもらった。
 よく頑張った! 君たちに出会えてよかったよ。




猛暑
 全国が記録的な猛暑のなかにある・・・・そう聞いて、あらためて我が家の涼しさに感謝している。日中は
外に出れば30度を超える日差しがあるものの、日が落ちれば急に涼しくなり、夜は厚手の毛布をしっかり
かぶっていないと、寒くて夜中に目が覚める。朝の気温は18度前後、クーラーは全く必要なく、日中も家の
中では扇風機1台あれば問題はない。
 
 この暑さで農産物の「北限」が次第に北上しているらしい。最近聞いた話では、国産ワインのメッカとも
言える「甲州ワイン」の産地山梨でも、ブドウに高温障害が起きているという。信州でも栽培しているブドウ
だが、今やかつての山梨産のブドウに匹敵するほどの品質になってきているそうだ。
 何はともあれ夏が涼しいのは何よりの恵みである。街中で猛暑にあえぐ人達には悪いが、冬苦労している
のだから、これくらいのご褒美はあってもよいだろう。
 快適な涼しさの中で秋の到来を待つ日々が続いている。





 この時期、山里は「草」に覆われる。「草」・・・・・街中に住む人には想像しにくいだろうが、草取りなどと
いう品の良い話では済まない、恐るべき相手なのである。「ここはもともとオレたちの場所だ。」と言わん
ばかりに、だまっているとあっという間に彼らに飲みこまれてしまう。まさに「押し寄せる」という言葉が
ぴったりの、驚異的な野生の力なのだ。
 彼らに負けまいとすれば、山里の住人は草との戦いに明け暮れることになる。草刈り機の力を借りて切り
倒すのだが、1、2週間もすればまた元の状態に近い回復をやってのける。恐るべき生命力に感服しながらも
戦いの手を休めるわけにはいかない。
 そんな「草」だが、迷惑なことばかりでもない。彼らのおかげで、強烈な太陽の熱が地面やコンクリートに
蓄えられることがなく、日中は暑くても朝晩はこれでも夏か、と思うほど涼しい。我が家では今でも夜は
布団なしでは寒くていられないほどだ。
 文句を言っても始まらないので、住人たちはだまって彼らと付き合うしかない。毎日、集落のどこかで草刈り機
のエンジン音が聞こえる。夏はこういうものなのだ、と思ってしまえば、別に大したことではない。
 草との戦いは、秋の訪れが感じられるころまで続く。




家を新築すると、決まって必ず周囲に”塀”を作る。
それがブロックであろうと石であろうと樹木であろうと、
塀に囲まれないと何だか落ち着かないのはなぜか?
古来より”塀”は城壁のように外敵の侵入を防ぐために作られてきたもの、
外敵などいないのに、今でも似たようなことをするのは、
この家は自分の”城”で、「私の縄張りだ」と宣言しているからで、
見知らぬ人間たちに囲まれて無防備では心もとない。
塀など無縁の山里に住んでみると、
そのことが実によくわかる。




招かれざる客
 この夏、村や集落のあちこちで獣害の話題が広がっている。田や畑にイノシシやハクビシンなどが出没し、
作物を荒らしているのだ。田では畦を掘り返し、ミミズを捜し、田の中で寝転がって泥浴びをする。もちろん
せっかく育っている稲はなぎ倒される。畑では収穫期を迎えたジャガイモが一晩で掘り返されて全滅。キュウリ
やトマトの実もかじられてしまう。
 ”客”の正体は主に「イノシシ」と「ハクビシン」・・・・イノシシは数年前まではこのあたりにはいなかったと聞く。
冬眠しないので、冬の豪雪に耐えられないからだ。ところが最近になってこんな山奥まで姿を見せ始めた。
 地元の猟友会に駆除が依託され、集落の上部の山林でも数十頭が捕獲されたという。知り合いの猟師さん
の話では「まだ親が2,3頭残っているで、連中がまた子を産めばあっという間に増えるだ。」・・・・イノシシは
一度に5,6匹の子を産む。なるほど、と納得である。田畑をイノシシの被害から守る手立ての一つが「電気柵」
だ。電線を張り巡らす作戦だが、費用がかかり、雑草が電線にふれるとショートして使えないという。村から
設置のための費用補助も出ているが、草刈りなどの作業も高齢化のため思うようにいかないのだという。
ハクビシン(白鼻芯)・・・・明治時代に毛皮をとるために中国から持ち込まれたネコ科の動物で、雑食性で
  
夜行性である。先日ついに我が家の畑にも現れ、サツマイモの根を根こそぎ掘り返し、かぼちゃの実をかじり、
ナスをかじり、やりたい放題の乱行ぶり・・・・・対抗策はネットを張り巡らすこと、高さ1mのネットを張っておけば
これを乗り越えて入ることはない。さっそく狙われそうな野菜はすべてネットで囲った。さてどうなることか。
 もう一つ、手ごわいのが「カラス」、食べごろになったら目ざとくみつけてやってくる。この対策は「糸張り」だ。
野菜の上に数本の細い糸を張っておく。羽が糸に触れるのを嫌うらしく、効果てきめんである。これも集落の
師匠から教わった。
 おかげで我が家の畑はネットと張り巡らせた糸で重装備、「家庭菜園」などという上品な姿とはほど遠く
なってしまった。ともに共存する山里の同志とはいえ、こればかりは勘弁してもらいたい。
 しばらくは彼らとの知恵比べの日々が続く。




霧ヶ峰
 その昔、テレビでクーラーのCMをやっていた。キャッチフレーズは「霧ヶ峰・・・・」
 「霧ヶ峰」は長野県茅野市の北側にある高原の名称だ。標高2000m級のなだらかな山並みが連なり、
白樺湖、蓼科高原もすぐそばにあって、「これぞ信州!」と誇れる観光名所である。
 15年前に一度訪れたが、長野県も梅雨明けしたと聞いて行ってきた。
  
            車山から白樺湖を望む                     車山山頂(1980m)
 高山植物の宝庫なのだが、まだちょっと時期が早かったようで、チラホラという感じ・・・今月終わり頃から
見ごろを迎えるだろう。リフトを二つ乗り継いで車山山頂に立つ。気象庁の観測レーダーがあり、ここからは
360度の展望が開ける。八ヶ岳、富士山、南アルプス、中央アルプス、北アルプス、浅間山・・・・・・・
 あいにく雲が多く、すべては見られなかったが、それでも景色は最高である。谷から吹き上げてくる涼風
が汗を心地よく消してくれる。観光客が多いのもうなづける。
 霧ヶ峰高原は散策路がきちんと整備され、高山植物を見ながら一日山歩きを楽しめる。最近シカの出現で
ニッコウキスゲなどの植物が食い荒らされる被害が発生していると聞いたが、人間がきれいだと楽しむ草花も
彼らにとってはごちそうなのだろう。八島湿原という「高層湿原」もあり、多彩な高山植物が楽しめる。
 すばらしい景色と高原の涼風を堪能して帰路についた。霧ヶ峰・・・エアコンの名前にこれを思いついた人
は、きっとここの涼風を体験した人であったのだろう。またいつか行ってみたいと思わせてくれる場所である。




初夏…梅雨
 6月の終わりの一週間、小谷村栂池の栂池自然園で「ミズバショウ祭り」が行われた。毎年この時期に催される
イベントだが、聞くところによると今年は残雪が多く、ミズバショウも遅れているのだとか、訪れた観光客の中には
「パンフレットにある写真と違うじゃないか!」と苦情をいう人もいたという。標高2000m付近では夏とはいっても
まだまだ本格的なものではないということだ。
 さて、梅雨に入り、適度に降ってくれる雨のおかげで畑の作物たちも順調に生育している。キュウリやナスは
早くも一番果を収穫していただいた。近所の畑にはイノシシやカモシカが出現し、イモなどが全滅という話も
聞いたが、幸い我が家にはまだ姿を見せていない。
 昨年山からとってきて植えておいた「ホタルブクロ」が満開を迎えている。植えた時は3,4株だったのに種が
落ちて今年は「なんだこれは!」と驚くほどの繁茂ぶりだ。このままいけば来年はもっとすごいことになるだろう。
 
 同じく「オニシモツケソウ」も淡いピンクの花が満開になった。彼ら山野草はまじめに彼らのいのちを全うして
いる。梅雨真っ盛りだが、かれらが夏は近いと教えてくれている。




今年も出会えました
 例年にない大雪だった冬が終わり、春・・・・・しかし、順調に暖かくなると思われたのに、これまた
思いがけずに寒い日の連続・・・・・もう6月だと言うのに、朝晩はストーブがなくては寒くてかなわない。
 山でもいったん解けかけた雪が、寒波で何度も白く化粧直しをして、最近ようやく山肌が見える
ようになった。そんな中、白馬村へ行くと・・・・・・・
 白馬岳の頂上近くに、今年も「雪形」が見えた。白馬岳の名前の由来でもある「代かき馬」の雪形
である。しっぽを大きくはね上げ、前足を曲げて今にも飛び跳ねていきそうな馬だ。
 これが見えると春から初夏へと季節がかわってきたことが分かる。栂池自然園の「ミズバショウ祭り」
もまもなく始まる。ストーブを片づけるのはもう少し先かもしれないが、季節はまちがいなく動いている。




季節
 「最近、お宮の森でギャアギャアと騒がしい声がするんですが、何でしょう?」・・・・・近所の師匠に聞いてみた。
「ああ、それはムササビだ。あそこに巣があるだよ。」・・・・というわけで、疑問は解消。
 最近、夜な夜なすさまじい動物の鳴き声がして、何度も目がさめることがあった。猫にしては声が大きすぎるし、
タヌキやキツネでもない。何だろうと思っていたのだ。そうか、ムササビ・・・・・・・
 日本の固有種で、夜行性、樹上で一生をすごし、完全な草食性の動物。羽のようなものを使って木から木へ
と飛び移って移動する。春と秋に発情して、オス同士がなわばり争いをすることがある・・・・・・・・そうだ。
 どうやらあのすさまじい鳴き声はオス同士の争いの声であったようだ。それにしても小さな体であんなに大きな
鳴き声を出すとは・・・・・どこの世界もオスは辛いものだ。鳴き声が収まったところをみると、なわばりの決着は
ついたようだ。春は彼らにとっても大事な季節、浮かれ騒ぐ人間たちを木の上からどうみているのだろう。




春のめぐみ
 山里の雪も消えて、小谷村は今春の盛り・・・・・スタートの合図を待っていたランナーのように、あらゆる草花
が一斉に花を開き、木々は新しい芽をふきはじめた。一年でもっとも美しい季節がやってきた。
 我が家でも山野草たちが可憐な花を見せてくれている。ミズバショウ、エンレイソウ、チングルマ、黒ユリ、
オキナグサ、ニリンソウ、シラネアオイ・・・・・・長い冬を乗り切った”同志”にやっと会えた、という思いになる。
 さて、山里ではこの時期、村人たちが落ち着かなくなる。「山菜」である。お目当ての山菜を採るために、
何キロも山を登って、10キロを超える山菜をリュックにつめてくる人もいる。もちろん、私たちにそこまでの
「ずく(根性)」はないので、家の近くで採るのだが、それでも十分食べるほどのものはいただける。
 この時期はそんな山菜を求めて他所から人が山にやってくる。中には商売のために大量の山菜を採っていく
不届き者もいる。そこで自衛のため・・・・・
  
 このような看板やロープを置いて、注意を促している。しかし、それでも安心はできないから、と地元の人が
交代で要所に立番をして監視する。食べるだけを採っていくならまだしも、来年のことなど考えずに根こそぎ
持っていく者がいるからだ。山菜も根を残し、葉も全部を採らずに少し残しておけば来年もちゃんと生きている
のだが、根を引きぬかれれば終わりだ。
 おいしい山の恵みだが、与えられた以上のものを欲してはならないのだ。山里の人々はそれを知っている。
 長く、厳しい冬を耐え抜いた里人たちに、山の神様がごほうびにわけてくれる山菜なのだ。そんな苦労もせずに
おいしい所だけを味わおうなどとは、バチあたりである。
 山菜の時期も間もなく終わる。山が緑に衣替えをするのもそう遠くはないだろう。




光陰矢の如し
 小谷村の山里に居を構えて3年が過ぎ、今日から4年目を迎える。ふり返ればあっという間の3年間だった。
  
 住み慣れた九州を離れ、信州の山奥に移住すると聞いた友人の多くが、「何で?そんな遠いところへ?」
と誰もが口をそろえて聞いた。普通に考えればそうなのかもしれない。九州から1000kmも離れた信州、
おまけに日本屈指の豪雪地域と聞けば、そう思うのも当然である。 
 長い間の夢を叶えただけのこと、別に「血迷った」わけではない。一度きりの人生、それならば大好きな
北アルプスの山並みが見えるところで暮らしてみたい・・・・・・・若いころからの夢であった。
 多少の決断は必要であったが、その気になれば大抵の問題はその方向で解決できるものだ。
 わずか20戸の小さな集落、どこの者ともわからない我々を、集落の人たちにはほんとうに温かく受け入れて
いただいた。心から感謝である。山里の暮らし、雪との向き合い方を一から教えてもらいながらの出発であった。
 3年でこの地に”根を下ろした”とは言えないが、その準備くらいはできたかなと思っている。
 さて4年目はどんな出会いが待っているか・・・





年輪
 人には間違いだと知らずに持つ知識がある。山里に暮らすようになってあらためて知らされる事実は
多いが、「年輪」についての知識もそうである。
 昔学校で、「木は暖かい南側の生長が早く、北側の生長は遅い。だから年輪を見れば方角がわかる」と
教えられた。そしてずい分長い間それが事実だと信じてきた。
 ところが、それはまちがいだと最近知った。年輪は方角に左右されて出来るものではない。たとえば谷の斜面
に立つ針葉樹では谷に倒れないように谷側の生長が強くなる。また広葉樹では倒れないように山側の部位の
生長を強くして木を引っ張ろうとする。こうして年輪の間隔が変化してくるという。
 自然条件で確かに南側の間隔が広くなることもあるそうだが、それだけが事実ではないということだ。
 何ごとも勉強・・・・・あらためてそのことを学んでいる。




御柱祭
 先日から信州では連日「御柱祭(おんばしらさい)」のニュースが流れている。諏訪大社のお祭りである。
巨木を坂の上から落とす映像などで、全国的にも有名なお祭りだ。7年に一度しか見られないというのも
人気の一つらしい。報道では50万人をこえる観客が集まったという。
  
 勇壮な巨木(御柱)の坂落としが最も人気で、7,8本の巨木を順次滑りおろしていく姿に、観客も興奮気味、
今年は坂の修復をしたので、途中で止まることなく、一気に下まで滑り落ちたと言う。
 この「御柱祭」はここ諏訪大社だけの祭りではなく、信州のあちこちの分社も、規模は小さいが同じような
祭りを行う。山奥で大木を切り倒し、それを山里まで下ろし、川を渡り、街まで運んでくるという作業を、機械を
使わず、人力だけで行うという姿は、どう見ても「伐採」である。諏訪大社の祭神「タテミナカタノミコト」は
この地方を開拓した神として祀られているのだが、この姿はまさに「開拓の再現図」である。当時の苦労と
精神を残して伝えるためにこの祭りが続いてきたように思われる。これらの巨木は神社の改築のさいに
「柱」として使われるそうだが、昔は庶民の家づくりなどにも使われたのかも知れない。
 この「御柱祭」の行われる前年に、諏訪大社の神主たちが小谷村にやってきて、山奥の杉の巨木に
鉄製の「鎌」の刃を打ちつける神事が行われる。母の故郷である糸魚川から山をこえて信州に入ってきた
「タテミナカタノミコト」の足跡を確かめるような神事である。鎌は開拓、開墾のシンボル、それを巨木に打ち
こんで、開拓の精神を語り伝えてきた。
 開拓や開墾の姿をこんな形で今に伝えている氏子たちを、神様たちはどう見ているのだろう。あるいは
ほほ笑みながら「おお、やっとる、やっとる。」とでも言っておられるのだろうか。




春の使者
 雪国にもようやく春の気配が漂ってきた。雪は見る見る間にとけて、四か月ぶりに地面が姿を見せて、
あちこちに水仙や福寿草が可憐な花を開き始めた。我が家の庭の野草園でも、カタクリやアズマイチゲが
つぼみをふくらませている。
 昨日、今までにみたこともない鳥の大群が突然飛来して、集落や家の上空を真っ黒になるほど覆い尽くした。
おそらく数千羽はいただろう。我が家のすぐ前の雪の上にもとまったので、すぐに写真を・・・・・  
  
 あとで図鑑で調べると「アトリ」という鳥だとわかった。スズメ科の渡り鳥で、シベリアから渡ってきたらしい。
数千羽から数万羽の群れをつくることがあり、主に北日本で見られる、この時期の代表的な渡り鳥である。
 おそらくスギの花を食べにきたのだろう。まさに「息を呑む」景色であった。
 山里に暮らしていると、街では体験できない遭遇がある。この鳥の大群もそうだが、雪どけの束の間に花を
開く野草や、雪の下で大きくなっていたシイタケ、野ネズミやリスたちとのほほえましい出会いなどが春の陽気
とともに心をとかしてくれる。白一色だった家のまわりに緑が見られるようになり、もう少しすると木々や草花
が「よーいドン!」で一斉に花を咲かせてくれる。長かった冬が終わり、待ちに待った春の到来である。




根性
 まったく「根性」のある雪である。3月も終わるというのに、自己主張をやめない・・・・・・・・
  
 昨日から今朝にかけての積雪、50cm・・・・・ここまでくると見事な根性である。もう出番もないだろうと
思っていた我が家の除雪機に、もう一度お出まし願わなければならないようだ。
 昨年はこの時期、雪はもう跡形もなくすっかり消えていたのだが・・・・大陸からの強い寒気の南下が原因
らしい。せっかく花を開いた福寿草やつぼみをふくらませたスイセンもしばらく足踏みを強いられる。
 それにしてもこの冬はよく降ったものだ。まさに「記録的」と言ってもよい。これぞ雪国!という姿を存分に
見せてもらった。西日本では桜が満開だと聞く。日本は広いのだとあらためて思う。
 そうはいっても春は間違いなく近づいている。もしかするとこの雪が本当の「なごり雪」となるかも知れない。
 それを期待しながら、今日は朝から除雪作業に汗を流さなくては・・・・・・・




まだ降りますか?
 もうすぐ四月だというのに、雪はまだ去らない。「なごり雪」と呼ぶにはあまりにも降りすぎである。
 昨日の昼ごろから降り始めた雪が、今朝までに30cm以上は積もっただろう。せっかく見えていた土や花は
また真っ白い布団のなかにもぐってしまった。今朝は朝早くから村の除雪車がエンジン音を響かせて除雪を
していた。もう来ないだろうと思っていたのだが・・・・
   
 「もういい。十分です。」・・・・・住人たちの共通した思いだ。しかし、この雪も根雪になることはなく、
気温の上昇とともに間もなく融けるだろう。耳知識を一つ・・・・・・
 国道にある信号機、このあたりでは「縦型」である。積雪による重量負荷を少しでも減らす工夫なのだが、
3月に降る雪は水分が多く、重いので時折故障したというニュースを聞く。毎日見ていると気付かないが、
街ではたしかに「横型」が多い。これも雪国ならではの風景のひとつか・・・・・・
 姫川の水も、周囲の雪どけ水を集めて黄土色になり水量も多くなってきた。姿はみえないが、足音だけは
「春です」と響いているようだ。




祭りのあと
 連日テレビや新聞で大騒ぎ・・・であった。大糸線の「キハ52」の引退である。
 全国からファンが押し寄せ、「撮り鉄」と呼ばれる写真家たちが撮影ポイントに鈴生り・・・・臨時の駐車場も
できるほどの大盛況であった。
 嵐のような引退劇が終わり・・・・・・大糸線はまた元の静かな山間のローカル線にもどった。
キハ52の後釜にすわったのは、「キハ120」・・・・ちょっと垢ぬけた、スマートなイメージの車両である。
  
 地元の住人にとっては、車両がどう変わろうと「大糸線」である。乗客の減少で廃止も検討される、赤字路線
なのである。「祭り」はあくまでも他所のファンたちのためのもの・・・・住人たちのためではない。
 もうしばらくは大糸線がこんなにも注目されることはないだろう。祭りが終われば、また静かな山里の暮らしが
始まる。




こんなすさまじい積雪がほんとうに融けるのだろうか・・・
雪の中で暮らしているとそう思って不安になる。
だが、心配はいらない。
お日様が2,3日も続けて顔を出せば
驚く速さで見る見る間に融けていく・・・・
思い上がりが消えて、謙虚さが芽生える瞬間だ。




キハ52
 「キハ52」と聞いてすぐにピンと来る人は、相当の鉄道マニアである。キハ52とは・・・・
  
 そう、ディーゼル気動車の名称である。全国のJRで現在走っている「キハ52」型のディーゼル気動車は、3台。
それがいずれも大糸線(糸魚川〜南小谷)だけで運行しているのである。1962年ごろに作られたそうだから、
もう50年前以上も前になる。日本各地で活躍していたが、電化が進み、今ではここ大糸線だけになった。
 何しろ全国で「3台」だけである。しかも3月いっぱいで現役を引退することが決まったという。鉄道ファンが
これを見逃すはずはない。ここ最近、全国からファンが押し寄せ、沿線のあちこちにカメラを構えて待機・・・・・
土日ともなると田舎の道は彼らの車で大渋滞・・・・となる。
 集落へ向かう道の途中に踏切があり、何度も目の前を通過していく「キハ52」を見てきた。それほど希少価値
のあるものとは知らなかったが、なるほど・・・・また一つ古き良き時代が消えていくのか。
 3月12日にはお別れ運行があり、3台連結しての運行が予定されている。また多くのファンが押し寄せること
だろう。
関連ホームページ   http://www.asahi.com/travel/rail/gallery/100222ooito/




畏敬
雪には雪の”神秘”がある。
人知をこえた、崇高な意志がある。
そうでなければ、こんなにも潔く、簡潔に、公平に、鮮やかに、
野山や田畑や人家や人々の暮らしを「問答無用!」とばかりに
白一色に塗りつぶすことはできないだろう。
真っ白な世界の中にいると、
”崇高な意志”に畏敬の念が素直に生まれる。




化石
限界集落?田舎の存続がむずかしいって?
簡単な話だ。
仕事をやめたら全員何年か田舎に住むことにすればよい。
気にいればそのまま住むし、どうしても嫌だという者は
街に帰ればよい。
それは乱暴だ、という者もいるだろうが、
そのぐらいのことをやらないと、
“日本の原風景”だと言ってなつかしんでいる風景や暮らしは
いずれ「化石」になる。




感覚
山奥が今どんな天候なのかは、
我が家の横を流れる沢の水音を聞いていればわかる。
水量や流れる速さで、
上流の状態のおよそがわかるのだ。
初めからそうだったのではない。
三年暮らしてきて、ようやくわかるようになった。
何十年も暮らしている人たちには
もっといろんなことが周囲の変化で感じとれるのだろう。
だまっていても、生きるための感覚は研ぎ澄まされていく。




山里のなかまたち
 相変わらず降り続く雪である。九州では梅が満開だと聞いたが、山里はまだまだ深い雪の中である。
先日から、二度ばかり思わぬお客さんに遭遇した。リスである。
 正式には「ニホンリス」または「ホンドリス」というそうで、体に白い縞模様のある「シマリス」や北海道に
生息する「エゾリス」とはちがう種だという。保護色を持たない彼らには雪の上は天敵との遭遇が待ち
かまえている。すばしこく動き回るのは、身を守る術なのだろう。
 最初は我が家のすぐ裏の雪原を忙しそうに走り回る姿を見た。木の根もと辺りを何やら捜している様子、
秋のあいだに埋めておいたクルミでもさがしにきたのだろう。結局見つからなかったようで、10分くらいして
森の奥へ姿を消した。二度目は車で麓へ下る途中で・・・・いきなり道の横から、口に大きなクルミの実を
くわえたまま飛び出してきて、道を横切っていった。つかの間の好天に誘われて、食料捜しであったようだ。
 野生動物たちは、同じ山里で暮らす”なかまたち”である。これまでに遭遇した彼らは、カモシカ、キツネ、
タヌキ、テン、イタチ、オコジョ、アナグマ、ヤマドリ、キジ、リス、サルたちである。さすがにクマにはお目に
かかっていないが、近くの山にはまちがいなく住んでいるそうだ。最近は、今まではいなかったイノシシが
現われ、田畑を荒らす被害も出ていると聞いた。豊富な野生動物たちがいるということは、それだけ自然が
豊かだということ、田畑を荒らされては困るが、できれば仲良くつきあっていきたいものである。
 この深い雪の中、彼らも春の到来を心待ちにしているのだろう。その一点に関しては、彼らと私たちは
まさしく”同士”であり、不思議な感覚だが、連帯感を感じてしまう。
 雪どけの春まで元気で暮らせよ。




晴天にさそわれて
 久しぶりの晴天にさそわれて、スキーに出かけた。村内にあるコルチナスキー場へ・・・・・
 土日をさけて、月曜日なら客も少ないだろうという読みだったが、行ってみると結構なにぎわいである。
  
 平日なので、さすがに子どもはいないが、外国人や学生の姿が目立った。最近は外国、特にオーストラリア
からのお客さんが多くなったようで、この日もずいぶん多くの人を見た。リフト券売り場で、私の前に並んでいた
外国人の家族連れが券を買おうとしていたが、なにやらもめている。耳をすまして聞いていると、どうやら
シニアの割引券購入(50歳以上は年齢が確認できる物を提示すれば割引になる)で、その年齢確認が
出来ないようだ。年配のお母さん風の人が「I promise. I am 55 years old.」と懸命に話しかけていた。
55歳に間違いない、と訴えていたようだ。売り場の若い女の子も困っていたようだが、券は何とか無事に
手渡されていた。こんな所にも”国際化”の波がきている。
 昨日まで降り続いた新雪で、ゲレンデコンディションはふかふかのパウダースノー、最高である。
2時間ばかり快適な時間を過ごした。思い立ったらすぐに行けるように、と思ってスキー道具一式はいつも軽トラ
の荷台に積んである。これといって冬の楽しみの少ない雪国、せめてスキーくらいは存分に楽しみたい。




こんな雪国で・・・・
 「なごり雪」「22歳の別れ」・・・・と言えばおじさんたちには涙が出るほどなつかしい、往年の名曲である。
 作詞作曲は”伊勢正三さん”。かつて「かぐや姫」というグループで南こうせつさんと一緒に活躍していた
人である。その伊勢正三さんが白馬村にやってきた・・・・・・・
 おりしも、コンサート当日は記録的な大雪、普通なら20分で着く会場まで、我が家から1時間かかって
しまった。大雪と寒風のなか、コンサートが始まった。
 期待通り、「なごり雪」も「22歳の別れ」も生の演奏と声でたっぷり聴かせてもらった。ステージで彼が、
「こんな雪の多いところで”なごり雪”なんて、申し訳ありません。雪をロマンチックなものと思って作った
のですが、雪国ではそれどころではありませんよね。・・・・・・・」なるほど、そう言われればそうだが、この
歌にはおじさんたちの熱い青春が塗りこまれている。歌は歌である。
 2時間はあっと言う間に過ぎた。卓越したギターの演奏も、彼らしい繊細さを感じさせるセンスもみごとで
あった。「白馬、ありがとう。長野、ありがとう。・・・・」最後にそう言って彼はステージから消えた。
 こんな雪国で、しかも大雪の中、熱い音楽にふれさせてもらってほんとうに感謝である。終わって、車に
積もった雪をかき落としながら、吹雪の中帰路についた。
雪国で なごり雪歌うを詫びながら 同じ齢(よわい)の歌手はまぶしく
                                                 回り道




豪雪の立春
 それにしてもよく降る雪である。「暖冬傾向でしょう」などという予測はどこかへ吹っ飛んでいったようだ。
年末から今日まで、雪の降らなかった日を数えたほうが早いだろう。新潟では今日だけで1mは積もるという
予報である。我が家も昨夜から今朝にかけて新たに30cmは降っている。今日は一日降り続くというので、
60,70cmは積もるだろう。この冬、積算すればすでに6mはゆうに超えている。
  
 このところ連日、早朝から除雪車が出動して道の雪を除雪している。除雪車が入らない道にはすでに3m以上
積もっていて、とても歩けるものではない。九州では聞いたこともなかった「なだれ注意報」や「着雪注意報」、
「低温注意報」「大雪警報」などという気象用語も最近では耳になじんできたし、外気温ー10度という寒さにも
さほど驚かなくなった。おりしも今日は「立春」・・・しかし、雪国では春はまだ深い雪の底に眠っている。
キツネ来て ひもじさ満たす糧もなく 我が家をはなれる足あと哀し    回り道




冬用で・・・
 初めて聞いた時には「えっ、そんなことがあるのか!」と耳を疑った。雪のない所に住んでいる者には無縁の
話だからだ。ディーゼル車に使う燃料の「軽油」、実は冬には凍るのだそうだ。
 雪国や寒冷地のガソリンスタンドで販売している軽油は、凍らないような添加物が入っているという。平地
から雪国にディーゼル車で行く場合には、タンクが半分になったくらいで現地のスタンドで給油をするのが
常識だそうだ。信州に来るまではまったく知らない話であった。ディーゼル車で雪国に来られる方はどうぞ
ご注意を・・・・・




除雪機
 この冬、長野県の雪は例年を大きく上回って記録的なものになった。長野県で最も雪の多かったのは、
北部の野沢温泉村、次に飯山地方、3番目が小谷村である。小谷村では平年の2倍の降雪量だという。
 我が家の屋根雪下ろしもすでに3回、半端な降雪量ではない。
 こうなるとどうしても必要になるのが「除雪機」・・・・・・我が家も1台、小さな除雪機を購入したが、近所の
人たちから「そんな小さな機械で大丈夫かい?」と言われていた。小さいながらも、普通に降って積もった雪
なら難なく跳ね飛ばしてくれる。だが、屋根雪を下ろしたあとでは、まるで役に立たない。落下した勢いで
雪は圧雪され、岩のように固くなるからだ。非力なエンジンでは歯が立たない。
 小谷村では、村の補助を受けて各集落に大型の除雪機が何台か置かれている。私の住む集落にも
3台あるが、そのうちの1台が今年新しい機械になって、集落のだれでも使っていいという話なので、
思い切って使わせてもらうことにした。
   
 ディーゼルエンジン、27馬力でその除雪力は驚異的なものであった。1メートルの積雪もあっという間に
跳ね飛ばしていく。屋根から落とした固い雪も何の問題もなく飛ばしていく。なるほど、集落の人たちが
心配していたのはこのことだったのか、とあらためて納得であった。
 乗用車1台分の値段だそうだが、それだけの価値はあると言える。個人で所有するのは大変だが、こうして
行政が援助してくれれば本当に助かる。操作方法はほぼ理解できたので、これからは大いに使わせて
もらおうと思っている。除雪機・・・・雪国には不可欠な生活道具である。
手に負えぬ 締まり雪をもいと易く 飛ばしゆく除雪機に 謝意をつぶやく    回り道




松本空港で・・・
「当機はあと15分で松本空港に着陸します。・・・」という機内アナウンスが流れ、やれやれ、やっと着いたと
ホッとしていた。窓から外を見ると、車輪も下ろされ、眼下の家々の屋根もはっきり見えだしていた。
 ところが、急に車輪が格納され、上昇を始めた。「えっ?」と思っていると機長のアナウンス・・・・・・・
「松本空港は急な雪で、当機が着陸することができなくなりました。これより大阪国際空港に向かいます。」
何だって?大阪に・・・?機内にざわめきが起こった。空港の真上まで来ていたのに、大阪まで引き返すと
いうのだ。それ以上の詳しい説明もなく、1時間かかって大阪の伊丹空港に着陸。
 乗客に松本・大阪間の運賃分の現金と、松本までの交通手段や時間を示したプリントが配られ、我々は
ポイと見知らぬ大阪の街のなかに放り出された。
 天候悪化で引き返したり、別の空港に降りたりするというニュースは見たことがあったが、まさか自分が
そんな経験をするとは・・・・結局、大阪から5時間かかって松本に帰りついた。
  
 高い運賃を払っても、早く着きたいと思うから乗る飛行機だが、こんなこともあるのだ。折から、信州まつもと
空港に定期運航していたJALが5月いっぱいで撤退するという。日本一高度の高い場所にある空港で、高速
道路や新幹線の影響で年々利用者が減少してきたという。ジェット機ではなく、小型のプロペラ機が福岡と
札幌を隔日で運航している。冬期にはよくあることだと聞いたが、こんなことが頻繁にあれば利用者が減るのも
うなづける。安全を考えての機長の判断に文句はないし、相手が天候ならば仕方がないと思うが、それにしても
飛行機とは、空港とはいったい何だ、と考えさせられるハプニングであった。




郵便
 全国の中山間地ではみんなそうなのであろうが、郵便を配達してくれる郵便局の人には感謝をしなくては
申し訳ない。仕事とはいえ、雪深い山里の一軒一軒に郵便物を配達することは尋常の苦労ではないのだ。
 街中とちがって、家の玄関前まで車が入れる家などほとんどない。当然下の道に車を置いて歩いて坂道を
上ってこなくてはならない。雪のないときならまだしも、1mを超える積雪に囲まれた各家々をまわるのは
考えただけでも重労働だ。いつも我が家に届けてくれる配達の人とはもうすっかり顔なじみになって、世間話
を交わすこともある。玄関に郵便受けの箱はあるが、不在のときでも玄関があいていればちゃんと中に入って
置いていってくれる。また出したい郵便物や宅配便の荷物もあれば持って行ってくれる。
 毎日雪かきをして、ちゃんと人が歩けるようにするのは、この人たちのためでもあるのだ。せめてもの感謝の
気持ちといえるだろう。中央では”郵政民営化”がどうだこうだと騒がしいが、山里には遠い話である。
除雪車の 脇に寄りたる傍ら(かたわら)を 見知りの顔に会釈し通る   回り道




大雪で始まった・・・
 新しい年の始まりだ。「この冬は暖冬傾向です。」という天気予報をみごとに裏切って、小谷村は年末から
近年にない大雪に見舞われた。大みそかから正月にかけて一週間も降り続き、自宅や集落はもちろん、小谷
村もすっぽり雪の中である。降り始めからの積算をすれば3メートルは軽く超えただろう。
  
 家の北側の窓は完全に雪に埋まり、外は見えなくなった。集落のあちこちに除雪をした雪が山のように
うず高く積まれている。昨日、この冬二度目の屋根雪下ろしをしたが、1メートルの雪を全部下ろすのはまさに
重労働である。雪は軽い、などというのは机上の空論で、実際に運んでみればこんなに重いものはない。
 よくもまあ、こんなに降ったもんだ、とあきれながらの作業であった。
 周辺のスキー場もこれで雪不足の心配はまずないだろう。師匠たちも「これでやっと冬らしくなった」と話して
いる。問題はこれからだ。予報ではまだこの先1,2週間は雪が降り続くとのこと、屋根雪おろしをあと何回やらな
ければならないか・・・・
 雪は楽しむものでなく、”戦う”ものだということをこの冬かみしめている。何はともあれ、大雪で幕があいた
今年も、良い年であることを願いつつ、今日も除雪作業に汗を流しましょう。
山里で 三歳(みとせ)暮らせし証しかな 屋根雪下ろしの時期を見極め    回り道




達人
 奥方が参加している村の短歌会の同人の歌が偶然目に入った。
 今生の最後の作と思ひつつ荒れしこの手に絹糸捌く
 聞けば80歳のおばあちゃんの作だとか・・・自宅で「ボロ織り」と呼ばれる布を機織り機で作っておられる方、
「今生の最後の作」だと自分に言い聞かせて、糸を捌くおばあちゃんの姿が目に浮かぶ。見事な覚悟と言う
ほかない。歳を重ねて今ここにいる自分を客観的に見る視点が心に響く。
電話鳴り受話器取れども耳遠く話進まず詫びて取り止む
 こちらは同じく80歳のおじいちゃんの歌、耳が不自由で電話のやりとりも困ることが多いのだろう、自分の
ハンディーをこちらも客観的にとらえて、日常の一コマを見事に切り取っている。「詫びて」というところに
その切なさが伝わる。
 ともにこの村で生きてこられた大先輩、農作業や林業を担ってきた「達人」である。お顔は存じ上げないが、
姿は想像できる。こんな歌が子や孫たちに残されていく。かけがえのない立派な”財産”ではないか。
 今後もますますお元気で句作に励まれることをお祈りする。




これはまた・・・
 降りだした雪は止まることを知らない。北陸や新潟では20年ぶりの大雪だとか。これも天変地異の一つ
であろうか。さて、小谷村では・・・・・・
 昨日から降りだした雪は積算すると1mはゆうに超えただろう。屋根にも盛りこぼれんばかりに積もっている。
今朝は家の周囲の除雪に汗を流した。小さいながら除雪機の威力はすごいものである。人力でやっていたら
おそらく半日かかるような除雪をわずかな時間で済ませてしまう。
 一通りの除雪を済ませて、さあ、今度は屋根雪だ、と思って支度にとりかかろうとしたが、集落のどこにも
屋根に上がっている人がいない。はて、どうしたのだろう?と考えてみた。たどりついた結論は・・・・
 降ったばかりの雪は軽すぎて下ろしにくいのだ。それにまだ固まっていないので見た目よりは雪の重量が
軽いということ。そう言えば、以前集落の師匠に「降ったあとすぐに下ろさなくてもいいだよ。」と聞いていた
ことを思い出した。納得である。というわけで、屋根雪下ろしは後日ということになった。
 長野県では小谷村と白馬村が積雪量が一位というニュースをやっていた。峠は越えたようだが、このあたり
ではまだしばらく降り続くらしい。雪との「闘い」がいよいよ始まる。




雪です
「なかなかきませんねぇ…」と言っていた雪がとうとうやってきた。この冬初めての本格的な降雪である。
  
 所用で小谷を留守にしていたが、帰ってきたとたんの大雪、降り始めから積算すれば70、80cmは積もった
だろう。小谷村、白馬村の各スキー場もこの雪で待ちかねたオープンである。まだ4,5日は降り続く予報なの
で、雪の心配はないだろう。我が家もさっそく「雪かき」である。さすがにまだ屋根の雪おろしまでは必要ない
が、このまま降り続けばやらなくてはならないだろう。何はともあれ、「一安心」だ。
 雪が降って「一安心」とは、雪国で暮らしてみないと分かりにくい感覚だ。これでやっと「普通」の冬になった
という安堵感である。もちろん大変である。買い物へ行くにも細心の注意をはらって車を運転しなければなら
ないし、雪おろし、雪かきも結構きつい作業である。一日中家から出られないし、洗濯物も外には干せない。
 しかし、これでいい、とだれもが納得する雪なのである。
 集落の方から「車庫が空いたで、軽トラを入れないかい。」と言っていただいて、今まで雪だるま状態で外に
駐車していた軽トラも車庫におさまることができた。こちらも一安心。
 雪国に雪はなくてはならないもの、これから3月の雪どけまで、じっと辛抱の暮らしが始まる。




降りませんねぇ・・・・
 肩すかしを喰らっている。この冬の「雪」である。さあいつでも来い、と準備をして構えているのだが、一向に 
やってくる気配がない。天気予報もここ当分は寒波の襲来はないと報じている。
   
まあ、暮らしている者にとっては助かる話なのだが、困るのは雪を頼りに生計を立てている人たちである。
小谷村や白馬村にあるスキー場(13か所)はいつオープンできるかとヤキモキしていると聞く。スキー客
を待つ地元の観光業者やホテル、ペンション、民宿も同様だろう。
連日、長野県の地方版のニュースでも各スキー場が雪がなくて困っていると報じているくらいだ。今年は
60年に一度の”天変地異”の年だと自分では思っているが、雪に関しても何かが起こりそうな感じがしている。
つまり、まったく降らないか、または記録的な豪雪である。どちらも困るが、適度に降るのが当たり前のこの
地域、そろそろ来てもらわないといろんなところに影響が出る。
 集落の古老が言う話で、向かいの山に3回降れば里にやってくるそうだ。数えてみるともう3回は降っている。
ならばもう来てもいいころだ。雪のない地方の人にはわかりにくいだろうが、雪国で暮らしていると、雪が
降らないと不安になったり心配したりする。梅雨の雨はいやだが、降らないと困る心境に似ている。
 「雪がなくていいじゃないか」というのは街で暮らす人たちの発想だ。
 年末には何とか積もってほしい。そう願っている自分が、少し雪国の人間に近付いているのかなと
思う今日この頃である。




いつの間にか
 何やかやで過ごしているうちに、気がつけば12月・・・・・今年もあと少しで終わるという時期になった。
 ここ山里にも2回降雪があったが、予報では長野県は今年の冬は「暖冬」になるそうだ。それにしても
そろそろかなあ、と思っていた「モノ」がやっと姿を見せた。
 
左はご存じ「除雪車」である。れっきとした小谷村所有の除雪車で、作業は地元の業者さんに委嘱している。
今年はまだ動いていないが、昨年はこの時期までにすでに2回の出動があった。谷筋の一番奥に位置する
私の集落から一番麓の集落まで朝4時ごろから除雪が始まる。住民が学校や仕事に行く前に除雪を済ませ
ておかなくてはならないからだ。乏しい村の予算の中に2億円が除雪対策費として毎年計上されている。
 右は何と呼ぶのかは知らないが、道路の脇に立てられた竹の棒である。目的は、道路の幅を知らせる
こと、下手をすればガードレールがすっぽり埋まるくらいの雪になることもあって、道幅が分からなくなる。
 そんなときこの棒が目印になるのだ。麓から私の住む集落までの道沿いに4〜5m間隔で立てられている。
この棒が立ち始めると、山里に雪が近いという合図にもなる。
 集落の各家の雪囲いも終わり、きのこ栽培の師匠の恒例の炭焼きも終わったようだ。我が家の雪の準備
もほぼ終わり、いつ雪が来ても心配ない。暖冬だとは言え、小谷村は全国屈指の豪雪地域、その中でも
私の住む集落は標高が高いので一段と積雪量が多くなる。油断はできないのだ。
 村内のスキー場も雪が降り次第オープンの予定だとか、いよいよ冬の到来である。




親不知
 新潟県と富山県の県境、日本海側に北アルプスの山が突き出して切れ落ちた絶壁が続く場所がある。
 「親不知(おやしらず)」である。高さ300mの絶壁が延々と10km近くも続いている。今は国道8号が岩壁の
中をくりぬいたトンネルを通っていて、すぐ近くには北陸自動車道もトンネルで走っている。
 
 しかし、ここに道が出来たのは明治以後のこと、それ以前は北陸街道随一の交通の「難所」であった。
旅人は崖と海が接する海岸線を歩いたのだ。もちろん満潮になれば打ち寄せる波でいくら岩にしがみ
ついたとて流される。干潮でも、海が荒れれば大きな波が押し寄せる。まさに決死行である。実際に
海岸線に降りて歩いてみると、まるで岩渡りのような場所で、当然「道」などはない。
 ここを歩くときには子は親のことなど構ってはいられない、親もわが子に気を遣う余裕などない、ということ
から、「親不知」「子不知」と呼ばれるようになったという。かの松尾芭蕉も「奥の細道」でここを歩いている。
 私がこの名前を初めて知ったのは、水上勉の小説「越後つついし親知らず」であった。そこに描かれる
親不知とはどんなところなのだろう、と空想したものだった。
 以後何度か訪れたが、いつ行っても新たな感動を与えてくれる、北陸の名所である。




今年も・・・
 この時期になると恒例の「サケの遡上」を見るために、新潟県糸魚川市の能生(のう)川へ・・・・・
 
 水量の減った川の中には、数えきれない数のサケが泳いでいた。中には力尽きて息絶えたサケもいる。
それをお目当てに、これまた無数のカモメやカラスなどの鳥たちも見守っている。自分の生まれた川を覚えて
いて、生まれてから何年か後にはまたその川に帰ってくるという習性・・・・・そう聞いただけでおじさんはもう
目の奥が熱くなってくるのだ。地元の漁協でこのサケを捕獲し、採卵して孵化させ、稚魚を毎年上流で放流
しているのだとか、大変な苦労である。聞けば、つい最近までこのあたり一帯の川ではどこでも遡上が見られ
たという。小谷村を流れる姫川にもかつてはサケの姿が見られたそうだ。しかし、高度経済成長で、川の水質
が悪くなったり、人間の都合でダムをあちこちに作ったりしたために、次第に姿を見なくなったという。
 産卵場所を求めて命懸けで懸命に遡上するサケたちの姿をぜひ子どもたちに見せてやりたいと思う。命を
つなぐ営みにきっと胸打たれることであろう。自分の生まれた川で命の種を残して自分の一生を終わる・・・・
 そんな彼らを「食べる」なんてとてもできることではない、と思いつつ、帰りにスーパーでオホーツク産の塩
サケを買い求めた。ああ、無情・・・・・・・これもまた自然の営みなのだ、と自分に言い聞かせている。




冬の到来
 朝からこの冬二度目の降雪・・・・・見る見るうちに積もり始めた。山里に本格的な冬の到来である。
  
 先日から野生のサルたちも集落に姿を現わし、畑の残り野菜を探し始めた。彼らにとっても厳しい冬を迎える
準備が始まっている。山野草を植えた花壇は、みんな枯れてまったく姿が見えない。来春の芽吹きに備えて
土の中での冬籠りをしているのだ。山の木々も落葉樹は葉をすべて落として、まるで”骸骨”のよう・・・・
 すべての生き物たちにとって「冬」は試練の季節なのだとあらためて思う。それぞれの方法で乗り切るための
準備をしているのだ。街の便利な暮らしの中にいると見えない彼らの命の営みが、こんな山里にいると目の当た
りにできる。集落のあちこちで”野沢菜”を漬けるおばあちゃんたちの姿も見られるようになった。各家の除雪機
も庭先に準備されている。どんなに抗ってもやってくる自然の猛威には、我々人間も無関心ではいられない。
 さあ、来るなら来い!と構える一方で、来年の4月までまた雪に閉ざされた暮らしが待っている・・・という心
細さも湧いてくる。何はともあれ、山里の住人になって三度目の冬を迎えようとしている。




山では・・・
 晴天続きのあとの雨・・・・畑には恵みの雨となった。野菜もキノコも一気に元気を取り戻したようだ。
周囲の森や山の紅葉もこの雨でさらに加速している。ところが・・・・・
  
 北アルプスの山々では、麓で降った雨が雪になったようで、冠雪がかなり山の下まで達していた。
これはもう間違いなく”根雪”である。来年の春まで解けることのない雪になったようだ。3000m近い山が
こうして町や家のすぐ近くから望めるのがこのあたりの特徴だが、北アルプスにはやはり雪がよく似合う。
 先日も畑で作業をしていると、通りがかりの年配者7,8人の人が車を止めて話しかけてきた。みんな手には
カメラ・・・どこかの写真クラブの人たちのようだ。「いいとこですね。」とそこから望める冠雪した北アルプスを
さかんに撮っていた。集落の絶景ポイントを教えてあげたので、きっといい写真が撮れたことだろう。
 まもなく集落の近くの山にも雪がくる。一足はやい冬の訪れである。




畑で
 集落を囲む山々の紅葉が一気に進んできた。名だたる紅葉の名所のように愛でる者はいないが、その気に
なって見ればけっこうすばらしい彩りだ。2日ほど足を運ばなかった畑に行ってみた。
 晴天続きで土が白く乾いている。大根をみると葉がしんなりとうなだれて、地面に張り付くようにして元気が
ない。これはいかん、と水をたっぷりと与えた。
 他の野菜を見回っておよそ10分後、再び先ほどの大根をみて「えっ?」と思わず声をあげてしまった。
 何と! さっきまでペシャンコになって地面に張り付いていた葉っぱがみんな見事に立ちあがっていたのだ。
うそだろう?わずか10分そこそこでここまで急に元気になるのかい?まるで水を待っていたかのようだった。
 意志、そう、生きる意志のようなものを感じて思わず立ちつくしてしまった。生命の営みをこんな形で見せて
くれた大根に感謝!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・
大根よ
おまえは大根として生きろ。
ネギでもない、ホレンソウでもない、正真正銘「オレは大根だ」と胸を張って生きろ。
おまえを畑に植えた人間の都合など考えるな。
誇り高き”大根”として、根を張り、葉を広げ、花を咲かせて種を育てろ。
それがおまえの命をつなぐ営みなんだから、
誰にも遠慮はいらない。
おれたち人間は、
おまえの誇りのおこぼれをありがたくいただくことにする。




実りの秋
 今年も集落の師匠から応援を頼まれ、稲刈りに汗を流した。約20日間かけて、近隣の農家の田んぼに
出向き、稲刈り、乾燥、袋づめ、と忙しい日々であった。昨日、師匠の田んぼを3枚刈り終わって、ようやく
今年の刈り取り作業が終わった。
   
 この師匠、今年は思い切ってコンバインの機械を新しくした。昨年までは、コンバインが脱穀したモミは
袋詰めにしていたのだが、半端な数ではないのでそれを抱えるだけでも相当に骨が折れる仕事だった。
そこで、今年は袋に入れなくてもよいように、煙突のような排出装置が付いた機械で、刈ったモミはそのまま
トラックの荷台に積み込めるようになった。相当な出費だったと思うが、おかげで作業は格段に楽になった。
つくづく「農業をいかに人力に頼らないものにするか」という課題の大切さを身をもって感じさせられた。
 周辺の農家のモミの乾燥やモミすりを請け負っているこの師匠の作業所には、連日山のようなモミ袋が
搬入され、一日中乾燥機が回りっぱなしであった。乾燥の程度を間違えると、供出した米の「等級」が下がり、
農家に迷惑をかけるので、師匠は乾燥機に付きっきり、これも大変な仕事である。
 店に「新米」として並んでいる米が、こんな苦労を経て食べられるようになっていることに気付いてくれる
人は少ないだろうが、ぜひ感謝の気持ちを忘れないでほしいものである。
 山里の棚田で、新鮮な空気とすばらしい景色、ワラの匂いに包まれた経験を今年も楽しませてもらった。




天地人
 高速道路の割引があるというので、思い切って遠出をした。目指すは福島県の会津若松・・・・・・
今テレビのドラマで注目されている「天地人」の舞台になった会津若松城(鶴ヶ城)を見てみたいと思った。
 途中、上越市の”春日山”(謙信の居城)や”直江津”(直江兼継ゆかりの町)を見ながら車を走らせる。
 3時間半かけてようやく会津若松に到着・・・・・・・
 
 連休でも人は少ないだろうと読んだ見込み違いで、押すな押すなの大混雑、城の中の展示を見るのも
長蛇の列・・・・さすが「天地人」の人気、あらためてその大きさを感じさせられた。
 会津若松といえば、幕末の落城にまつわる悲劇だ。白虎隊が城からあがる白煙をみて最期を悟ったという
「飯盛山」も城の天守閣からはっきり見えた。明治以後、長く不仲が続いた会津若松市と山口県の市が
歴史的な”和解”をしたというニュースをかつて目にしたことがある。長州出身の自分としても複雑な思いで
会津をあとにした。天地人・・・・義と愛を掲げた上杉氏の精神が今もこの地に根を広げていることだろう。




台風一過
 台風18号・・・・・長野県を直撃と聞いて、さあ来いと構えていたのだが、幸い県の南部を通過したので
北部の小谷村では心配していたほどのことはなかった。長野県を通過した台風は5年ぶりだとか・・・・・・・
 南部の方ではりんご農家が被害を受けたと報じられていた。我が家では・・・・・
 水車の水の取り入れ口にしていた箱が、激流にさらわれて流されたくらいの被害ですんだのだが、
集落の師匠に聞くと、「ここらは北アルプスの山があるで、めったに大風はこねぇだ。」とのこと。山はただ
美しいだけではなかった。その北アルプスが今朝なんと・・・・・・・・!!
 今年の”初冠雪”である。昨年は9月の終わりだったので、少し遅れたが、山はいよいよ冬に突入である。
今朝の外気温は4度C、日中の最高気温も12,3度くらいだという。いよいよか、と身が引き締まる。
 根雪になるのはもう少し先になるが、これから何度かの冠雪をくり返しながらやがて本格的な雪を迎える。




未知との遭遇
 住む場所が変わり、環境や自然状況が変わると思いがけない”出会い”があるものだ。
 夕方、何気なしに外を見ていると、視野のなかに何やら動くものが入ってきた。「何じゃ、あれは?」
 目をこらしてよく見ると・・・・・・・・
  
そう、「キジ」である。すぐさまカメラを取り出し、証拠写真の撮影。何とか逃げずにポーズをとってくれた。
キジは日本の「国鳥」である。1947年に日本鳥学会が決めたという。理由は、キジとヤマドリだけが
日本固有の鳥で、美しさや巣を守る本能が強いということで多数決で決まったそうだ。
 しかし、世界を見ても「国鳥」を狩猟の対象として認め、食用にしているのは日本だけだという。
 いずれにしても、こんなに間近でその姿を見ることができてラッキーであった。キジという鳥の存在は
多くの人が知っているだろうが、生涯に野生のその姿を見ることができる人はごくわずかであろう。
その中の一人になれてうれしい。これぞまさに”未知との遭遇”・・・・・     元気で暮らせよ。またおいで。




目をさませ
 どう表現してよいか、まさに<感動>である。自分で菌を埋め込んだ原木からシイタケやヒラタケが採れる・・・
        
 キノコはスーパーでパックに入ったものを買うのが当たり前だったのに、自家製を、自分で収穫できるとは
まさにこれぞ<感動>と言うべきだろう。近くを通りかかったキノコ名人の師匠に話すと、わざわざ見にきて
くれた。「・・・・ちょうど食べごろだね。ヒラタケはクセがないからどんな料理にも合うだ。ひと雨くればまたうんと
出てきますよ。シイタケは木の中で菌が眠っているから、叩いて起こしてやるだよ。金づちで頭のところを
叩いてやれば目をさまして出てくるで。・・・・」叩いて目を覚ますというのがおもしろい。
 キノコ栽培には広葉樹の原木を使う。それも春に切った生の木でないと菌は増殖しないのだとか。
広葉樹の中でも、ナラやクヌギは樹質が固いので原木が長持ちするそうだ。我が家のヒラタケはクルミの
木に生えているが、このクルミは木がやわらかいので2年くらいで使えなくなると師匠は言う。
 この師匠、近くで「マイタケ」を生産している名人である。初物だと、採れたばかりのマイタケをいただいた。
 キノコの中でも超高級品である。マイタケにヒラタケにシイタケ・・・・これだけそろえば今夜の夕食は鍋に
決まりである。キノコをふんだんに入れたぜいたくな鍋に舌鼓をうちながら、山の恵みに心から感謝であった。




秋の気配
 「ここらは盆を過ぎたらじきに秋だ。」と地元の人が言う通り、ここにきて急に秋めいてきた。朝の外気温が
4度から6度、九州では1月か2月の厳冬期の気温である。たまりかねて、こたつを出し、ストーブもスタンバイ。
 クルミの木の葉も散り始め、心なしか山々も色づき始めたようだ。
 最近の発見から・・・・・
  
 家のすぐ近くに毎年実をつける「アケビ」が今年も見事な実をつけた。だれも採らないので、いずれ動物や
鳥たちのごちそうになるのだろう。もう一つは、昨年菌を埋め込んだ「ヒラタケ」と「シイタケ」が顔を出し始めた。
 師匠に話すと「毎日水をかけてやるだ。うんとでかくなるで。」とのこと。30本近いホダ木があるので、これ
からが楽しみになる。山グリもあちこちで実を落とし始めたし、間違いなく秋の訪れである。
 秋の訪れは、そのあとすぐにやってくる冬と雪を暗示する。昨年は9月の終わりには北アルプスの
初冠雪が見られた。今年も間もなくのことだろう。
 秋の夜長を楽しむ・・・という風雅な気分はこの山里では無理なようである。




権現さま
 集落で「権現さま」と呼ぶ祭りがあった。祭り・・・・・とはいっても、権現さまが安置されているのは、集落から
3キロ山奥に入ったところで、簡単には行けないところにあり、年に一度、男衆が周辺の草刈りをしてお参りし、
御札を奉納して持ち寄った酒とつまみでささやかな宴会を開くというもの。
  
 権現様とは、ここでは「九頭龍大神」をさし、山二つ越えたところにある”戸隠神社奥社”の祭神の一つである。
農耕や水の神として古くから土着の信仰の対象になってきた神でもある。 
 弘化4年(1847年)、長野の善光寺周辺にM7.4の直下型の大地震が起こり、折から御開帳の参拝客で
賑わっていたこのあたりで死者2500人を超える大きな被害が発生した。被害は小谷、白馬村にも及び、
あちこちの川が土砂でせき止められたり、川の水が流れなくなって、翌年の米づくりができなくなる恐れが
でてきた。そんな折に近くを通りかかった戸隠神社の山伏の坊さんが、九頭龍大神を祀り、熱心に祈ったところ
水が流れ、池にも溜まり、無事に米作りができた・・・という話が残っている。
 九頭龍神話は全国の各地でみられるものだが、ここ小谷村では戸隠神社の山伏たちが九頭龍権現の名で
水をもたらしてくれたことで、農耕の守り神として祀られるようになったものと思われる。
 集落の古老の話では、以前はもっと高い場所に安置されていたそうだが、水害で下の川に流されてしまい、
行方がわからなくなったとのこと、しかし、集落総出で川ざらいをし、やっと川底から社を見つけて今の場所に
安置したのだという。年に一度の掃除と参拝だが、直前に山で採ってきたという”マイタケ”をおいしくいただき、
昔話を肴にお酒を呑む”権現さま”は今年も無事に終わった。
 吹きわたる風も心地よく、鳥のさえずりに囲まれ、トチの実のじゅうたんの上で行われるささやかな”祭り”に
今年も楽しく参加させてもらった。




絶景
 なぜ信州に?・・・・と問われる答えのなかに、「北アルプスの山が見えるところに住みたい」という長年の夢が
あった。窓を開ければ目の前に雄大な北アルプスの山並みが・・・・・という夢を何度みたことだろう。
 探し当てた小谷村の我が家からは、残念ながら窓を開ければ・・・・・ということは叶わない。だが、ほんの
少し歩けば絶景のビューポイントがある。
  
負け惜しみではないが、ここからの眺めは小谷村の絶景ポイントにも紹介されるほど・・・・・ここで十分である。
窓を開けて毎日見ていれば、きっと飽きる、ときどき見たい時に見るからいいのだ、と納得している。
 もっと間近で見たければ、車で白馬村まで行けば息を呑む山容が迫ってくる。集落の師匠たちは、「おらたちは
子どものころからずっと見てるで、何とも思わねぇが、そんなにいいもんかい?」と不思議そうに言う。
 いいもんも何も、おそらく日本で最高の景色を毎日見て暮しているのだ。こんなぜいたくはないだろう。
 畑仕事の手を休め、顔をあげると五竜岳や鹿島槍ヶ岳が見える。冠雪した山もいいし、紅葉のころもいい。
 絶景とは、そこに立てば理由の説明の必要がないすがすがしさを感じられ、いつまでも見飽きることがない
風景を言う。生涯にそんなに頻繁に出会える場所ではないだろう。
 間違いなく、絶景に出会えている。




覚悟
一息ついてふりかえると、
ここを人生の終点とする場所を探し続けていたんだなぁ・・・と思えてくる。
終(つい)の棲み家・・・・・・
かたちや広さや場所なんて問題ではない、大切なのは“覚悟”であろう。
気に入ればそこを、気に入らなければ別のところを”ここだ”と決めて、
自分の生きてきた軌跡を埋める場所にしていく・・・・
ずいぶん長い時間がかかったが、
ようやくその”覚悟”が見えてきたようだ。
これがまあついのすみかか 雪五尺
                      一茶




足りる
丹精込めて作った自家製の野菜をいただく・・・・・・
どんな高級レストランの料理よりも
食べることの幸せを深く感じさせてくれるのはなぜだろう。
多くを望まなくても
これで十分足りている。
・・・いただいて足りて一人の箸を置く・・・山頭火




祭り
 朝5時30分、集落の公民館に男衆が集まってくる。毎年恒例の諏訪神社の祭りの準備をするためだ。
公民館を舞台に変身させる作業が手際よく進められ、すぐ上にある諏訪神社もきれいに清められ、お神酒
も供えられる。今年で3回目の参加となる祭りだ。
 小谷村には10社を超える「諏訪神社」があり、集落の神社もその一つ、いかに諏訪神信仰が根強いか
がうかがえる。鳥居には大きなのぼり旗が上がり、そこには「明治27年」と記されている。年季の入った旗や
舞台の幕が見る見る間に設置され、粗方の準備は午前中に終了。
 夜8時から祭りが始まる。祭りといっても、みこしも出ないし、夜店などはない。何せ、20戸あまりの小さな
集落の祭りである。ただ、舞台で獅子舞いが踊られ、地元の和太鼓が披露され、プロの歌手の歌や踊り
が披露されるだけ・・・・・
   
 何だ、そんなものか、と言うなかれ。こんな小さな集落が単独でこれだけの規模の祭りを維持している
だけでもすごいことなのである。限界集落という話が取りざたされているが、その目安の一つが集落の
祭りができなくなることだと言われる。過疎や高齢化が原因なのだが、幸いこの集落ではまだこうして祭り
が維持できるのだ。いつまでやれるだろうか、とみんなで話してはいるが・・・・・・・
 歌舞音曲を神に奉納し、神前でにぎやかに騒ぐ・・・・これが本来の祭りであろう。素朴で、何の飾りや
目立つこともないが、そこに住む者たちの心のよりどころになっている。
 祭りが終わると、秋が足早にやってくる。今年の夏も終わった・・・・区切りを感じさせる山里の祭りである。




出現したのは・・・
 夏休みにやってくる孫たちのためにと、ジイジは早くからこの制作に取りかかっていたのだ。それがようやく
完成!孫たちとめでたく設置に成功・・・・・
  
 水車小屋である。家の横を流れる沢の水を利用して回る設計である。予定通り、水車はみごとに回りだした。
考えてみてもらえばわかるが、何といっても難しいのは、回転軸と軸受けである。中心がちゃんととれている
ことはもちろん、ガタつきやブレがでないようにすること、なるべく抵抗なく軸受けで回転すること、回転に
よる摩耗がないこと・・・・・・プロではないので、専門的な知識はないが、素人なりに考えておそらくこれが
最高だろう、と思える工夫を施した。冬の積雪を考えて、その時期には取り外しができるよう、簡単に解体
もできる。孫たちのため、と言いつつ、実はおとなの遊びだったのだが、やりだすと結構これがハマる。
 突如出現した異様な物体に、きっといつも近くを通るキツネたちも驚くことだろう。集落の人に聞くと、
昔は本物の水車小屋があって、コットン、コットン音がしていたという。
 苔でも生えてくると、いずれ周囲の風景にとけこんでくれるだろう。この夏の思い出が一つできた。




吉凶やいかに
 いつどこで、ははっきり覚えないが、たしか最近ニュースで「竹の花が咲いた」と聞いたことがある。
折しも小谷村の広報誌に、小谷村の高原でも「笹の花が咲いた」という記事が掲載された。
                (小谷村栂池で見つかった笹の開花)
 遠い昔、小学校の先生が「竹の花が咲くと天変地異が起こり、大変なことになる。」と教えてくれて、
「へぇ、竹にも花が咲くんだ。」・・・と不思議に思ったことを覚えている。モウソウチクは60年から70年に
一度だけ花が咲き、枯れてしまう。笹にも似たような現象が起こるという。秋に結実するとそれをねらって
ねずみが大発生し、作物に被害を与え凶作になると言い伝えられてきたそうだ。その竹の花が咲いたと
聞いていたので、何か起こらなければいいが・・と思っていた。そこへ今年の長梅雨、集中豪雨、日照不足、
である。やはり・・・・と思わざるを得ない。そう言えば身の回りにも「異変」が・・・・・・・
 例年になく少なかった積雪、ホタルブクロの開花の異例の少なさ、ずっと見られなかったホタルの出現、
集落ではこれまで見られなかったイノシシの出現、正体不明だが畑のキュウリを荒らす動物(これも今年
が初めて)、猫の捕まえてくる野ネズミの異常な多さ・・・・・・・何かが変化している。
 60年に一度、というのが気にかかる。竹や笹は何を感知して花を咲かせたのか・・・・・・・




移動販売車
 毎週木曜日、10時近くなると、突然集落中に大音響で演歌が流れ始める。「ああ、来たな・・・」
地元の農協の”巡回移動販売車”が来たという合図なのだ。
  
 主に食料品を積んで谷筋の集落を順次回っていく。演歌の合図が始まると、集落のあちこちからおばあちゃん
たちが集まってくる。小谷村には生活に必要な食料品を売っている店は農協の購買店があるだけ・・・・・
 隣の白馬村まで行けばスーパーもあるのだが、車がないと行けない。高齢のおばあちゃんたちには無理だ。
そこでこの移動販売車の登場となる。我が家でも何度かお世話になったが、結構品数もあり、肉や魚もあって
重宝する。ぜいたくを言わなければ十分な買い物ができるのだ。
 経営状態がどうなのか、よくわからないが、そんなに儲かる営業ではないだろうと思える。しかし、この車が
来なくなると、たちまち山里で暮らす高齢者は困ってしまうだろう。ありがたい存在なのだ。
 ここ小谷村だけでなく、全国の山間地でもこうした移動販売で暮らしが成り立っているところがたくさんあると
聞いた。スーパーやデパート、大売り出しなどという言葉とは無縁だが、質素で確かな暮らしがここにある。


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